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ラグビー コラム 2024年7月1日

ハカの中のハカを舞う ~JAPAN XV 対マオリ・オールブラックス第2戦を前に~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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正式に「ニュージーランド・マオリ代表」が結成されるのは1910年、以後、おもに来征の各国と観客をわかせるゲームを繰り広げてきた。1965年にフランスを5ー3で破る。81年には南アフリカ代表スプリングボクスと12ー12の引き分け。2005年にはブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズを19ー13で退けた。その有名なゲームには今回の日本遠征のHC、ロス・フィリポが背番号4で出場している。過去、アイルランド、スコットランド、イングランドからも白星を奪った。

他方、負のヒストリーも存在する。南アフリカの政府・協会筋より「ツアーにくるオールブラックスから有色人種を外してほしい」と水面下で求められて、1928、48、60年の同国への遠征に「オールホワイトのオールブラックス」で臨んだ。表向きは「安全」を理由に挙げた。2010年になってニュージーランド協会は「除外したマオリの選手」へ正式に謝罪した。

最後にかの有名なジャージィとマオリの関係について。1893年4月27日、ニュージーランド代表のオーストラリア遠征を前に、協会創立後初の会議が催され、主将に任命されたトム・エリソン、正しくはトーマス・ランギワヒア・エリソンが「黒のジャージィ、胸に銀のシダ」のユニフォームの採用を提案した。スポーツ界のもっとも成功した愛称のひとつ「オールブラックス」はかくして生まれる。

トム・エリソン。『100 GREAT RUGBY CHARACTERS』より。

優れたFWであったトム・エリソンは1888年のネイティブの大ツアーにも加わっていた。先住民族としてニュージーランドで最初に弁護士資格を得た人物とされる。1902年には当時の画期的な技術書『The Art Of Rugby Football』を世に出した。かつてリコーブラックラムズに所属したタマティ・エリソンは子孫にあたる。

以下、本コラム筆者の余談。確か35年前、ニュージーランド北島のロトルアのラグビー用品ショップで「マオリ・オールブラックス(当時の呼称はニュージーランド・マオリ)」のジャージィを購入した。すると、きっとマオリなのだろう年配のレジ係の男性が泣いた。「観光客はみなオールブラックスを買うのに、あなたは」と言った気もするし、無言だったかもしれない。ともかく本当に涙を流した。長くスポーツを書いたり話したりしてきて、なのに白熱の決勝より、あの午後の店内に差し込む柔かな光をよく思い出す。 

1976年、南アフリカの黒人の観客に歓迎されるマオリの英雄、シド・ゴーイング。『THE ENCYCLOPEDIA OF WORLD RUGBY』より。

 

文:藤島 大

藤島大

藤島 大

1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。 ラグビーマガジン、週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。

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