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サッカー フットサル コラム 2023年5月29日

U-20ワールドカップの歴史 日本サッカーにも大きな影響を与えた大会

後藤健生コラム by 後藤 健生
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ディエゴ・マラドーナ

1979年 第2回ワールドユース大会はアルゼンチン代表が優勝 花束を持つマラドーナ

FIFA U-20ワールドカップがアルゼンチンで開幕している。かつての「ワールドユース選手権」である。

この大会は日本にとっても大きな意味を持つ大会だった。そんな視点から、この大会の歴史を振り返ってみよう。

第1回大会が開かれたのは1977年。いまから46年も前のことだった。

大会開催を提唱したのは、1974年にFIFA会長に就任したばかりのブラジル人ジョアン・アヴェランジェ氏だった。

それまで、FIFA会長はすべてヨーロッパから選ばれていたが、アヴェランジェ氏はブラジルの実業家で、1952年のヘルシンキ・オリンピックに水球選手として出場経験があるオリピアンでもあった。

第2次世界大戦後、ヨーロッパ大陸でも選手やクラブはすでにプロ化していたものの、現在では考えられないことだが、各国協会やそれを統括するFIFAはまだまだアマチュア的な団体だった。アヴェランジェの前任のFIFA会長だったサー・スタンリー・ラウス(イングランド)は職業が教師で、「対角線式審判法」を考案した有名なレフェリーだったが、あまり金儲けには興味を持たない人物だった。

しかし、実業家であるアヴェランジェはサッカーの、そしてワールドカップという大会の商業化を推し進めていった。

そして、アヴェランジェ会長はヨーロッパ、南米以外の大陸でのサッカー振興のために20歳以下の選手による世界大会を提唱した。FIFA会長選挙ではヨーロッパ以外の大陸からの支持を受けて当選したため、そうした国々でのサッカー振興に力を入れたのである。

そして、世界的な企業であるコカ・コーラ社をメインスポンサーに付けて20歳以下の世界大会が実施された。その後、大会にメインスポンサーを付ける、いわゆる「冠大会」という形の大会形式が一般化するが、「ワールドユース」はその最初期のものだ。

それが、1977年にチュニジアで開催された「第1回ワールドユース大会」だった。

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