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サッカー フットサル コラム 2018年10月1日

日本代表監督の4年の任期は長すぎる?トルシエ監督の代表のピークは前年秋のイタリア戦

後藤健生コラム by 後藤 健生
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さて、僕は冒頭にこの2001年11月のイタリア戦がトルシエ監督時代の試合の「白眉」だと書いた。

トルシエ監督のチームは、もちろん、翌2002年の日韓ワールドカップでベスト16に進出することになる。ベルギーと引き分け、ロシアに対してワールドカップでの初勝利を記録。チュニジアに完勝するのだ。最後のトルコ戦は不完全燃焼に終わったものの、まあ、称賛すべき成績だった。

しかし、2002年の日本代表からは、あのイタリア戦のころの勢いは感じられなかった。

2000年の夏ごろに完成の域に近づいた日本代表は、シドニー・オリンピックでベスト8に進出。そして、10月のアジアカップ(レバノン)では圧倒的な強さで優勝。しかし、2001年に入ると、まずフランスとの試合で0対5の完敗を喫し、次のスペイン戦では守備的に戦って、なんとか0対1で凌ぐ苦しい戦いの中でアジア仕様から世界仕様への切り替えを進め、6月のコンフェデレーションズカップで準優勝と結果を出し、いよいよ世界と戦えるチームが完成した。つまり、2000年夏から2011年にかけてチームは完成度を一挙に高めていく時期にあり、そこに勢いが感じられたのだ。

だが、2002年に入ると、完成したチームを維持するだけになってしまった。たとえば、柳沢敦をサイドに置くといった奇策を使って、トルシエ監督は新鮮さを盛り込もうと腐心したのだが、2002年に入ってからの親善試合では前年のようなエネルギーは感じられなかった。

ここが、チーム作りというものの難しさである。もちろん、チームの完成度は早く上げたいのだが、チームが完成形に達してしまうと途端に勢いが失われてしまうのだ。

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