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いつもの光景が戻ったプラニツァ
札幌W杯でのグラネル(左)クラフト(中央)小林陵侑(右)
やはり、プラニツァにどんよりの曇り空は似合わない。
しかも快晴となると、抜群な正面からの風が欲しい。
W杯最終戦のフライングヒルを迎えたスロベニア西部のトリグラ山は、大勢の陽気な観客と、ビールばっかり飲み続けている地元のジャンプファンで満ち溢れていた。
これはいつもの光景である。ようやく平穏なヨーロッパの光景が戻ってきたようだ。
我らが英雄・小林陵侑は、心にひとつの想いを抱き、至極、快活に飛んでいた。
小林陵侑のプロ転向の噂は、大倉山の時から聞こえてきていた。それもごく一部のジャンプに精通する人々とベテランで取材対象に気を使える穏やかな物腰の重鎮記者あたり数名から、自然と流れ出てくる。
「やはりな、だろうな、葛西さんはどう思うのだろう?」
つきつめると、皆がそこにいきつく。
プラニツァでのW杯最終戦の2本目、それは会心のジャンプだった。着地後に「よし!」と右手でお得意のポーズを入れた小林陵侑。
よかった、あれこれ悩みながらも良いジャンプができたではないか。現状にけじめをつけることができた。そういう風でもあった。
この先は周りに振り回されることなく、己を突き通すこと、それ次第といえる。
心温まるおにぎりで支えられたプラニツァの日本代表
ときに、思い出話を。
かつてプラニツァに大きな炊飯器を持参してくる日本人の女性ファンがいた。
日本から持参した美味しいお米で、トリグラ湖畔の水を使い、せっせとご飯を炊いていた。そして一生懸命におにぎりを握り、日本チームの面々に『食べて頂戴』と配っていたのだ。さらに、日本からたくさん来ていたファンの人たちにも食べさせ、またカレーパーティーまで開いて『さあ、明日の応援はみんな頑張るのよ、船木さんが優勝するからね!』と。
次の日、船木はあの伸びていく低空飛行で、ランディングバーンをなめるようにぐいぐいと。そして華麗にテレマークを決めて優勝、天上天下唯我独尊のポーズにて、スタンドで打ち振るわれた日の丸へその爽やかな笑顔で応えた。
『良かった、フナキチ君、私のおにぎりを食べてくれたのね』
彼女は、嬉しそうな微笑みを見せていた。
スロベニア アルペンチームの名選手であったグレガ・ベネディクさんのご婦人であるミリアナさんが女将として辣腕を振るう日本チームの定宿に差し入れられたそのおにぎりは、往時の岡部孝信、齋藤浩哉、葛西紀明、原田雅彦、宮平秀治などがにこやかに食していた。当時、まさしく天下無双のチャンピオンチームJPN。そんな日本チームの活力の源が、この1個の心温まるぎゅっと握られたおにぎりだったのである。
最後はベルクチの日本語版を堪能な英語を駆使して、ファンの皆さんに本当にわかりやすく綴り上げていた彼女だ。その彼女は去年10月、ジャンプファンの旦那さんとダンスが上手な娘さんに見守られ、自分でも天国へと飛んでいってしまった。R.I.P
また日本でラージヒル団体戦の精鋭日本チームが金メダルを勝ち取る姿を観たかっただろうな。
現在の日本チームは、そういう数多のファンに支えられている。だから謙虚なまでに飛んでほしい。さらに、おごることなかれ。
日本チームは強く、欧州へつねに殴り込んでいる、その誇りをかけて。
引退宣言を一蹴した葛西紀明
札幌W杯の葛西紀明(土屋ホーム)
「飛びたかったんですけど、スキーを持ってくるのを忘れてしまったんですよ~」
と残念そうな表情で応えた葛西紀明。最終戦シリーズでFISサイドからプラニツァW杯へ招待されていた。それも現地で飛んでくださいとのリクエストも。
さかのぼること1月から2月にかけての大倉山での国内試合であった。
「飛ぶのが、怖くて、いま。こんなのは初めてで、なんだか戸惑いがあるんですよ」
そう気心を知れた記者たちに、ぽつりと語っていた。
こちらは、どのように返答してよいのか躊躇した。
「フライングは無理ですよ。もっと技術を上げて、万全のカサイであっちに行かなければ!」
要するに200mは超えたい、しかし今季の技術では150~160mくらいでぼったりと落ちてしまう。それは恥ずかしいことではないのだが、ここでノリさんの勝負魂に火がついた。
「招待されるんではなくて、選手として出たいんですよ。だから来季も頑張ります!」
わははと一言残して、控室へと帰っていった。ほのかに流れていた引退宣言を軽やかに一蹴して、私たちはほっと胸をなでおろした。
これを照れ隠しで、スキーを持ってくるのを忘れたんですよと、大観衆のプラニツァにて。
葛西選手ならではのグッドジョークだった。
日本、海外勢の今シーズン。そして来季に向けて
五輪後の脱力感に包まれたシーズンが終了した。
海外勢では王者グラネル(ノルウェー)は、安定のジャンプで手堅く上位につけ、要所で健闘をみせたクバツキ(ポーランド)、夏場は休養にあて鋭気充分だったクラフト(オーストリア)が順当に勝利を重ねた。そして世界選手権開催で強化予算が潤沢に使われたスロベニア勢のラニセク、ザイチらは、頑張り過ぎたリーダーのP.プレフツの故障欠場によりチームは一層の奮起を見せた。スロベニア勢の雄大なH型ジャンプは、解析の価値が大いにあるだろう。
中村直幹(フライングラボラトリー)
一方の日本勢だが、小林陵侑は狙い撃ちの感覚さえあったスーツ違反などから立ち直り、地元札幌W杯において3日連続で表彰台へ昇るなどジャンプファンを元気づけてくれた。欧州ドイツの拠点初年度で実績を積み上げた中村直幹(フライングラボラトリー)は地力がついてきた。佐藤幸椰(雪印メグミルク)は、マテリアルの変化から立ち直りを目指し努力を重ねている。
そして今季、女子チームのシーズン後半の活躍が素晴らしかった。
フライングレディ伊藤有希(土屋ホーム)は、悲運のダウンヒルレーサー北嶋真智恵さんを母に、ついにはその意思を受け継いだ飛ばし屋となり、男子でも難しいだらだらランディング、150m超えのビリンゲンW杯を制した。しかも荒れた風をものともせずに膝のケガから復帰した丸山希(北野建設)が2位、3位には左膝をケアしながらも高梨沙羅(クラレ)が入り、日本女子圧巻の表彰台独占。異郷の地、北ドイツに君が代を轟かせた。
その勢いを借りて伊藤有希はフライングのビケルスンW杯でなんと200.5mのパーソナルベストを記録して3位表彰台。来季に向けて大きな希望が持てるシーズンだったに違いないだろう。
ではこれからの伸びに期待がもてる、W杯選手以外の若手選手も眺めてみよう。
・池田龍生(慶大→雪印メグミルク):フィンランドのブオカッティ留学で学んだことを活かす時がきた。ここに岡部孝信総監督の技術が組み込まれるとさらに上昇が可能。
・坂野旭飛(下川商):勝ってなお気を引き締めたい。坂野幸夫雪印メグミルク監督である親父さんの夢を叶えよう。
・竹花大松(土屋ホーム):あの神がかりなブラックヘルメットに魂を込めて進もう。
・小林龍尚:公式トレーニングをキャンセルするのは?あれは葛西さんだけに許された奥義。さあ、原点に戻ろう。
・札幌ジャンプ少年団の好敵手、佐々木選手と岡部選手、良きライバルとして日々切磋琢磨、その将来に期待だ。
このうち幾人かは、2030冬季五輪の団体戦メンバーに入る気がしている。
シーズンが終了し、それぞれがしばらくのリフレッシュ期間を置いて、5月にはトレーニングを再開する。チーム力の増強にはスタッフの拡充などやるべきことがたくさんある。その希望に満ちて前へと進んでいきたい日本チームだ。
■2022/2023W杯個人総合順位
1.グラネル(NOR)2,128pt
2.クラフト(AUT)1,790pt
3.ラニセク(SLO)1,679pt
4. クバツキ(POL)1,592pt
5. 小林陵侑(JPN)1,065pt
6. ジラ(POL)984pt
7. ベリンガー(GER)902pt
8. ザイチ(SLO)853pt
9. チョーフェニク(AUT)851pt
10. フェットナー(AUT)755pt
~
24.中村直幹(JPN)275pt
43.二階堂 蓮(JPN)49pt
54. 佐藤幸椰(JPN)21pt
63.小林潤志郎(JPN)14pt
63. 佐藤慧一(JPN)14pt
82.竹内 択(JPN)2pt
文・岩瀬 孝文
岩瀬 孝文
ノルディックスキージャンプの取材撮影は28年以上、冬季五輪は連続5回、世界選手権は連続12回の現地入り取材。スキー月刊誌編集長を経て、2007札幌世界選手権では組織委員会でメディアフォトコーディネーターを務めた。 シーズンに数度J SPORTS FIS W杯スキージャンプに解説者として登場。『冬はスキー夏は野球』という雪国のアスリートモードにあり、甲子園の高校野球や大学野球をつぶさに現場取材にあたっている。
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