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野球 コラム 2020年8月20日

リーグ戦より巡業、多くの斬新な試み、とんでもないスーパースター、「二グロリーグ設立100周年」

MLB nation by 豊浦 彰太郎
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8月16日(日)、MLBは二グロリーグ設立100周年を祝った。全球団の選手、監督、コーチ、審判員が左胸に記念のパッチを付け、マーリンズは1930年代に活動したセミプロ球団マイアミ・ジャイアンツの復刻ユニホームを着用した。また、カンザスシティのニグロリーグ博物館のボブ・ケンドリック館長がオンライン始球式を行った。

マーリンズが着用した復刻ユニはこちら

1920年、シカゴ・アメリカンジャイアンツのオーナーのルーブ・フォスターが、他の黒人球団に呼びかけ、カンザスシティでニグロ・ナショナル・リーグを発足させた。一般的には、これを「ニグロリーグの誕生」としている。

しかし、「二グロリーグ」という名称の組織が存在したわけではない。むしろ、20世紀前半に盛衰興亡した黒人プロ野球の総称と理解したほうが良い。実際、「リーグ」は数多く存在したし、伝説の強豪球団として球史に名を残すホームステッド・グレイズなどは、どのリーグにも属していなかった。

また、リーグの一員であっても、各球団の試合数はまちまちで、リーグ戦よりも地方巡業(バーンストーミングという)の方に熱心な球団も少なくなかった。また、財政的に厳しい球団は、簡単に遠征をキャンセルした。生きていくために見せ物として野球を行う旅芸人集団の側面もあった、ということだ。したがって、オフになると機会を求め国外にも遠征した。1927年と32年にはフィラデルフィア・ロイヤルジャイアンツが日本にもやって来た(こちらに着いてから対戦相手を探したという)。

また、契約の概念も希薄だった。引き抜きはしょっちゅうで、選手は少しでも良い条件を求め球団を転々とした。これを「ジャンプ」という。したがって、あっという間にスター集団が出来上がり、短期間で崩壊した。

記録がしっかり残っていないのも二グロリーグの特徴だ。運営組織の脆弱さや興行的色彩の強さも影響したと思われる。

一方で、新しいアイデアの採用には貪欲だった。夜間試合の開催はメジャーより早かった。いつでもどこでも試合ができるように、移動式照明設備を携行したのだ。また、ヘルメットの採用もメジャーより早かったらしい(当初は工事現場用を使用したようだ)。

1947年にジャッキー・ロビンソンがデビューするまで、MLBから黒人選手達は排除されていた(19世紀には黒人選手在籍の記録がある)。そのため、二グロリーグには相当優秀な選手も在籍しており、通産2000勝!を挙げた(とされる)伝説的名投手のサッチェル・ペイジや、800本塁打以上を放った(とされる)ジョシュ・ギブソンら、これまで35人が殿堂入りしている。

ちなみに、記録が完備していないこともあり、彼らの残したエピソードは人口に膾炙するにつれ増幅された。ギブソンの場合も、「ピッツバーグで薄暮に放った一撃が視界から消え、翌日にワシントンDCでその打球が空から降って来た」というとんでもない「神話」がある。また、伝説的スピードスターのクール・パパ・ベルは、「壁の照明のスイッチをオフにし、部屋が暗くなる前にベッドに滑り込んだ」らしい。

ジャッキー・ロビンソンがドジャースでデビューし素晴らしいパフォーマンスを見せると、他球団も追随し次々と黒人メジャーリーガーが誕生する。そうなると必然的に二グロリーグは骨抜きになり、1960年代に入ると完全に消滅した。

その1960年代に公民権運動が盛んになるまで、南部諸州では人種隔離という名の差別は合法だった。そんな時代を生き抜いた二グロリーガー達の苦難を語ると枚挙に暇がないためここでは詳しくは触れないが、ひとつだけエピソードを紹介しよう。

今回マーリンズが復刻ユニを着用したマイアミ・ジャイアンツは冒頭記したようにセミプロなので、正確には二グロリーグ球団とは呼べないが、二グロリーグの歴史を紐解くと、やたら「ジャイアンツ」が多い。その多くは「都市名+○○○ジャイアンツ」というチーム名で、シカゴ・アメリカンジャイアンツ、ニューヨーク・キューバンジャイアンツ、フィラデルフィア・ロイヤルジャイアンツ、ボルティモア・エリートジャイアンツといった案配だ。

実は「ジャイアンツ」というのは黒人チームを意味する隠語でもあったのだ。当時は、新聞には黒人の写真を掲載することはタブー視されていたため、記事にせよ開催告知の広告にせよ、ニグロリーグの試合だと判るネーミングが求められたのだ。その名称にも、二グロリーガーやその運営に携わった人たちの苦労が忍ばれる。

文:豊浦彰太郎

代替画像

豊浦 彰太郎

1963年福岡県生まれ。会社員兼MLBライター。物心ついたときからの野球ファンで、初めて生で観戦したのは小学校1年生の時。巨人対西鉄のオープン戦で憧れの王貞治さんのホームランを観てゲーム終了後にサインを貰うという幸運を手にし、生涯の野球への愛を摺りこまれた。1971年のオリオールズ来日以来のメジャーリーグファンでもあり、2003年から6年間は、スカパー!MLBライブでコメンテーターも務めた。MLB専門誌の「SLUGGER」に寄稿中。有料メルマガ『Smoke’m Inside(内角球でケムに巻いてやれ!)』も配信中。Facebook:[email protected]

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