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野球 コラム 2022年12月28日

2022年に亡くなった元MLB選手&関係者「67年間のドジャースの声」「殿堂入りした不正投球者」

MLB nation by 豊浦 彰太郎
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引退後は、1980年8月から81年5月までマリナーズの監督を務めたが、不成績に加え、自軍に有利になるよう本拠地の打者席の枠の位置を変えさせ処分を受ける不祥事もあった。

私生活でも、薬物に溺れた時期があった。自伝では大女優のドリス・デイとの関係を示唆しているが、デイは否定している。

息子のバンプは1983〜84年に阪急ブレーブスに在籍したが問題児で、上田利治監督と度々衝突した。

ブルース・スーター 10月13日没 69歳

通算300セーブ。リリーフ投手として4人目の野球殿堂入りを果たした。

彼を語る際に、その輝かしいキャリアとともに、代名詞でもあったスプリット・フィンガー・ファストボールに触れぬ訳にはいかない。

プロ入り後、すぐひじを故障したスーターは、73年の春季キャンプで、マイナーリーグ・ピッチングインストラクターのフレッド・マーチンからスプリッターの習得を勧められた。これが転機となった。

76年にメジャー昇格。翌年には31セーブ&防御率1.34。79年には当時のメジャー記録タイの37セーブでサイ・ヤング賞を受賞した。

その全盛期のスプリッターは、正にアンヒッタブルだった。スパーキー・ライル(77年サイ・ヤング受賞)やローリー・フィンガース(殿堂入り)ら70年代を代表する救援投手は、どちらかと言えば投球術で打ち取るタイプだったが、スーターはそうではなかった。相手打者を圧倒して打ち取るという点では、現在のクローザー像の奔りだったと言えなくもない。

ゲイロード・ペリー 12月1日没 84歳

通算314勝、両リーグでのサイ・ヤング受賞(兄のジムとともに兄弟での受賞者でもある)、そして殿堂入りと栄光に満ちた球歴だが、それ以上にスピットボールに代表される異物使用やボールへの加工など、ありとあらゆる「不正投球」を駆使した人物として知られる。

メジャーでは近年、異物を付着させる投球が厳しく取り締まられるようになったが、ペリーの現役時代は言ってしまえば「イカサマばくちも芸のうち」だったのだ。そして、彼が活躍した1960〜70年代は、今より観客もテレビ中継も少なく、高性能カメラでマウンド上の所作がアップで映し出されることも稀だった。おそらく、そのそうな環境がペリーの輩出を許した?ことはまちがいないが、サイン盗み同様、不正投球も野球の歴史とともにあったことも付記しておくべきだろう。

実は2019年の3月、アリゾナでのスプリング・トレーニングで彼の姿をお見受けした。当時80歳だったはずだが、その時の印象は「相当老いたなあ」というものだった。

文:豊浦彰太郎

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豊浦 彰太郎

1963年福岡県生まれ。会社員兼MLBライター。物心ついたときからの野球ファンで、初めて生で観戦したのは小学校1年生の時。巨人対西鉄のオープン戦で憧れの王貞治さんのホームランを観てゲーム終了後にサインを貰うという幸運を手にし、生涯の野球への愛を摺りこまれた。1971年のオリオールズ来日以来のメジャーリーグファンでもあり、2003年から6年間は、スカパー!MLBライブでコメンテーターも務めた。MLB専門誌の「SLUGGER」に寄稿中。有料メルマガ『Smoke’m Inside(内角球でケムに巻いてやれ!)』も配信中。Facebook:[email protected]

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