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モータースポーツ コラム 2026年7月10日

フェラーリ・チャレンジに思う

今日も今日とてプッシュ&ルーズ by 高橋 二朗
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山を登り、沢を見つけ、上流へ。源流は、最初の一滴が落る場所。それを水干(みずひ)と呼ぶ。どんな大河でもここが始まり。

数多あるワンメイクレースの中でもグローバルに展開されるプレステージカーのワンメイクシリーズの先駆けはフェラーリ。1993年にフェラーリ・348によるフェラーリ・348チャレンジのイタリア選手権とヨーロッパ選手権が始まった。現在、フェラーリチャレンジは、フェラーリ296を用いてヨーロッパ選手権、アジア・パシフィック選手権、北アメリカ選手権、イギリス選手権、そして日本選手権が展開されている。

348による国内選手権が開始されたのは1995年のこと。当時、国内にはフェラーリの日本法人は存在せず、オーナークラブ有志の呼び掛けでフェラーリの輸入元/発売元だったコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドが共同でシリーズを開始した。当時の参加者は、全国各地のフェラーリコレクターや愛好家。年齢は決して若くなかった。シリーズ開始前年には筑波サーキットで練習走行会が行われ、そのコーチを太田哲也選手が348でのハイスピードドライビングを手解きし、同乗走行でちょっとクセのあった348のコーナリングアプローチを体験してもらった。参加者の大半がフェラーリオーナーではあるけれど、レーシングスピードでサーキットを走行し競争するという経験はなかった。

シリーズに供給されたタイヤは、イタリアのピレリ社製レーシングタイヤである。同社は現在のシリーズにも供給を続けている。しかし1995年当時は、ピレリ社には日本法人が無かったので、オペレーションは輸入元/販売元の株式会社阿部商会が担った。タイヤは、ピレリ社から無償提供され、販売目的で輸出入するのではなく、物品の一時輸入に伴うATAカルネによる免税通関で管理されていた。同数の再輸出が必要なため、各チームにはタイヤパスポートが発行され、本数の厳密な管理と回収が行われていた。

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開幕戦は、TIサーキット英田(現在の岡山国際サーキット)だった。練習走行の1日前にようやくタイヤがサーキットに着くという綱渡り状態で迎えた初戦だった。現在のフェラーリ・チャレンジでは、一定数以上のタイヤは有償扱いとなっているが、1995年は、同シリーズの正に水干だったと言える。現在のフェラーリ・チャレンジは、ハイエンドのワンメイクレースとなっている。

中国の故事に「水を飲む時、井戸を掘った人を忘れない」とある。
初年度を支えた株式会社阿部商会の社員さんの一人が、先日他界したという訃報が届いた。彼の尽力があってこそ、今がある。

文:高橋 二朗

高橋 二朗

高橋 二朗

日本モータースポーツ記者会会長。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。

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