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ラグビー コラム 2022年10月26日

オールブラックスを経験しよう ~ラグビー王国の代表がやってきた~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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「君はラグビーを書くのか。ダメだよ楽しみを仕事にしちゃ」

この午後、ケープタウンのニューランズ競技場でオールブラックスは決勝進出をかけてイングランドとぶつかる。母国の応援ですか? 

「ノー。僕にひいきはない。ラグビーの素晴らしいプレーだけが好きなんだ」

タラップを降りると民族舞踊と音楽が迎えてくれた。そのとき1977年のオールブラックは無防備なほど無邪気に喜んだ。まさに子どもみたいに。「おい。なんて素敵なんだ。これを見ろよ」。くしゃくしゃの笑顔がそう伝えていた。100%の自由人だ。

 ニュージーランド・ラグビー百科事典(THE ENCYCLOPEDIA OF NEW ZEALAND RUGBY)

帰国後。8年前にオークランドの書店で購入した『ニュージーランド・ラグビー百科事典(THE ENCYCLOPEDIA OF NEW ZEALAND RUGBY)』を調べた。「1977年の現地調達」の該当者について。あった。190ページ。正代表セクションとは別の「有力選手」の欄である。

「ブライアン・パトリック・ヘガティー。ニュージーランド・リザーブ1977」。概要はこうだ。「フランス遠征のオールブラックスはFBのベバン・ウィルソンとWTBのブライアン・ウィリアムズを続けて負傷で失った。そこでヘガティーを最後の6日間、ツアーに加えた。2試合にリザーブを務めた」

フレンチ・セレクション戦とパリにおけるフランス代表との最終テストマッチ、出場記録はなくとも、控えの席には確かに腰かけたのだ。

気になる経歴は「1973年にウェリントンで1試合出場。翌年、ペトーネ・クラブで南アフリカ遠征後、そのままとどまり同国のクラブでプレー、のちに英国とフランスへ渡った」。根っからの旅人である。

ニュージーランドでウェリントンの代表に選ばれるのは名誉だ。当時はオールブラックスのひとつ手前とも解釈できる。ただしヘガティーの出場歴は「1試合」。黒のジャージィとのあいだを細くない河が隔てていた。一部の記録には「ウェリントン・コルツ(年代別代表)で1試合」ともあって、ならばなおさらだ。

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