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野球 コラム 2022年11月30日

長すぎる晩年の後のハッピーエンディング アディオス!プーホルス

MLB nation by 豊浦 彰太郎
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ある意味では、プーホルスのキャリアはグリフィー・ジュニアのそれのように終わると考えられていた。

1990年代を代表するスーパースターだったジュニアは、デビュー以降マリナーズでの11年間で打率.299、398本塁打、1152打点、167盗塁。タイトルもMVP1回、本塁打王4回、打点王1回。球宴選出、ゴールドグラブ受賞とも10度だ。しかし、30歳で移籍したレッズとホワイトソックスでの9年間では打率.269、213本塁打、620打点、9盗塁。球宴選出こそ3度あったが、タイトルやその他の表彰には縁がなかった。そして、シアトルに戻っての2シーズンでも特に結果を残せず、2010年6月に引退した。

プーホルスは、2001年にカージナルスでデビューすると10年連続3割、30本塁打、100打点。11年目も打率.299で99打点(37発)だった。その間チームの2度の世界一に貢献し、MVPには3度選出された。首位打者に1回、本塁打王に2回、打点王にも1回輝いている。当時、「MLB史上最高の打者」とする声も少なくなかった。

ところが、2012年にエンジェルスにFA移籍してからは生彩を欠いた。同入団での10シーズンでの通算打率は.256で30本塁打以上は2度のみ。守備や走塁で足を引っ張ることも多く、選手の価値を測る指標として信頼度が高いとされるWARで、両リーグ最低となる屈辱的なシーズン(2017年)もあった。ジュニア同様、あまりにも長い晩年で、overpaid(貰いすぎ)とも批判も浴びた。

しかし、セントルイスでの最終年の神がかり的な活躍が、それらをかなり帳消しにしたと言って良いだろう。聞けば、カージナルスとも同様なアンバサダー契約を結ぶ可能性もあるという。最高の形で、彼はその球歴を締め括ったと言って良いだろう。

文:豊浦彰太郎

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豊浦 彰太郎

1963年福岡県生まれ。会社員兼MLBライター。物心ついたときからの野球ファンで、初めて生で観戦したのは小学校1年生の時。巨人対西鉄のオープン戦で憧れの王貞治さんのホームランを観てゲーム終了後にサインを貰うという幸運を手にし、生涯の野球への愛を摺りこまれた。1971年のオリオールズ来日以来のメジャーリーグファンでもあり、2003年から6年間は、スカパー!MLBライブでコメンテーターも務めた。MLB専門誌の「SLUGGER」に寄稿中。有料メルマガ『Smoke’m Inside(内角球でケムに巻いてやれ!)』も配信中。Facebook:[email protected]

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