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ラグビー コラム 2019年12月25日

花園に冬がきた ~高校ラグビー、幻のような記憶~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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1985年度。奈良県の出場校は天理だが天理高校ではなかった。「天理教校附属高校」。現在の天理教校学園高校である。日本の高校ラグビーを長く牽引してきた天理高校は、この年度、県の予選を勝ち抜けなかった。それは「事件」だった。1995年度の県立御所工業(現・御所実業)高校の花園初出場まで長く県内に敵なしの古豪にして強豪が、このシーズンのみ、体格も陣容もスモールな系列の学校に負けた。いや本当はそうではない。引き分けた。6-6。抽選に泣いた。

当時の『ラグビーマガジン』を調べた。「天理ぼう然!」。そんなタイトルが飛び込んでくる。全国大会優勝候補の予選でのつまずきは「周囲にも大きな衝撃を与えた」とある。「『いつか勝てる』という余裕がしだいに焦りとなり」なんて記述も見つかった。

あの天理教校附属高校の試合ぶりを確かに見た。そして驚いた。そのころは取材はしていないので観客か視聴者としてだ。軽量FWが「きびきび」としか表現できない軽快なテンポで集散を繰り返す。BKのラインはきれいな幾何学模様を描いてボールを「てきぱき」と動かす。前へ出るタックルまたタックル。いまでも、うまく攻守を形容できない。展開ラグビーの極致、どこにもないスタイルだったからだ。

覚えているのが紫のジャージィ、あるいは青系統のそれだったことだ。モノクロのグラビア写真を見返すと花園では白をまとっている。予選決勝では天理高校が同色だからか濃色を着た。ということは、おそらく出場が決まり、放送局が番組で特集、そこでの映像を見たのだろう。だとすれば数分間の消えない記憶である。

天理教校附属高校は初出場で「FWは平均体重73キロ」の「素人集団」なのに第6シードとなった。前年度は第1シードであった天理高校と引き分けて出てきたからだ。2回戦で作新学院に17-3の勝利。3回戦の日川高校戦は0-20。後者については「平均体重で10キロ近く」劣ると紹介されている。

幻のごとき独自のチームを率いたのは、蒲原忠正その人である。旧姓は藤本、大西鐵之祐監督のジャパンの背番号10を担い、71年のイングランドとの3-6の伝説のゲームでも存分に力を発揮した。色紙には「肩砕けてもタックル」。猛烈な一撃でおそれられた。教団の人事もあって一線の指導歴は短い。あれが最後の花園である。もし、蒲原監督がより布陣の厚いチームをじっくり仕込んだら、どういう攻守を創造したのか。新しい日本のスタイルが誕生したのではないか。なんて、つい想像してしまう。

この次に「見たことのないラグビー」を見るのは、89年度である。花園の芝に「小さなウェールズ」が出現した。茨城の茗渓学園高校は、崩れた状況、半分失敗のアタックからむしろチャンスをつかんだ。70年代、黄金期のウェールズの即興性と芸術性はあたかも突然変異のごとく再現された。

さあ2019年度の花園。少数の「超」強豪の突出に一矢を報いる発想と信念と情熱、極端が普遍に昇華する凄み、あえて述べれば「蒲原イズム」の萌芽はあるのか。あってほしい。あるべきだ。

文:藤島 大

藤島大

藤島 大

1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。 ラグビーマガジン、週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。

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