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日本のエースを育んだ岩手の風土
金・銀を獲得した小林陵侑
そこには銀メダルの喜びがあった。そして、世紀の名勝負といえた。
普段のW杯から、わりと仲良く接し『やあやあ、元気かい』などと声を掛け合う、同世代のリンビク(ノルウェー)との好勝負になった男子ラージヒル決勝。
一抹の悔しさはあれ、「簡単に金メダルは取れないからね」というジャンプの神様が、これからも、とことん頑張ってみなさいと、お告げのような銀メダルだった。
「こういうものですかね、悔しくはありますが、まずはやり切った。ただ、それだけですね」
淡々と応えるに終始した小林陵侑の姿があった。
シャイで寡黙なリンビクは、心優しく控えめなときがほとんどである。ところが、ラージヒルでは、狙いを定めここぞとばかりに顔つきが違っていた。スタート時のリラックス感は、抜群の集中力をしているからこその証であった。
一方、目の前に金メダルが見えそうだった小林陵侑は唇が青ざめ、それも肩甲骨のあたりに力がこもり、そのままスタートして気を入れながらも息を吐く量が少なく、力みの手前にある固さが出てきてしまっていた。これも期待にさらされたメダルの重圧であろう。
そのままサッツを外すことシューズ半分、しかも空中で横斜めの風に一瞬まとわりつかれ、この余計なローリングを上手く抑えつつ、さらには下からのカミカゼはなく、ならば丁寧にとテレマークを入れたジャンプをみせた。手応えはあったにせよ、2本目はリンビクの勢いと気力が上回った。
おめでとうと素直に声を掛けてハグをして、小林はふうと足元に目を落とした。
“日本のヒーロー”小林陵侑の原風景には、地元・岩手県八幡平市の風土があった。
名将の開(ひらき)先生と伊藤時彦コーチ(龍澤高→仙台大)に、岩手キッズプログラムで小林を発掘した見識深い五輪金メダリストの三ヶ田礼一氏(東奥義塾高→明大)そして、ご両親と、現在はもう廃校となった和寒高スキー部、和寒町や士別市、風連町の人々の想いをすべてしっかりと乗せて飛んでくれた小林陵侑。
ラージヒルの2本目は少しだけ固くなり、そこに横風があり左右に揺れて、みんなの気持ちが彼の背中に乗り過ぎてしまったようである。
いや、それは松尾八幡平と道北の皆さんが五輪を充分に楽しんでくれた証しなのかもしれない。あのジャンプと確実に決めたテレマークとともに、昔の遠征先でのシーンを彷彿させる純粋なひとときであった。
その恩師の開先生で思い出すひとつのエピソードがある。
遠く岩手から長距離ドライブで長野白馬オリンピックシャンツェの駐車場に到着した早朝。選手たちが眠い目をこすりながら直立不動で始まった朝礼。そこで語られる開先生の気迫のアドバイスがおよそ30分。その光景を目の当たりにして、おおと驚いた記憶がある。それは、そもそも岩手南部藩の確かな教えがあると、そういうのはわりと嫌いではない性分なので少し離れて静かに眺めていた。あの選手たちの中に当時の小林潤志郎選手、小林諭果選手と小林陵侑選手がいた。礼儀礼節を育む岩手の選手たち、それがいまや日本チームの最前線に立っている。
イメージ通りに飛んで掴みとった金メダル
遡ること2月6日に男子ノーマルヒル決勝が行われた。
日本のエース小林陵侑は、今季W杯で7勝をあげ通算26勝という良い流れがあった。それもゆうに飛距離150mを超える巨大なラージヒルのジャンプ台ビリンゲンW杯(ドイツ)で優勝を飾り、意気揚々と乗り込んできた五輪シャンツェだ。
しかし、ものすごく疲労感があった。長期間にわたる欧州遠征で、チームは途中帰国もできず、安らぐ場所はスイスやオーストリアでと苦心をしていた。そこでもクロカンスキーに興じて体幹を軽く鍛え直してみたりしてはいたが。その欧州から北京へと直行、ようやくジャンプ台で葛西紀明監督に出会えた。
そこでほっとして少しだけ涙目になった小林陵侑。
葛西「しっかり飛びなさいよ」
小林「はい!」
その一言と、にこやかさに満ちたアイコンタクトだけで、もはや勇気百倍となった。
監督として日本のエースを成長させ支えた葛西紀明
ノーマルヒルの1本目は緩やかな追い風、他の強豪選手らが飛びにくそうにして飛距離を落としていく状況で104.5mを記録、一気に首位に躍り出た。それも7か所の計測ポイントで、追い風0.5m前後に見舞われた中である。
日本の2番手佐藤幸椰(雪印メグミルク)はサッツの遅れで95m、欧州勢では同年代のライバルで優勝候補のリンビク(ノルウェー)は下からの吹き上げの風がまったくみられない中で96.5mと102.5m。さらにW杯個人総合首位にあるガイガー(ドイツ)は96mと99mで優勝圏外へと去った。また、ここにきて勢いあるスロベニアの若手も吹きつける追い風に叩かれて失速、そこでベテランのプレフツ(スロベニア)とフェットナー(オーストリア)が2位と3位で2本目を迎えた。
「良いジャンプを続けられればと思います。2本目もきっと緊張すると思いますが、自分のイメージで飛んでいきたいです」1本目の後に冷静に語った小林陵侑。
迎えた2本目。最終ジャンパーの小林陵侑は、空中の90m付近において追い風にしてやられたが、そこは足首の柔らかさで無難に飛び抜けて99.5mで着地。しかも、きれいにテレマークを決めて、見事に金メダルを獲得した。
スタートしてからアプローチの滑りを眺めてみると肩の力が抜けているのがわかる。そして空中では柔らかく風に対応できる上半身を持って、これらにも葛西紀明監督の教えがある。それで、慌てることなく丁寧に飛んでいった。
またメンタル的にも落ち着いて2本ともいいジャンプできたと静かな笑顔をみせた。ジャンプを待つ控室では、他の選手の様子を目で追うこともなく、ひとり瞑想に入り両手を広げて目をつぶっていた。
1本のジャンプにおけるシミュレーションを重ねメンタルを集中、最後は着地でテレマーク、空想のガッツポーズに至るまで良いイメージを構築させていた。
「強風の予選を飛べて良かったです。いつもどおりのジャンプができました。それが自信のひとつになりました」
小林陵侑は、追い風のままの悪条件でも、それなりに工夫して飛距離を伸ばしていった。
日本は24年ぶりのジャンプ金メダル(1998長野五輪船木和喜選手以来6大会ぶり)だ。
2位にはフェットナー(オーストリア)が入り、3位には復調を果たしてきたクバツキ(ポーランド)がきた。
ときに賢明にアドバイスを送っていたのは葛西紀明監督だ。
小林陵侑が昨年11月に新型コロナウイルスへ感染し、フィンランドのクーサモ・ルカへ隔離された10日間に、ここでふてくされてしまうのは良くないと、頻繁に連絡を取っていた葛西監督。憤る小林が放つ愚痴の数々を黙って聞いていた。
「その怒りを次の試合にぶつけていきなさい」
と、短く一言。それが功を奏した。
極寒で、静かな隔離部屋で落ち込んでいると、さらに奈落の底へと突き落とされそうなメンタルになった時に、葛西監督からの連絡は絶妙な手助けとなった。
ジャンプの酸いも甘いも知り尽くすレジェンド葛西監督と会話をするたびに顔色が良くなり、みるみるうちに元気になっていった小林陵侑。
ノリさん(葛西監督)が心のよりどころとなり、会えるたびに、言葉は少ないがアイコンタクトのみであっても、それはもう充分なのだ。
小林陵侑に金メダルをかけて貰った葛西監督は、カミカゼカサイの異名と欧州で畏敬を得たレジェンドの称号もどこ吹く風、あれは遠く下川町のジャンプ台ではしゃぎまわる子供のような素振りをみせて歓喜に暮れた。
ついにシーズンエンドへ。再開するW杯
小林陵侑はW杯個人総合優勝を目指し、タフなシーズン後半戦を戦う
今週末から再開するW杯は、2月25日(札幌代替個人戦1試合)、26日(団体戦)、27日(個人戦)にフィンランドで名門3連シャンツェとして名高いラハティで開催される。
続いて3月3日のリレハンメル1試合に、5日と6日にオスロ、ホルメンコーレンでのノルウェー連戦となる。
W杯終盤戦へ、さらに個人総合優勝への道と、メダリストがそれぞれしのぎを削り合うタフな闘いとなる。その後にはフライングのオールドファッションな台、オーベルスドルフ(ドイツ)と最終シリーズの巨大なフライング台プラニツァ(スロベニア)が控える。
もちろん五輪メダリストとしての大いなる飛躍が期待できそうなのは、“五輪ノーマルヒル覇者”小林陵侑と“五輪ラージヒル覇者”リンビクだ。そこにイエロービブをキープしているガイガー(ドイツ)や、いくらか鳴りを潜めていたクラフト(オーストリア)、充分にベテランの味をみせたフェットナー(オーストリア)らの強豪選手がどこまで肉薄して、接戦を演じ試合を盛り上げてくれるのかに注目が集まる。
シーズンエンドの3月後半までまったく目が離せない勝負となるのは間違いないだろう。
文・岩瀬 孝文
岩瀬 孝文
ノルディックスキージャンプの取材撮影は28年以上、冬季五輪は連続5回、世界選手権は連続12回の現地入り取材。スキー月刊誌編集長を経て、2007札幌世界選手権では組織委員会でメディアフォトコーディネーターを務めた。 シーズンに数度J SPORTS FIS W杯スキージャンプに解説者として登場。『冬はスキー夏は野球』という雪国のアスリートモードにあり、甲子園の高校野球や大学野球をつぶさに現場取材にあたっている。
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