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サイクル ロードレース コラム 2013年5月20日

ジロ・デ・イタリア2013 第15ステージ レースレポート

サイクルロードレースレポート by 宮本 あさか
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「ボクらはイタリア人である前に、まず、シチリア人なんだ」。マリア・ローザ姿のヴィンチェンツォ・ニーバリは、故郷の友の勝利を讃えた。パレルモ生まれのジョヴァンニ・ヴィスコンティは、86kmにも渡る逃げを成功させて、区間勝利を手に入れた。メッシーナ生まれのニーバリは、冷静にライバルたちを制圧し、「我こそがカポ(首領)である」とはっきり見せ付けた。南イタリアのシチリア島からやって来た2人が、雪のガリビエで存在感を見せ付けた。

1998年ツール・ド・フランスで、イタリアの英雄マルコ・パンターニが切り裂くようなアタックを決めた伝説の山へ、ジロ一行は静かに走り出した。季節はずれの大雪のせいで、2日前はキャンセルさえ危ぶまれた。しかし最終的には予定よりもわずか4.25km短縮されただけで、無事にステージ開催にこぎつけた。国境の山モン・セニスも、フランス・サヴォワ県庁から「通行止め」宣言が出されたことさえあったが、夜通しの除雪作業のおかげで恐れられていた路面凍結も見られなかった。ただ58.6km地点に待ち受ける同峠の頂までは、プロトンは穏やかにニュートラル走行を続けた。

戦いの口火を切ったのは、青色ジャージを身にまとうステファノ・ピラッジィだった。山岳ポイント集めに精を出すイタリア人は、のんびりペースのプロトンから、山頂の2.5km手前で飛び出した。その機に乗じて、脚をウズウズさせていた数選手が後を追った。ピラッジィが山頂を無事に1位通過し、長い下りに入ると、7人の逃げ集団が作り上げられた。一方のメイン集団は山頂でゆっくりウィンドブレーカーを着込んだり、温かい飲み物でほっと一息ついたりと、まだまだ本格勝負に入るつもりはなかった。

ピラッジィに扇動されて前方に集結したのは、チームメートのフランチェスコ・ボンジョルノ、ちょっぴり山岳賞を狙うロビンソン・チャラプド、昨大会の山岳賞マッテーオ・ラボッティーニ、さらには昨大会で1区間制したミゲール・ルビアーノに、2011年マリア・ローザ4日間のピーター・ウェーニングと2008年マリア・ローザ8日間のヴィスコンティ。かなりの好メンバーが揃ったエスケープ集団は、ウェーニングの猛烈なダウンヒルに引っ張られているうちに、後続との差を6分以上にまで開いた。ゴールまで50kmに近づいても、アスタナが制御するメイン集団が、一向に追走体制に入ろうとしなかったおかげでもあった。

ゴール前45km、突如としてロット・ベリソルがプロトン内で加速を始めると、前も後ろも次第に緊張の色を増して行く。そして、やはりツールおなじみのテレグラフ峠へと突入すると同時に、あちこちで戦いが勃発した。

前集団で最初に動いたのは、バルディアーニの2人組だった。ボンジョルノが最後の力を振り絞り、ピラッジィを先へと送り出す。真っ先に反応できたのはウェーニングだけ。しかしヴィスコンティとラボッティーニも、決して追走を諦めなかった。

特にヴィスコンティは、人一倍モチベーションを燃やしていた。初日からさっそく逃げに乗り、山岳ポイント収集で何度も顔を出し、幾たびも逃げやゴールスプリントに挑んできた。ただし、この日は、特別だった。

「実を言うと、今日の飛び出しは計画通りだったんだ。伝説的なステージでエスケープに乗ることを、ずっと目標にしてきたからね。父や友達に、特別なステージで、特別な逃げを打つよ、って宣言してた」(ヴィスコンティ)

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