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ラグビー コラム 2020年7月30日

松井千士は、なぜサントリーを退団したのか。 オリンピック、ラグビーワールドカップへの思いを語る

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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50mを5秒7で駆け抜けるスピードは福岡堅樹に優る。福岡が東京オリンピックへの挑戦を断念した今、松井千士にかかる期待は高まっている。大阪の常翔学園高校で日本一に輝き、高校日本代表、U20日本代表で活躍し、同志社大学時代には7人制(セブンズ)、15人制の日本代表に選出された。順風満帆の選手生活だったが、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックは12名の正メンバーに残れなかった。バックアップメンバーとして帯同したが、選手村には入れず、観客席から4位入賞の快挙を見守った。その悔しさが松井を大きく成長させた。2020年6月29日、3年間所属したサントリーサンゴリアスを退団し、7月3日、キヤノンイーグルス入り。新天地で彼が描く未来とは。延期された東京オリンピック、2023年のラグビーワールドカップ(RWC)を目指す25歳の想いを聞いた。


──サントリーサンゴリアスを退団し、キヤノンイーグルスに入団した理由を聞かせてください。

「サントリーでは社員選手として仕事をしながらプレーしていました。プロ選手になってラグビーをする時間を充実させたいというのが、理由としては大きかったです。サントリーも良い環境ですが、環境を変えてチャレンジャーとしてプレーしたいと思いました」

──プロ選手になることは、いつ頃から考えていたのですか。

「大学(同志社大学)を卒業し、サントリーに入社する頃には考えていました。ただ、社会人として経験することも多くあると思って社員選手として入社させてもらいました。その後も、プロになりたいという考えは持ち続けていました」

──プロ選手になることは、セブンズ日本代表でプレーすることと関連しているのですか。

「オリンピックを目指すことについては、社員もプロも変わりません。15人制について、プロとして特化してプレーしたかったのです」

──東京オリンピックが終わったら15人制に特化してプレーするという意味ですね。

「そういう意志があったので、プロ選手になりました」

──キヤノンを選んだのはなぜですか。

「沢木敬介さんが監督になるので、その影響だと思われているところがあるのですが、実は、僕がキヤノンに行くことを決めた後で沢木さんの監督就任が決まりました。だから、それは理由ではありません。サントリーは日本一も経験しているし、常に優勝争いにからむチームです。キヤノンはチャレンジャーの立場であり、僕もその一員になってチームの顔になりたいという気持ちがありました」

──サントリーで指導を受けていた沢木さんがキヤノンでも監督になると聞いたときは、どんな気持ちでしたか。

「正直、びっくりしましたけれど、縁を感じました。僕の入団発表があった後、沢木さんから電話があったんですよ。『俺、監督になるけど大丈夫か? お前は嫌じゃないのか』と。嫌って言えないじゃないですか(笑)。それは冗談として、僕は沢木さんに良い印象しかありません。U20日本代表のときの監督でもあり、サントリーでも沢木さんに成長させてもらったので、また一緒にできるのは楽しみです」

──サントリー時代は厳しい指導もあったのでしょうね。

「めちゃくちゃ厳しかったです。でも、的を射た指摘ですし、世界で活躍するために良い意味でのプレッシャーをかけてくれる方でした。僕がサントリーに入った一年目はよく試合に出してもらえて、優勝に絡むような試合でも起用してもらいました。僕自身は自信を持ってプレーしているつもりでも、自信がなく委縮しているように見えたときはハーフタイムに怒鳴られました。『お前は、なんでもっとボールを要求しないんだ!トライを獲る気がないのか』と。それがトップレベルのラグビーの厳しさだと思ったので、言ってもらえて良かったし、成長できたと思います」

──沢木さんの指導法は理解しているということですね。

「僕自身は5年ほどの付き合いなので、厳しい言葉も愛情だと分かっています」

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