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サイクル ロードレース コラム 2021年6月24日

Tourの景色に誘われて | プロヴァンス

ツール・ド・フランス by 山口 和幸
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7月のプロヴァンスはラベンダーで彩られる

7月のプロヴァンスはラベンダーで彩られる

ツール・ド・フランス2021でプロトンが訪れる、サイクルロードレースファンならずとも一度は訪れてみたい各土地の歴史と伝統に彩られた魅力をお届けします。

プロヴァンス / Provence

ラベンダー畑が象徴的なプロヴァンスは、ローマ時代の古代劇場や円形闘技場などが点在する魅力あるエリア。セザンヌ、ゴーギャン、モネ、ゴッホ、ルノワールなど多くの画家もこの地を愛したことで知られている。ノストラダムスの大予言で有名な占い学者もこのプロヴァンス出身だ。

今回のルートでいえばモン・ヴァントゥの上り、頂上まで1kmのところにシンプソンの墓碑がある 

今回のルートでいえばモン・ヴァントゥの上り、頂上まで1kmのところにシンプソンの墓碑がある 

ローヌ川沿いは交通の要衝となるだけにツール・ド・フランスもよくこのエリアを訪れる。ヴァランス、モンテリマール、アヴィニョン、ちょっと離れてカルパントラスなどだ。

ローヌ川に沿って地中海に向かうA7高速は「太陽への道」というニックネームがある。7月14日のフランス革命記念日を合図に始まるバカンスシーズンになれば、ワインとサンドウィッチと遊び道具を満載したクルマがひたすら南を目指す。卓越したロゼワインはこのエリアの名産で、コース脇のラベンダーとともにやすらぎを与えてくれる。

プロヴァンスでサイクリング

プロヴァンスでサイクリング

カルパントラスから東を望むとプロヴァンスの巨人と言われる白い岩だらけの山が見える。これがツール・ド・フランスにおいては「魔の山」と畏怖されるモン・ヴァントゥだ。

モン・ヴァントゥはピレネーにもアルプスにも属さない南フランスの独立峰。標高1912mとそれほどの高さではないが、セミ時雨が聞こえるプロヴァンス地方にあって特異な景観と異様な雰囲気に満ちあふれていて圧倒される。昆虫学者のファーブルが生涯30回も登ったという山岳。

山麓には豊かなぶどう畑が広がるが、高度を上げていくと森林限界でもないのに草木が朽ちて、直径30cmほどの白い石が白骨のように敷き詰められる。地中海から吹くミストラルは、斜面を駆け上がるうちに体の芯まで凍らせる冷気に豹変し、真冬は豪雪地帯となる。

頂上より1km下ったところにトム・シンプソンの墓石がある。五輪メダリスト、世界チャンピオンとなった英国選手だが、1967年のツール・ド・フランスで命を落としたところなのである。

その日のモン・ヴァントゥは気温40度を超える猛暑に見舞われたという。総合優勝をねらう有力選手の集団から脱落したシンプソンは、徐々に蛇行を始め、沿道の観衆に抱きすくめられながら道ばたに倒れ込んだ。ヘリコプターで搬送されたアヴィニオンのホテルで元世界チャンピオンは息を引き取ったという。

自転車競技史上最強の選手と言われるベルギーのエディ・メルクスもモン・ヴァントゥへの憧憬と畏怖の念を語っている。

ラベンダーと古城

ラベンダーと古城

1970年7月15日のツール・ド・フランス。その日、息が詰まるような熱波がレースを襲った。ライバルのテブネやプリドールのアタックに、さすがの優勝候補もこの日は大苦戦。最後はよろめくようにモン・ヴァントゥの頂上にたどり着いたという。それでもメルクスは3年前のレース中に死去したシンプソンの石碑の前を通過するときに、冥福を祈る意味で脱帽することを忘れなかった。シンプソンはメルクスの元チームメイトだった。

「それからゴールまでも本当にツラい道のりだった。気分が悪く、酸欠に陥り、ゴールから救急車で運ばれることになるのだから」

なんとかモン・ヴァントゥを凌いだメルクスは最終的にパリでマイヨジョーヌを獲得する。

2000年はモン・ヴァントゥでマルコ・パンターニがランス・アームストロングの一騎打ちが演じられた。歴史の1ページに残る激闘だった。イタリアのパンターニは「二流選手がゴール前で飛び出して勝ってどうする。強き者は常に前で走る!」という欧州の伝統的な王道を貫くタイプ。一方、米国のアームストロングは「山岳で脱落せず、タイムトライアルで一気に首位に立つ」という合理主義者。

モン・ヴァントゥではその両者がしのぎを削った。とにかく看板や残り距離表示が吹き飛ばされる強風だった。すでにタイムトライアルで総合成績をロスしていたパンターニは、逆転をねらって勝負に出た。しかしアームストロングがこれに追従。アームストロングとしてはパンターニを逃がさなければいいだけで、「最後は区間勝利をプレゼントした」と語った。

数日後にこれを聞いたパンターニが激怒。「ツール・ド・フランスにプレゼントなんてあってたまるか。もしアイツが勝負に出たら、ボクはさらにその前を走ってゴールしただけさ」

パンターニはその後、戦いを放棄するようにレースをリタイア。アームストロングが圧勝で総合優勝した。(その後不正薬物使用で記録はく奪)

モン・ヴァントゥがツール・ド・フランスのコースとなるたびに白い岩の中のシンプソンの墓は、いろいろな国からやってきた自転車愛好家の花束でいっぱいになる。ここはサイクリストにとってまぎれもなく聖地なのだから。

文:山口和幸

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山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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