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野球 コラム 2019年2月6日

降り注ぐ陽光、そよぐ風、溢れる希望「スプリングトレーニングの起源と変遷」

MLB nation by 豊浦 彰太郎
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「野球のない冬の間はじっと窓を見つめ春が来るのを待っている」ロジャース・ホーンスビー(1920年代に2度三冠王に輝く、1942年殿堂入り)

NFLのスーパーボウルが終わると、いよいよベースボールのシーズン到来だ。来週、各球団のバッテリー組がキャンプインする。ファンは昨年のワールドシリーズが終わった瞬間から、この日をカウントダウンしながら待ち続けていたのだ。

スプリングトレーニングの起源に関し、記録に残っている最も古いものは1870年だ。最古のプロ球団であるシンシナティ・レッドストッキングスとシカゴ・ホワイトストッキングスが、ルイジアナ州ニューオリンズでトレーニングを行ったという。

現在スプリングトレーニングは、フロリダのグレープフルーツ・リーグにせよ、アリゾナのカクタス・リーグにせよ、開催地に大きな経済効果をもたらすビッグビジネスだ。各自治体は誘致・引き留めにやっきになっているが、スプリングトレーニングはその黎明期からビジネスとしっかり結びついていたようだ。

1890年代には、スタンダード石油の創立者として知られる実業家のヘンリー・フラッグラーがフロリダのセントオーガスティンまで鉄道を敷かせホテルを建設し、スプリングトレーニングを観光資源のひとつとして活用していた。

ただし、当時のスプリングトレーニングは相当のどかなものだったようで、練習時間は午前中に1~2時間のみというのが一般的で、午後は選手たちは思い思いに過ごしていたという。キャンプはオフの間の酒と薔薇の日々?でなまりきった肉体を開幕に向けて徐々に絞り込んで行くためのもので、今日のように各自が予めしっかりトレーニングを積み、キャンプはシェイプアップされた肉体でポジションや登録枠を争う場、という訳ではなかったのだ。

1949年に公開されたジーン・ケリーとフランク・シナトラ主演のミュージカル映画「私を野球に連れてって」は、20世紀初頭のスプリングトレーニング時期での野球選手のフィールド外のハプニングを題材にしたものだ。主人公は、オフの間はトレーニングより副業のエンタテイナー業に精を出し、キャンプでも練習はそこそこに色恋沙汰三昧だ。ある意味当時の野球選手とスプリングトレーニング像を象徴しているとも言える。

この映画は別にしても、当時のスプリングトレーニングは基本的にシェイプアップが主目的なので、南部で約2週間を掛け体のコンディションを整えると、その後は各地を巡業をしながら本拠地のある北部(1958年にドジャースとジャイアンツがニューヨークから西海岸に移転するまで、MLBの本拠地は基本的にアメリカ地図の「右上」部分に集中していた)に向かい旅を続ける、というのが当時のスタイルだった。

また、当時は各球団とも短い年数でキャンプ地を変更していたようだ。これは、南部各都市が熱心な誘致合戦を繰り広げていたためで、各球団は「売り手市場」であることを最大限に活用し、複数都市と交渉しながらキャンプ開始寸前の1月にベストな条件の街をチョイスしていたという。

そのスプリングトレーニングも戦時中は停滞期を迎える。移動が厳しく制限されたためフロリダなどの南部諸州まで移動することができず、寒い本拠地周辺の都市での集合練習を余儀なくされたらしい。

戦後、スプリングトレーニングは再び活性化し、あらたな展開を迎える。キャンプ地が西部にも広がったのだ。これにより、フロリダとアリゾナの2大キャンプ地時代を迎えるのだ。背景には、球団数拡張(エクスパンションという)や移転によるMLBの球団配置の変化もある。

その結果現在ではそれぞれ15球団だ。ほぼ互角というか、近年はむしろアリゾナの方が優勢な印象が強い。雨の少ない気候や、比較的狭い地域にキャンプ地が集中しており選手にも運営側にもそしてファンにも利便性が高いためだが、長いこと本場のフロリダと後発のアリゾナ、というイメージが強かった。

しかし、そんな老舗フロリダにも辛い歴史があった。1946年にジャッキー・ロビンソン(もう1人、大成しなかったが黒人選手がチームメイトとして在籍していた)が始めてマイナーリーガーとしてキャンプに参加した頃は、人種的偏見の強い南部では白人と黒人が一緒にスポーツ競技を行うことは州の法律で禁止されており、ロビンソンが出場予定の試合がキャンセルされたり、ロビンソンは警察からダグアウトから出て行かないと逮捕するとまで告げられ、実際そうせざるを得なかったこともあった。

そして、似たような状況は1960年代まで続いた。例えスーパースター級の選手でも黒人は宿泊施設に受け入れてもらえず、スプリングトレーニング中は施設近隣の黒人の有志宅を泊まり歩かねばならなかった事実は語り継がれねばならない。

代替画像

豊浦 彰太郎

1963年福岡県生まれ。会社員兼MLBライター。物心ついたときからの野球ファンで、初めて生で観戦したのは小学校1年生の時。巨人対西鉄のオープン戦で憧れの王貞治さんのホームランを観てゲーム終了後にサインを貰うという幸運を手にし、生涯の野球への愛を摺りこまれた。1971年のオリオールズ来日以来のメジャーリーグファンでもあり、2003年から6年間は、スカパー!MLBライブでコメンテーターも務めた。MLB専門誌の「SLUGGER」に寄稿中。有料メルマガ『Smoke’m Inside(内角球でケムに巻いてやれ!)』も配信中。Facebook:[email protected]

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