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よく泣いた。よく笑った。嬉しくてガッツポーズした。思わず頭を抱えた。みんなが素直に感情を表現したラグビーワールドカップ(RWC)2019だった。日本で初めて開催された世界一決定戦は、99%のチケット販売、ファンゾーンの100万人超えほか記録的に大成功を収めた。だが、それらの数字よりも、それぞれの記憶に刻まれるシーンの多種多様さが、この大会の価値だという気がする。
歴史的大会は9月20日に幕を開けた。日本文化と日本ラグビーの歴史を簡潔に表現した開会式。日本代表の開幕戦となったロシア代表戦は選手だけではなく、観客席、実況解説席も過緊張状態に陥った。苦境からの松島幸太朗のハットトリック(3トライ)は、すべての人々の緊張をほぐし快進撃に火をつけた。9月28日には、開幕時は世界ランキング1位だったアイルランドに勝利。福岡堅樹の決勝トライに静岡のエコパスタジアムが揺れた。4トライのボーナス点がどうしても欲しかったサモア戦(10月5日)は、終了間際に松島が4トライ目をあげ、豊田スタジアムにガッツポーズがあふれた。そして、史上初の決勝トーナメント進出を決めたスコットランド戦(10月13日)は、ラファエレ ティモシー、福岡のホットラインが胸のすくトライを生み出した。
長谷川慎コーチのもとディテールにこだわったスクラム、FW陣のハードワークはプール戦4連勝を支えた。決勝トーナメントを決めた直後、過度に喜ばず次の試合に気持ちを向けたリーダー陣の落ち着きも光った。オフロードパス、ジャッカルなど反復練習を繰り返した成果をフィールドで表現した選手たち、コンディショングを含めて適切なプランでチームを初のベスト8に導いたコーチ陣、支えたスタッフには最大限の賛辞を送りたい。
ホームの観客の声援も選手のパフォーマンスを後押しした。準々決勝の日本代表対南アフリカでの君が代の大合唱はこれまで聞いたことがない大きさだった。ただひたすら日本代表を応援したい、一緒に戦いたいと思う心からの叫びが選手を奮い立たせた。快進撃はそこで止まったが、疲労困憊の状態で強豪・南アフリカを苦しめた姿こそ、「世界一」と言われたハードトレーニングの証だった。
海外チーム同士の試合も盛り上がった。釜石鵜住居復興スタジアムでは、ウルグアイがフィジーを破り、大会最初の番狂わせを起こした。国歌斉唱ではウルグアイ国歌を大声で歌うエスコートキッズの頭をガミナラ主将が撫でて感動を誘った。敗れたフィジーも、ジョージア戦では変幻自在のステップ、パスで観客を喜ばせ存在感を示した。死のプールと呼ばれた「プールC」では、イングランド、フランス、アルゼンチンが死闘を繰り広げた。台風で3試合が中止になるアクシデントもあったが、釜石での試合がなくなったカナダが被災地域でボランティア活動、ナミビアも宮古で市民との交流会を率先して行うなど各地で、困っている人がいたら即行動するというラグビー精神が実践された。
決勝トーナメントも好ゲームが相次いだ。三連覇を狙ったニュージーランド(オールブラックス)は、準々決勝でアイルランドに快勝したが、準決勝でイングランドの激しく前に出るディフェンスに苦しみ、最終的には3位で大会を終えた。王者を下したイングランドは決勝で南アフリカの強力スクラムを軸にした圧力に屈する。2試合連続でベストのパフォーマンスをするチームはなかった。唯一、南アフリカは波が少なく、一戦ごとに成長した。
ラシー・エラスムス監督は、2018年まで南アフリカラグビー協会全体の強化責任者を務めていたが、成績不振にあえぐ15人制の男子代表を立て直すため、2018年3月に監督に就任。シンプルなプランを徹底することで短期間にチーム力をあげた。優勝まで導いた手腕は高く評価され、決勝戦の翌日行われたワールドラグビーの表彰式では、2019年の最優秀コーチに選ばれた。南アフリカは最優秀チームにも輝いている。
表彰後の記者会見で、チーム作りについて問われたエラスムス監督は言った。「成功しているチームは、プレーヤーが意思決定に積極的にかかわっています。南アフリカは、全員が関わっていくシステムができたからこそ勝てたのだと思います」。その言葉が日本代表の躍進と重なった。黒人初のキャプテンとして南アフリカを率いたシヤ・コリシ主将は、エラスムス監督を次のように評した。「いつも私たちに発言権を与えてくれました。それが彼の素晴らしいリーダーシップを示しています。私たちを冷静にさせ、力を結集させてくれました。私がキャプテンになったとき、『フィールドでパフォーマンスするのが君の仕事だ。他のことは私に任せろ』と役割をシンプルにしてくれました」。
アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後も、人種問題を抱える南アフリカの代表チームが、多様な人種、民族からなるチームで優勝した。南アフリカの人々にどれほど勇気を与えたか計り知れない。競技規則の冒頭に示されてる【ラグビー憲章】には、5つのキーワードがある。その一つ「結束」には、こう記されている。『ラグビーは、生涯続く友情、絆、チームワーク、そして、文化的、地理的、政治的、宗教的な相違を超えた忠誠心へとつながる一体的な精神をもたらす』。日本のみならず、世界の多くの人々が、ラグビー精神に共感したはずだ。このスピリットが他のスポーツにも影響を与え、広がっていくことを切に願う。
個人的に印象に残っているシーンがある。日本代表対スコットランド代表戦で、堀江翔太が相手選手と頭がぶつかって出血したときのことだ。ハイタックルの反則ではないかとブーイングが起こったが、タックルしたスコットランドのジョニー・グレイは、堀江が倒れた瞬間に堀江の体に手をやり、「彼は怪我をしている」と手をあげて試合を止めようとしていた。激しいスポーツだからこそ相手を思いやる。ラグビーが大切にする精神だ。南アフリカのテンダイ・ムタワリラは、日本代表戦後、危険なタックルをあびせてしまった稲垣啓太を訪れ、謝罪し、抱き合った。サモアの選手たちはアイルランドのバンディ・アキに危険なタックルを受けながら、彼が出場停止にならないように声をあげた。
RWC2019は、ラグビーのみならず、人として大切なことを伝えた気がする。悪いことをしたら謝る。きちんと謝罪されたら許す。応援してくれた人、試合ができる舞台を整えてくれた人に感謝する。困っている人に手を差し伸べる。互いの価値観を認め合い、相手の立場を尊重し、共に歩む。観る者を純粋な気持ちにさせてくれる大会が終わった。だから、寂しさが募るのかもしれない。ラグビー界が今後しなければいけないのは、日本代表を強化する機能的な仕組み、ファンを楽しませる場を作ることだが、それよりも大切なのは、今大会で多くの人を感動させたスピリットを発信し続けることだろう。
ラグビーワールドカップ2019 エンディング
© Rugby World Cup Limited 2019
村上 晃一
ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。
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