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野球 コラム 2019年12月27日

ロビンソン、バウトン 、スキャッグス ・・・「2019年に亡くなったメジャーリーガー」

MLB nation by 豊浦 彰太郎
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今年旅立ったメジャーリーガーの中から、この6人を紹介する。


フランク・ロビンソン 2月7日没 享年83歳

38本塁打での新人王、史上唯一の両リーグでのMVP受賞、三冠王獲得など輝かしいキャリアを誇るが、史上初の黒人監督でもあった彼の人生は人種差別との戦いでもあった。

彼の全盛期はアメリカ公民権運動の最盛期と符合する。1965年のオフにレッズからオリオールズにトレードされボルティモアで住居を探さねばならなかった際に、すでにメジャーのスター選手だったが「黒人だから」ということで何度も契約を断られたという。

1975年にインディアンスでメジャー史上初の黒人監督になったが、反発も多かった。前年21勝のエース、ゲイロード・ペリー(通算314勝で殿堂入り)は、「黒人監督の下でプレーしなければならないのなら、せめてサラリーを1ドルでもやつより高くしてくれ」と不満をぶちまけた(その後、ペリーは放出された)。

ぼくは彼の現役時代のプレーを生で観たことがある。それは1971年秋の日米野球(オリオールズ単一球団での来日)で、これは長年のメジャーファンとしての良き思い出であり、ささやかな自慢だ。信じられないような話だが、オリオールズの選手は日本のファンのために、背番号の下に黒のマジックで「ロビンソン」とカタカナで名前を手書きしていた。

ビル・バックナー 5月27日没 享年69歳

22年のメジャーキャリアで通算2715安打を誇り、1980年には首位打者に輝いた強打者だが、ファンの間では、レッドソックス所属の1986年のメッツとのワールドシリーズでのエラーで知られている。このシリーズ、レッドソックス3勝2敗で迎えた第6戦、同軍は延長10回の表に2点を挙げ、その裏も2アウトまで漕ぎ着けながら、同点にされてしまった。そして、2死二塁からムーキー・ウィルソンの何でもない一塁ゴロをバックナーはなんとトンネル。まさかのサヨナラ負けとなった。最終戦もレッドソックスは落とし、1918年以来の世界一を逃してしまった。

しかし、あのトンネルは過大評価されている。なぜなら、シリーズ敗退の逆転サヨナラエラーではないからだ。その前に同点にされている。彼のエラーでサヨナラ負けとなったが、それがなくても、11回表に進むだけだった。そして、何よりもその敗戦で3勝3敗のタイになっただけで、第7戦を掴めば、世界一はレッドソックスのものだった。

バックナーは不当に「戦犯」扱いされた。だが、それが不幸だったとは今となっては言い切れないと思う。もしあの失態がなければ、バックナーは他にも多く存在するツウ好みの好打者で終わっていた。しかし、メジャーの歴史を語る際に、ビル・バックナーの名は大げさに言えばベーブ・ルースやジャッキー・ロビンソンらとともに欠くことのできない存在になっている。これはすごいことだと思う。

ジム・バウトン 7月10日没 享年80歳

彼は通算62勝のありきたりの投手だが、1970年に出版した「ボールフォア」は大ベストセラーになった。メジャーリーガーの薬物使用や性生活を赤裸々に語った暴露本だったからだ。当然のことながら、その内容に対する球界内外から激しい反発があった。


「ボールフォア」をベストセラーならしめたのは、もちろんそのスキャンダラスな部分だ。しかし、この本を単なる暴露ものとして捉えるのは片手落ちだ。暴露もの、内部告発ものでしかないならその部分がニュース性を失うと本自体の命運も尽きてしまう。

しかし、「ボールフォア」は違った。これほど長きに亘り愛読され続けた本も、文学以外では珍しい。ニューヨーク市立図書館は、「20世紀を代表する100冊」のひとつにこの本を挙げている。その理由としては、バウトンが類まれなる観察眼で選手たちを描き出している点が見逃せない。メジャーリーガーはシーズン中は家族と遠く離れた単身赴任を強いられ、トレードやマイナー降格が日常茶飯事のため選手同士の本当の友情が生まれにくい。彼らは孤独な存在であり、そんな不安定な心理状態も含め「読者となんら変わらない人間である」ということをこの本は語りかけている。

そして、貫かれているにはアンダードッグ、「負け組」からの視点だ。少なくともこの本が書かれた時点では、彼は日々マイナー降格に怯える「一軍半」の選手であり(それ以前は20勝の経験もある)、監督やコーチから声を掛けられたか、そうならその時の声色はどうだったのか、ということで、チーム内の自らの位置付けを想像し、一喜一憂しているのだ。そんな部分が市井の人々の共感を呼んだことも間違いない。


メル・ストットルマイヤー 1月14日没 享年77歳

20年ものガンとの闘病を経て亡くなった。日本のファンには、松井秀喜入団時のヤンキースでジョー・トーリ監督のもと投手コーチを務めていた人物として認知されているかもしれないが、現役時代は1960年代に20勝以上を3度も記録した名投手だった。2015年のオールドタイマーズデイでは、ヤンキー・スタジアムのモニュメント・パークにサプライズでプラークが飾られ「今日この日、フィールドにいる中で私はもっとも幸せな人間」と感動を語った。


ドン・ニューカム 2月19日没 享年92歳

メジャー初の黒人投手であり、史上初のサイ・ヤング賞受賞投手だった。ニグロリーグを経て、46年にドジャースと契約。49年に昇格し17勝を挙げ新人王に輝いた。その後兵役(朝鮮戦争に従軍)を経て、56年は27勝7敗で、初代サイ・ヤング賞とMVPをダブル受賞した。通算149勝90敗も立派だが、打力も秀逸で通算打率.271、本塁打も15本塁打放っている。62年には登録名「ニューク」で、ア・リーグ初の黒人選手で後に殿堂入りするラリー・ドビーとともに中日に在籍。主として外野手として活躍した。兵役の影響もあり現役は10年と長くなかったが、引退後過度の飲酒がキャリアを縮めたとも告白した。ドジャースは今季、ユニフォームの右袖に彼の背番号36を記した喪章を付けてプレーした。


タイラー・スキャッグス 7月1日没 享年27歳

遠征先のテキサス州アーリントンのホテルで遺体で発見された。その時点ではチームトップの7勝を挙げていた。球宴後の7月12日、エンジェルスはスキャッグスの死後はじめてのホームゲームを迎えた。全員が彼の背番号45を背負ったこの試合、エンジェルスは継投によるノーヒッターを達成した。このことは多くの感動を呼んだが、その後スキャッグスの薬物使用やそのことに同球団職員が関与したことが明らかになるなど、醜聞の様相を呈している。

文:豊浦彰太郎

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豊浦 彰太郎

1963年福岡県生まれ。会社員兼MLBライター。物心ついたときからの野球ファンで、初めて生で観戦したのは小学校1年生の時。巨人対西鉄のオープン戦で憧れの王貞治さんのホームランを観てゲーム終了後にサインを貰うという幸運を手にし、生涯の野球への愛を摺りこまれた。1971年のオリオールズ来日以来のメジャーリーグファンでもあり、2003年から6年間は、スカパー!MLBライブでコメンテーターも務めた。MLB専門誌の「SLUGGER」に寄稿中。有料メルマガ『Smoke’m Inside(内角球でケムに巻いてやれ!)』も配信中。Facebook:[email protected]

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