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ひとりの新鋭コーチ
「やあ、久しぶり」
ジャンプ台のサッツ下付近で、すれ違いざま、にこりと笑顔で語りかけられた。
てっきりオーストリアチームのセカンドコーチだと思っていた彼はトップコーチで、傍らに大柄な元選手リーデルをアシストコーチとして従えていた。
クラフトが札幌W杯で勝利を挙げてさらに連勝しようとしていたとき、大倉山のステップ上部で声をかけたことがあった。
「クラフトは立体的なシルエットにしたね、なんでだろう?」
「そうだね、ジャンプに改良はつきものだよ」
「以前はスキーと並行に寝させていたのにさ」
「キミは目がいいね」
と褒められたのかどうかはわからないが、ウインクをひとつ返してくれた。
これで、すべて明白になった。
小林陵侑(土屋ホーム)の空中シルエットはもはやすべて分析されて、4連勝で完全優勝したジャンプ週間直後に、そのもの器用なクラフトのボディにすべて伝授されていた。
名門オーストリアチーム恐るべしだ。
いやはや、まずいことになった。
金メダルを期待されたクラフト
地元のゼーフェルド世界選手権で金メダル3つ独占かクラフトは、と思いきや。
だが、心優しいクラフトは、強力なまでの地元の重圧に漫然と包み込まれてはらはらと失速していった。
見るからに独特な雰囲気にあふれた世界選手権において、しかも普段から飛び慣れているインスブルックの台であり、金メダルは楽勝だよとの予想があったのだが…。
そして、いつもなら緊張すらしない小林でさえ、落ち着きがなくなり、やや挙動不審に陥り、おや、これではまずいぞ、であった。
そうこうしているうちに、素早く小林の脳波トレーニングの情報を入手していたメンタルトレーニングの先鋭ドイツチームは、すぐさまメンタルコーチを呼び寄せた。
充分にその効果を理解している名将シュスターコーチが、ぴったりと世界選手権に標準を合わせてきたのだから、脱帽だった。
前半戦でベリンガーを外し、勢いあるアイゼンビヒラーを主軸にメダルラッシュとなったドイツの背景にはこれがあった。
惜しまれるのは、脳波トレーニングを施しているとの国内メディアへのお披露目が早すぎたことだ。
世界選手権で勝つという一大目標の下であれば、戦略的なものとしてせめて3月頭の世界選手権終了直後まで、そのお披露目を待つことはできなかったであろうか。
栄えあるメダルを確実にしてから、実はこれがあってという塩梅でまったく問題なかった。なにも、早ければよいというものではない。
その頃あれこれと攻めあぐんでいたドイツに塩を送った格好になったのは言うにおよばず。それは、あのシュミットやハンナバルドの時代に女性メンタルセラピストによるメンタルトレーナーの導入とその帯同において、輝かしい実績を打ち立てた強豪ドイツチームならではの繊細かつ迅速な対応であった。さらにそれはドーピングに抵触しそうなものはあくまで避けての、主に、対話によるメンタルコントロールの成功であった。
世界選手権の団体戦に完勝したシュスターコーチの、してやったりの、にやりとした表情はいまだに忘れられない。
俊敏なジャンプを見せた佐藤幸椰
とはいえ我が日本チームは、小林潤志郎(雪印メグミルク)と佐藤幸椰(雪印メグミルク)による大和魂、意地の一発により3位銅メダルを獲得した。
そこで持ち前のコーチング手腕が発揮された宮平秀治ヘッドコーチだ。
いつも1本目が終わるとコーチボックスの近くの木陰で、たばこを一服して様々なストレスを取り除きさらに2本目に向けて精神統一させてからチームキャビンに返る姿があった。
もちろんそこでは、あれこれ聞いたりはしないで、状況としてほんの少し、たわいない立ち話をするのが私自身、試合中のささやかな楽しみであったりもした。
初年度のシーズンながら、若手選手たちとのコミュニケーションを上手にとり、チーム全体をうまく束ねていく宮平ヘッドの手腕が光っていた。
しかも戦々恐々としたコーチボックスでは、他国コーチからの強烈な重圧をはねのけ、逆に、その返す刀であの堪能なドイツ語で、あたり一面に圧力をかけ続けた絶妙な采配によって、小林の連勝を生み出したのは言うまでもない。
快調に飛び出した小林陵侑
小林陵侑のこれから
ゼーフェルド世界選手権明けのオスロ・ホルメンコーレン大会、ロウエアーの初戦でいともあっさりとスキージャンプ年間覇者であるW杯個人総合のタイトル奪取を決めていた小林陵侑だった。
それも今季最大の山場、ゼーフェルド世界選手権では、個人戦ラージヒルにおいて名門インスブルックの台でしっかりと金メダルを獲り、その勢いを持って団体戦で表彰台にあがろうとした。はたまたノーマルヒルでオールド台の様相を残すゼーフェルドNHでは、もはや確実と言われていた金メダルだったが、猛烈な降雪の前にしたたかに落とされてしまい11位という予期せぬ順位に終わった。
そこは、翌日の混合団体ではアンカーで出場、一気にバッケンレコードを記録して、普通に飛べばこれくらいは軽いんだよと、大観衆に見せつけていた。
その世界選手権ではかなりのプレッシャーがあったのは否めない。
彼はつねに自然体でありたい、自然体ですと言い切るものの、世界王者が目の前に迫る戸惑いをみせた瞬間、身体の切れはなくなってしまった。
これも世界選手権ならではの圧迫感ゆえか。
少しだけ重圧があった小林陵侑
続くトロンハイムでは地元スチュアンセンの優勝を阻止して、圧倒した勝利。またフライングのビケルスンでは241mと高さあるフライトから飛距離を伸ばしていった。そうして最終シリーズのプラニツァでは予選で248mを記録し、日本新記録の252mで優勝。
W杯総合優勝の表彰に花を添えた。
となれば、兄の小林潤志郎(雪印メグミルク)ともにW杯において兄弟ワンツーフィニッシュをめざすことも可能、このシーンは実際にW杯予選で観られはしたが。
もともとの1本にかける心の強さは定評ある潤志郎だ。弟の活躍を暖かい目で見守りながら自分も突き進む努力を惜しまない、前向きな気持ちが伝わってくる。
今季は佐藤幸椰の躍進がみられた。佐藤は小柄ながら、全身で表現できるパワフルなバネで空中をぐいぐい進む。これは所属である雪印メグミルクの岡部孝信コーチを彷彿させる技術であり、その指導がしっかりと息づいている。
加えて昨年夏場から頭角を現し、その明るさが持ち味で、見るからに楽しそうにジャンプしている中村直幹(北海道東海大)のW杯の慣れと上昇もみられた。フライングでオーバー200mの目標もクリア、しばしその喜びに包まれた。
毎シーズンごとに、ジャンプテクニックは変わる。
これに対応して勝利することこそ、W杯トップレベルの争いとなる。
日本チームの艶やかな飛翔に期待しよう。
団体銅メダルに輝いた日本チーム
2019ゼーフェルド世界選手権成績
小林陵侑 LH4位、NH11位
日本チーム LH団体銅メダル
岩瀬 孝文
ノルディックスキージャンプの取材撮影は28年以上、冬季五輪は連続5回、世界選手権は連続12回の現地入り取材。スキー月刊誌編集長を経て、2007札幌世界選手権では組織委員会でメディアフォトコーディネーターを務めた。 シーズンに数度J SPORTS FIS W杯スキージャンプに解説者として登場。『冬はスキー夏は野球』という雪国のアスリートモードにあり、甲子園の高校野球や大学野球をつぶさに現場取材にあたっている。
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