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サイクル ロードレース コラム 2021年6月24日

Tourの景色に誘われて | プロヴァンス

ツール・ド・フランス by 山口 和幸
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その日のモン・ヴァントゥは気温40度を超える猛暑に見舞われたという。総合優勝をねらう有力選手の集団から脱落したシンプソンは、徐々に蛇行を始め、沿道の観衆に抱きすくめられながら道ばたに倒れ込んだ。ヘリコプターで搬送されたアヴィニオンのホテルで元世界チャンピオンは息を引き取ったという。

自転車競技史上最強の選手と言われるベルギーのエディ・メルクスもモン・ヴァントゥへの憧憬と畏怖の念を語っている。

ラベンダーと古城

ラベンダーと古城

1970年7月15日のツール・ド・フランス。その日、息が詰まるような熱波がレースを襲った。ライバルのテブネやプリドールのアタックに、さすがの優勝候補もこの日は大苦戦。最後はよろめくようにモン・ヴァントゥの頂上にたどり着いたという。それでもメルクスは3年前のレース中に死去したシンプソンの石碑の前を通過するときに、冥福を祈る意味で脱帽することを忘れなかった。シンプソンはメルクスの元チームメイトだった。

「それからゴールまでも本当にツラい道のりだった。気分が悪く、酸欠に陥り、ゴールから救急車で運ばれることになるのだから」

なんとかモン・ヴァントゥを凌いだメルクスは最終的にパリでマイヨジョーヌを獲得する。

2000年はモン・ヴァントゥでマルコ・パンターニがランス・アームストロングの一騎打ちが演じられた。歴史の1ページに残る激闘だった。イタリアのパンターニは「二流選手がゴール前で飛び出して勝ってどうする。強き者は常に前で走る!」という欧州の伝統的な王道を貫くタイプ。一方、米国のアームストロングは「山岳で脱落せず、タイムトライアルで一気に首位に立つ」という合理主義者。

モン・ヴァントゥではその両者がしのぎを削った。とにかく看板や残り距離表示が吹き飛ばされる強風だった。すでにタイムトライアルで総合成績をロスしていたパンターニは、逆転をねらって勝負に出た。しかしアームストロングがこれに追従。アームストロングとしてはパンターニを逃がさなければいいだけで、「最後は区間勝利をプレゼントした」と語った。

数日後にこれを聞いたパンターニが激怒。「ツール・ド・フランスにプレゼントなんてあってたまるか。もしアイツが勝負に出たら、ボクはさらにその前を走ってゴールしただけさ」

パンターニはその後、戦いを放棄するようにレースをリタイア。アームストロングが圧勝で総合優勝した。(その後不正薬物使用で記録はく奪)

モン・ヴァントゥがツール・ド・フランスのコースとなるたびに白い岩の中のシンプソンの墓は、いろいろな国からやってきた自転車愛好家の花束でいっぱいになる。ここはサイクリストにとってまぎれもなく聖地なのだから。

文:山口和幸

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山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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