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ラグビー コラム 2022年9月17日

山中亮平選手が影響を受けた恩師2人とポジション変更について語る【J SPORTS×大畑&大西のラグビーチャンネルコラボ】

ラグビーレポート by J SPORTS 編集部
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山中:高校2年生の時は感じました。後半の途中に出て、そこで勢いをつかせるというか、そういうことはしてました。1年生の時はメンバーに入れなかったし、2年生の時はずっとリザーブだったので、うまく段階を踏んでいったので、それは僕にとって良かったと思います。

大畑:そもそも、なんで仰星を選んだの?

山中:そこまで本気でラグビーを続けようと思っていなかったんですが、土井先生が中学校に来てくれて、「日本代表にしてやる」と言ってくれたので、「じゃあ、信じてみよう」と決めました。

【J SPORTS×大畑&大西のラグビーチャンネル】後編

【動画】視聴率NO.1男「山中亮平選手」が初登場!

◆試合に出られないときに支えてくれた神戸製鋼時代の恩人・平尾誠二

大畑:それから神戸製鋼に入って、いろいろな人の影響受けたと思うけど、僕らの共通の人間でいうと、平尾誠二さんはすごく大きな影響があったと思うけど?

山中:平尾さんは練習をよく見に来てたんですけど、練習終わった後に呼ばれて、アドバイスをくれるんです。「こうした方が良いんじゃないか」というよりは「こういう時はこういうプレイはどうや?」という風に聞いてくれるんです。僕も「それはそうやと思います」とか、会話のキャッチボールというか、いい方向に導いてくれるというか、そういう感覚はありました。

大畑:振り返りたくないかもしれないけど、入社してすぐの頃、ちょっとアクシデントでプレーができなくなる時期あったけど、その時も平尾さんにはいろいろと?

山中:その時が一番そうですね。平尾さんのおかげで結構耐えられた部分もありました。すごく気にかけてくれて、時間ある時はご飯に誘っていただいたりとかも何回もありました。「調子はどうだ?」とか「我慢して、ここは諦めずに頑張っていこう」とか、ポジティブなことばっかり、声をかけてくれたので、力にもなりましたし、落ちている時でも、頑張ろうという風にまた上がっていける、そんな感じはありました。

大畑:それからプレーできるようになって、徐々にパフォーマンスが出せるようになって、2015年のワールドカップが見えてきたとこで、また代表から外れたりとか。しんどい時に平尾さんに声かけてもらって、腐らずに頑張れたというところがありますか。

山中:ラグビーができなかった時期があったので、どういう状況でも呼ばれたら絶対行きますし、日本代表から落ちても、諦めずにまたチャレンジしたいという気持ちもありました。そういうのは、その経験があったからこそだと思いますし、そう感じます。

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