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昨季限りでSUPER GTを引退したロニー・クインタレッリ
人生の転機となる恩人に出会うかどうかなど誰にも分からない。
年が明けて、公益法人 自動車技術会 関東支部の特別講演のお手伝いをした。支部事務局の意向でモータースポーツ関係者の講演を行いたいというので、何人かの候補を伝え、そして昨年でSUPER GTの現役を引退した人物に決まった。そう、ロニー・クインタレッリだ。彼と相談しながら講演の内容と講演の補助となるパワーポイントのスライドを構成、制作した。
講演に向けて彼とやりとりしている中でそれまで知らなかったことがあって本当にビックリしたことがあった。というか、モータースポーツジャーナリストとしてそれに注目していなかったことに猛省した。
レーシングカートの世界でトップの座を極めたクインタレッリ。そして4輪の世界へ。ヨーロッパのイタリア、ユーロカップ、ドイツのフォーミュラルノーシリーズを戦っていたが、資金不足でその先はどのようなチャレンジが出来るかは分からなかった。ある日イタリアのベネト州ベローナの自宅に電話がかかってきた。彼は不在で妹さんが出た。相手の男性は英語で話してきて、妹さんは覚束なかったけれど、なんとか英語で応対し、教えられた電話番号にコールバックを約束。帰宅して彼自身が連絡すると、それは、日本のモータースポーツへの誘いだった。2002年にクインタレッリは、日本へ。そしてGC21のステアリングを握ることとなった。
筆者が保管していたGC21のパンフレット
レーシングカートの国際イベントで鈴鹿の地を踏んだことはあったが、4輪レースでの日本デビュー。富士スピードウエイで行われたGC21の最終戦にスポット参戦。充分な練習もできずにいきなり乗り込んだのはF3をベースにカウルを纏ったGC21。予選は6番手。しかし決勝で優勝を果たす。その走りが目に止まり、翌年にはF3に参戦が決まった。GC21のシートを与えてくれたのは、INGINGとピエール・アンリ・ラファネル氏。ご存知の方も多いだろう。F1の経験もあり、日本でグループAのツーリングカーの全日本選手権、GT選手権で活躍した。ラファネル氏は、国籍を問わず、若手ドライバーにチャンスを与えようとしていた。レーシングカートで卓越した速さを示したクインタレッリが目にとまったのだった。
彼のドライブした青いGC21マシンのボディサイドにオレンジ色の【RAPHANEL】の文字が。この巡り合わせがなかったら4度のSUPER GTチャンピオンを獲得するドライバーは生まれなかった。ラファネル氏はクインタレッリにとっての恩人だ。
文:高橋 二朗
高橋 二朗
日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。
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