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バドミントン コラム 2024年4月18日

バドミントン桃田賢斗「充実した代表人生だった」、日本代表を引退

バド×レポ by 平野 貴也
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■成績低迷の中でも戦い続けた理由は「事故のせいにしたくなかった」

 

20年1月の交通事故後、東京五輪までは復調が間に合わなかったという見方が強かった。コロナ禍で国際大会に参加できる機会が減り、東京五輪までは多くの実戦を経験できず、五輪は自国開催で金メダル筆頭候補の重圧もあったからだ。しかし、その後も国際大会で初戦敗退が続き、異変は明らかになった。ただ、引退が近い可能性を匂わせるような弱気の発言をするようになる一方で、22年夏以降はプレースタイルの変更に挑戦。23年11月には韓国マスターズで優勝。日本A代表が主戦場とする大会よりは格下の大会ではあったが、約2年ぶりの国際大会優勝を飾るなど、意地を見せた。全日本総合選手権では、22年、23年と連覇。ファンの前で底力を見せつけるなど、復活の可能性を示した。記者会見では、事故後、成績が出なくなった中でプレーを続けて来た理由について、何度も質問が飛んだ。桃田は「事故に遭った当初は、なんで自分なんだろうと思っていないと言えば、ウソになる。本当に、辛いことだらけだった。でも、その辛いことを事故のせいにしたくないというか、それすら弾き返したかった。その気持ちと、周りの人の心強いサポートのおかげで踏ん張ることができた」と反骨心と周囲の支えを理由に挙げた。

■可能性の模索と葛藤、背景に「コートの中でしか表現できない」思い

23年の終盤は、国際大会で優勝し、全日本総合を連覇。国際大会での巻き返しが期待された。しかし、全日本総合で背中を痛めるなど、負傷との戦いは避けられなかった。24年1月のインドネシアマスターズは、予選で敗退。2月のアジア団体選手権では、格下相手に3勝を挙げたが、相手のレベルが上がった本戦では勝てなかった。桃田の成績は、大きく分ければ、交通事故の前後で大きく異なるが、事故後も迷い続けた低迷期と、その中でもがき、努力を続けて新しい可能性を探った時期とに分かれる。もう無理だ、でももう一度。挑戦を続けること自体に葛藤もあった。しかし「僕一人の考えとして代表を引退しようというのは簡単だったと思いますけど、今まで支えてくれた人たちへの感謝の気持ちは、コートの中でしか表現できないという思いがあった。そういう人たちの前で簡単に諦めたくない気持ちもたくさんあった」とプレーを通して表現できることの価値を信じて、挑戦を続けていた。

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