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野球 コラム 2021年12月24日

2021年のさようなら「引退選手編」―「スマートすぎるポージー」「ブラウンの大活躍と偽善」「松坂大輔の長い晩年」―

MLB nation by 豊浦 彰太郎
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松坂大輔

松坂大輔

2021年も残りわずか。今年引退を表明した選手から以下の5人をピックアップし、感慨を述べたい。

バスター・ポージー

スマートな引き際だった。昨年は、コロナ禍シーズンの全休を選択した。迎え入れる予定の双子の養子を含む家族の健康を優先したのだ。そして臨んだ今季、個人としてリーダーとしてベストな結果を出した後に引退を発表した。しかも、ワールドシリーズ終了を待って、という気遣いも見せた。まだ34歳。余力を残しての引退だった。

もともとジャイアンツのフランチャイズヒーローで、同球団の2010年、12年、14年の3度の世界一に全て中心選手として関わった。2011年には本塁でのクロスプレーで選手生命に関わりかねない大怪我を負ったが、これがきっかけとなってコリジョン・ルールが生まれた。

2021年、開幕前の下馬評は高くなかったジャイアンツは、球団記録の107勝を挙げナ・リーグ西地区を制した。ポストシーズンでは地区シリーズで宿敵ドジャースに敗退したが、自身2度目のカムバック賞に選出されたポージーは、ジャイアンツ躍進の象徴だった。将来の殿堂入りを期待する声もある。

ライアン・ブラウン

シーズン終盤に引退を表明。もっとも、昨年オフにブルワーズから2021年のオプション契約を拒否され、FA状態にあった。

全盛期のパフォーマンスは圧巻。2007年に34本塁打で新人王、2011年にはMVPで翌年は本塁打王を獲得した。しかも、2011−12年は連続で30本塁打&30盗塁を達成している。

しかし、この人物を語る際に、薬物問題とそれに関する立ち振る舞いは避けて通れない。

2011年オフに、薬物規定違反で50試合の出場停止を宣告された。しかし、彼は提訴し、調停委員会から「処分なし」の逆転裁定を勝ち取った。もっとも、これは無実の証明ではなく、弁護士ドリームチームが検査プロセスの穴を徹底的に突き、「推定無罪」を勝ち取ったのものだ。ブラウンは勝利会見を行い、陽性検体の管理担当者を酷評した。

しかし、2013年夏の球界を揺るがした薬物スキャンダルで、MLBから動かぬ証拠を突きつけられ、65試合の出場停止処分を宣告されると、あっさりそれを受け入れた。

処分中に年間シート客に謝罪の電話を掛けると「偽善」と攻撃され、例の検体管理担当者と夕食を共にすると、「買収」と非難された。復帰後は、ロードでは常に激しいブーイングを受けた。

キャリアをブルワーズで全うしたブラウンは球団史に残るスターだった。しかし、10年先、いや50年先も、彼を語る際には薬物違反とそれに伴うウソと偽善も付いて回るだろう。

クリス・デービス

上原浩治との交換要員の1人として2011年にレンジャーズからオリオールズへ移籍し、本格開花した。典型的な「ホームランか三振か」タイプで、2013年(53本)、2015年(47本)と2度本塁打王(13年は打点との二冠王)に輝いているが、200三振以上のシーズンも2度(2015年208、20116年219)ある。

最終数年の衰えは、故障の影響を考慮しても目を覆わんばかりで、2019年4月には前年からの連続62打席、54打数ノーヒット。これはともに、メジャーワースト記録を更新するものだった。引退発表は8月だが、今季はプレーしていない。一方で7年総額1億6100万ドルの契約は、来季も2300万ドル残っている。もともと彼の契約は、年俸の一部が2023年から37年!までの後払いになっており、来季年俸もこのスキームの中でしっかり受け取るようだ。

ジョーダン・ジマーマン

2013年のナ・リーグ最多勝利投手。翌年最終戦にはノーヒット・ノーランを達成するなど、それまで低迷していたナショナルズの2012年からの躍進を、スティーブン・ストラスバーグらとともに支えた。

2016年にトミー・ジョン手術経験者としては初の総額1億ドル以上の契約でタイガースにFA移籍したが、新天地では故障続きで規定投球回数に達したシーズンはなかった。

2021年マイナー契約でブルワーズへ。しかし、メジャー昇格は叶わず4月29日に引退を決意。ところが故障者発生に悩む球団から逆にメジャー昇格を打診され、一時的に引退を撤回した。その後2試合登板を経て、正式に引退した。

松坂 大輔

「平成の怪物」は、その全盛期に渡米しながら、メジャーキャリアは故障もあり尻つぼみだった。ポスティング移籍に当たり、日米メディアによる報道合戦が展開された。レッドソックスがメジャーで一球も投げていない投手にコミットした1億ドル以上の金額や、「ジャイロボール」なる魔球を操るとの噂が、アメリカのファンの妄想を掻き立てた。スプリングトレーニングの段階で、「今年のサイ・ヤング賞候補」にDice−Kの名を挙げるメディアもあった。しかし、最初の2年間こそ33勝(15敗)を記録したが、それ以降はヒジの故障と手術、そのリハビリで、大型契約に見合ったパフォーマンスは披露できなかった。そして、NPB復帰後も故障とリハビリを繰り返すシーズンが続いた。

日米を通じた現役生活は23年にも及び通算170勝だが、プロ入り後の12年で154勝、その後の11年間では16勝、最終2年間の登板は引退試合のみ。あまりにも長い晩年だった。

それでも、日本のファンは彼に対して最後まで声援を送り続けた。それだけ、アマ時代とプロ入り当初の活躍は鮮烈だったということだ。

文:豊浦彰太郎

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豊浦 彰太郎

1963年福岡県生まれ。会社員兼MLBライター。物心ついたときからの野球ファンで、初めて生で観戦したのは小学校1年生の時。巨人対西鉄のオープン戦で憧れの王貞治さんのホームランを観てゲーム終了後にサインを貰うという幸運を手にし、生涯の野球への愛を摺りこまれた。1971年のオリオールズ来日以来のメジャーリーグファンでもあり、2003年から6年間は、スカパー!MLBライブでコメンテーターも務めた。MLB専門誌の「SLUGGER」に寄稿中。有料メルマガ『Smoke’m Inside(内角球でケムに巻いてやれ!)』も配信中。Facebook:[email protected]

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