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サイクル ロードレース コラム 2011年7月25日

ツール・ド・フランス現地レポート オペレーション・イエロー レオパード・トレックのツール・ド・フランス2011

ツール・ド・フランス by 寺尾 真紀
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7月最初の土曜日。フランス北西部ヴァンデ州の海辺の町ラ・バール・ド・モンは太陽の光と高揚感で溢れていた。ロードレース最高峰のグランツール、ツール・ド・フランスが今年も巡ってきたのだ。今日、この場所で、美しくも過酷な3週間の闘いの火蓋が切って落とされる。色とりどりのチームバスの間を行きかうファンたちは、黒と白のモノトーンに涼しげなミントブルーのバスを探し当て、ブラックガラスの向こう側に誰かの姿が見えないかと目を凝らす。入り口のカーテンが揺れるたびに、期待のため息がもれる。そのうち誰かが我慢できなくなって大声で呼んだ。

「アンディ! アンディ・シュレク!!」

今年のツール・ド・フランスで最も大きな注目を集めるのは、ルクセンブルグのチーム、レオパード・トレック。チーム・リーダーとしてシュレク兄弟を擁する。マイヨ・ジョーヌを追い求めるアンディとフランクの3週間の旅を支えるのは、前所属チーム、サクソバンクからのチームメートを中心とする7人。TT世界王者のファビアン・カンチェッラーラ。14回目のツール出場となるイェンス・フォイクト。レース中はアンディのガード役を任されるスチュアート・オグレディ。ツール2回目、山岳でアシストが期待されるヤコブ・フグルサング。HTCから移籍してきた山岳スペシャリストのマキシム・モンフォール。ツールステージ優勝経験者のリーナス・ゲルデマン。TTを得意とするルーラー、ヨースト・ポストゥーマ。

チームメンバー全員が揃ったプレス会見では、日に焼け、体つきが逞しくなったアンディが印象的だった。

「今回のツールには、勝つためにやってきたんだ」

普段のやんちゃさは影を潜め、どこか覚悟を決めたような、腰が据わった雰囲気があった。

「マイヨ・ブランを手に入れてきたから何となくそれで納得したような気持ちになっているけれど、実際のところは2年連続で優勝を逃している訳だからね。もう新人賞は貰えないから、優勝を逃したら手ぶらで帰るしかない。もう言い訳はできないんだ」

「最高のチーム、最高のチームメートとここに来ている」、どんな言い訳もできないダメ押しをするかのように、アンディはそう強調した。

真の総合優勝(GC)レースが始まるのはピレネーから、そして勝者はアルプスで決まる、というアンディ自身の言葉通り、あちこちに潜む危険の可能性を回避し、アンディとフランクを山岳まで安全に運ぶことがレオパード・トレックの1週目のミッションとなった。

「選手たちがナーバスになるから、1週間目にはクラッシュが多発するもの。でも今年は連日の雨と狭くて曲がりくねったコースが、レースをますます危険にしているんだ。スプリンターチームもGCチームも誰も彼もが集まってきて集団の前方は大変な騒ぎだよ」

どんなにへとへとになってゴールしてもコメントを嫌がらないフォイクトの傍らを、消耗した様子のカンチェッラーラが無口にすり抜けていく。普段はサービス心旺盛なオグレディもバスに戻ってきてすぐには声が出ないほどだった。

「連日クラッシュがあって雨も降り止まないから、プロトンのナーバスさは異様だよ。兄弟たちをプロテクトして、ペースを上げて隊列を縦長にして…ああ今日も良く働いた!」

エースには、レース中ぴったりそばにいてポジションを守ったり、風を避けたり、近くで起こる様々なトラブルに細心の注意を払う「ガード役」がいるものだが、アンディにとってはオグレディ、フランクにとってはカンチェッラーラがそれにあたる。CSC、サクソバンク時代から続く組み合わせだ。

第1ステージのクラッシュ、2日目のチームTTでタイムを失った昨年の優勝者アルベルト・コンタドールはその後も更なる落車に見舞われ、第9ステージ後にはGC候補のトップタイムから2分以上の遅れ。総合狙いの選手の中では最上位で休息日を迎えたエヴァンスと、フランクは3秒差、アンディは11秒差。ヤネス・ブライコヴィッチ、ブラドレー・ウィギンズ、クリス・ホーナー、ユルゲン・ヴァンデンブロック、アレクサンドル・ヴィノクロフなどが落車による影響でリタイアを余儀なくされる中、文字通り無傷で1週目を終えた。

休息日。アングラール・ド・サンフルール村のホテルで、レオパード・トレックの選手たちは一様にリラックスした様子を見せた。「アンラッキーな13」がビブナンバーとなり、最初は上下逆さまに貼り付けてゲン担ぎをしていたヤコブ・フグルサングも笑顔を見せる。

「これだけアクシデントが続いた中で、上出来の1週間だったと思う。チームメートも一人も欠けていない。運も味方してくれたね。大切なことだよ!」

HTCからレオパード・トレックに移籍してきたモンフォールは、平坦ステージでも山岳ステージでも究極的には『足があるかないか』だと言いつつも、チームの仲の良さが気を楽にしてくれる、と話した。

「HTCもまとまりはいいチームだったけれど、どちらかというと目標達成のために生まれた一体感という感じだったから」

一体真のエースはどちらなのか、どちらが勝ちに行くといつ決めるのか、というお決まりの質問にシュレク兄弟は飽き飽きした様子を隠さず、早々にプレス会見は終了。

「おーい、いつ出るんだ?準備できてないのは誰だ??」、カンチェッラーラの大声に急かされながら兄弟たちが手早くレーススーツに身を包み、交代でクリートを調節すると、チームはガラピ鉄橋を渡って練習走行へと出掛けていった。

晴れ渡った休息日とは一転して、南フランスでの第2週目は雨でスタートした。フォイクト、オグレディ、カンチェッラーラが中心となってペースを作り、他のGC候補たちにはタイム獲得を許さず、同じタイム差を守るようコントロールしながらピレネーまでの2ステージをつなぐ。第12ステージ、クニョーからピレネー3連戦が始まった。

「とにかくペースを上げてレースを難しくして、ライバルたちがどんな反応をするか見てみようと思ったんだ」

ツールマレーに向かう過程でライバルたちの振り落としにかかり、集団の人数が絞られたところでアンディが様子見のアタックをかけるが、コンタドール、エヴァンス、バッソも反応し、誰も引き離すことができない。それでも右、左からアタックを続けるうちに、今度はフランクが集団を抜け出すことに成功した。

「先頭の2人に追いつくことはできなかったのが残念だったけれど…」、悔しがる3位のフランクから20秒遅れでアンディ、エヴァンス、バッソらはリュザ・ルディダンのフィニッシュラインを越えた。コンタドールはそれから13秒遅れのゴール。

山頂の冷たい空気と疲労で、ソワニエに抱えられたフランクは蒼白だった。「コンタドールがジロ・ツールのダブルをしたのは間違いだったと思う?」という質問に「…まだリストからコンタドールを消すのが間違いだと思うよ」とだけ答え、スタッフに周りをガードされながら山を降りていった。

翌日に備えてか、ポーからルルドのステージは比較的静かに過ごしたレオパード・トレックは、ピレネー3連戦の最終日に力を注ぎ込んだ。

「プランはパーフェクトだった。イェンス(・フォイクト)とリーナス(・ゲルデマン)をエスケープに送り込んで、後ろではオグレディが中心になって牽きに牽いた」

プラトー・ド・ベイユの頂上に向かう先頭集団では、アンディのアタックをきっかけに、誰かが飛び出しかけては引き戻され、というにらみ合いが延々と続いた。

「あんなに短いアタックでは差をつけることなんてできない。覚悟を決めて長いアタックをかけないと!」レース後、イヴァン・バッソはシュレク兄弟に対してそうコメントしたが、それを聞いたアンディは肩をすくめた。

「もっと厳しい上りじゃないと差なんてつかないさ。もともと分かっていたことだよ。最初から言っていたとおり、勝者はアルプスで決まるんだ。ピレネーは、挑戦者のノミネーションでしかなかったね」

この日下りで2回クラッシュしたフォイクトは、足を細かい傷だらけにして戻ってきた。鈴なりになってカメラを向けるメディアを一瞥すると、「良い日(グッド・デー)と悪い日(バッド・デー)。今日はバッド・デー!」と肩をすくめてチームバスへと姿を消した。

第2回目の休息日をはさむのは、ピレネーからアルプスを結ぶ2ステージだ。まず平坦なスプリントステージ。風向きと分断に注意を払い、エースを良いポジションに保つ1日。休息日の翌日は、ローヌ川のほとりからガップへの中級山岳ステージ。マンス峠からガップへの下りが危険であることは事前から取りざたされており、最初から「気が進まない」とアンディは周囲に漏らしていた。

その一方で、ダウンヒルを得意にするコンタドールは一気に攻撃に転じた。サンチェス、そしてエヴァンスもそこに加わり、アンディ、フランク、バッソなどの差を広げていく。結果的に2位に浮上したエヴァンスからフランクは21秒遅れ、アンディは1:09遅れとなった。

「ツールに必ず1回『最低最悪の1日』があるとしたら、それが今日だったね。明日からはまた心機一転して挽回を図る。取り返しがつかないタイムロスではないから」

翌日のステージの終盤にも2級山岳、プラマルティーノ峠からの下りが登場することから、前日の繰り返しになるのではないかという見方もあった。しかし、ピネローロへの下りでこの上なくアグレッシブな走りを見せたコンタドールの背後には、ぴったりとフランクとアンディがついていた。

「難しさや危険の質がまったく昨日とは違う。昨日の下りは、ツールのコースに含まれるべきではなかった」、チームメートでも大切な友人でもあったワウテル・ウェイラントをレースで失った、という経験を持つからこそ、声を大にして伝えたい、とフランクは唇を結んだ。

「明日からはずっと待っていたアルプス。総合優勝の候補たちからは、ピレネーとは違ったアグレッシブなレースが見たい」そう言っていたアンディ自身が、これほどまで果敢なアタックを打って出るとは誰が想像しただろうか。

ピネローロからまだ雪の残るガリビエ峠への200.5kmの道のり。アンディ・シュレクはゴール前60km、イゾアール峠への上りでアタックをかけた。たった一人で逆風の中を突き進み、先行していた選手を一人ひとり追い抜いていく。ポストゥーマ、モンフォールが最後の力を貸し、ロータレ峠を過ぎたところで単独トップに立った。荒涼たるガリビエ峠の頂上に拳を何度も突き上げながらゴールしてきたアンディの表情には、心から誇りに思うなにかを成し遂げた者のそれだった。

「この計画は、何日前かにフランクとスチューイ(スチュアート・オグレディ)と話していて考えついたんだ」それだけ言ったところでアンディはテレビカメラに包囲されてしまったが、フォイクトがその後を引き継いで説明してくれた。

「逃げ集団に山岳スペシャリストとTTを得意にする選手を送り込んで、1つ目の山岳まで到達する。山岳のアシストはあとで必要になるからなるべく力はセーブする。とにかく1つめの山岳まで逃げは無事に辿り着かなくてはいけないんだ。後ろでは我々がプロトンをハイスピードで引き始める」

「そこからアンディが抜け出して、逃げ集団にブリッジする。みんなが到底無理だろうと思うような状況でね!」

「もちろんチームメートは疑いの余地なくアンディの成功を信じてるわけだけれど・・・万が一アンディが逃げ切れなかったら、こんどはフランクで勝負さ!」

当日朝のバスの中で、モンフォールとポストゥーマが逃げに入る役割を任された。

「2008年ツールで、サストレと一緒にこういう感じのことをやったことがあるんだ。アンディとフランクとオグレディで話していて、そのことを思い出したんじゃないかな」

大きなリスクをはらんだアタックだったが「勇気を持たなければ栄光を手に入れることはできない」と信じてチャレンジした、というアンディ。

「昔から言っているとおり、ツールの勝者は山岳で決まるべきなんだ!タイムトライアルで勝者が決まるツールは、本物じゃない。だから今は誇りを持って言える。僕にはツールの勝者になる資格があるってね。そして自分には十分その可能性があると思う」

前日のコースの逆を辿るような第19ステージでは、もう失うもののないコンタドールがレース早々の15kmからアタックに出た。昨年の王者の攻撃を受けて立つことができたのは、前日のヒーロー、アンディ・シュレックのみ。2人とメイン集団との差は一時1分40秒以上まで広がったが、最終的には総合優勝候補は全員が合流、振り出しに戻った。つまり、現在マイヨジョーヌを身にまとうアンディ・シュレクを、2位で53秒差のフランクが追い、57秒差で3位のカデル・エヴァンスが追う、という状況だ。このタイム差で、グルノーブルのタイムトライアルに挑戦することになる。

タイムトライアルを得意とし、更にドーフィネで同じコースを走ったエヴァンス。コースは車からのビデオで確認したが、実際に走ったことはない、というアンディ・シュレク。コースを実走していないことについて「まったく不安はない」と言い切ったが、昨年ツールのロッテルダムで周囲の勧めに反してタイムトライアルのコースを下見せず、コンタドールに対して大きくタイムロスした過去がある。57秒は、エヴァンスの追撃をかわすにはあまりに小さいバッファーだった。

「結局は朝にコースを下見したんだよ」

タイムトライアルのスタートボックスに姿を消したアンディを見送って振り返ると、アンディとフランクの実父でありコーチであるジョニー・シュレクが立っていた。息子がツールを制するかしないかが、いまこれから始まるタイムトライアルで決まる。その胸中はどんなものだろう。

「アンディはやる気だけれど、現実的には厳しいだろう」

グランデパール前日から全ての日程を通してチームに帯同していた彼には、何度か2人の息子について質問をさせてもらった。息子をコーチすることの難しさ、2人の性格の違い、チャンピオンになるための資質の有無。どんなに2人を客観的に見ようとしてもなかなか難しいものだとため息をついていた父だったが、その言葉は結構さばさばとした響きだった。もしそうだとしたら残念だと水を向けると、ジョニーは笑って首を振った。

「だんだんチャンピオンらしくなってきているから。勉強、勉強」

結果的にカデル・エヴァンスはキャリア最高のTTを走り切り、恩師のアルド・サッシにささげるツール初制覇を遂げた。アンディ・シュレクはエヴァンスに遅れること2:31のタイムでフィニッシュラインを越え、そこで待っていた兄の胸に顔をうずめ、そのまま長いことうつむいたままだった。1:34の差で、今年もまた手で届かなかったマイヨ・ジョーヌ。胸の中にこみ上げてきた思いを押し殺して、次に顔を上げたときの彼は笑顔だった。父が言うとおり、末っ子はちょっと意地っ張りの負けず嫌いなのだ。

最終日。HTCトレインがシャンゼリゼの石畳を轟音を上げて突き進み、マイヨ・ヴェールに身を包んだカヴェンディッシュをフィニッシュラインへと送り出す。その後方で、レオパード・トレックの旅は穏やかに終わりを迎えた。3週間全力でアシストし続けた仲間たちが、シュレク兄弟を囲むように、ゆっくり上体を起こしてゴールする。旅の始まりに目標にしていたとおり、兄弟は揃って表彰台に立つことができた。マイヨ・ジョーヌの隣に、レオパード・トレックのチームジャージで並んだ。

ポディウム・セレモニーが終了したあと、レオパードトレックのメンバーは自転車でコンコルド・ラファイエットに向かった。ようやく辿りついたパリの町を心から楽しんでいるように、自転車での旅の終わりを惜しむかのように、あせらず、ゆっくりしたペースで、後ろに大渋滞を起こしながら(!)進んでいった。アンディは気分よく先頭を進み、その後ろでは難しい顔をしたフランクがゲルデマンに何か話しかけている。ポストゥーマは両手を使って、フグルサングに何かを一生懸命説明している。カンチェッラーラはのんびりしすぎて遅れがちなフォイクトとオグレディが気になるらしく、振り返っては大声でペースを上げるように促している。全21ステージ、これまでどんなに調子の良い日もウィンクを見せるサービスはなかったアンディだったが、ふと路肩のこちらに向くと、パチリとウィンクをした。

代替画像

寺尾 真紀

東京生まれ。オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジ卒業。実験心理学専攻。デンマーク大使館在籍中、2010年春のティレーノ・アドリアティコからロードレースの取材をスタートした。ツールはこれまで5回取材を行っている。UCI選手代理人資格保持。趣味は読書。Twitter @makiterao

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