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フルームとマイヨ・ジョーヌの物語
2020年のツール・ド・フランスを、残念ながらクリス・フルームは走らない。5勝倶楽部へのチャレンジは、ひとまず今年はお預けとなった。なによりスカイ時代を通して11年間過ごしてきたイネオスに、もう2度と、ツール・ド・フランスのタイトルをもたらすことはない。
ここ数年、ツールの「主」といえば、間違いなくフルームだった。グランツール7回制覇の最強チャンピオン(ツール・ド・フランス4回、ブエルタ・ア・エスパーニャ2回、ジロ・デ・イタリア1回)にして、スカイ→イネオスの唯一絶対のエース。数多くの強豪アシストたち――他のチームにとっては超エース級の選手ばかり――を従えて、チャンピオンとして頂点に君臨してきた。
初優勝を含む2度の優勝を支えたのがリッチー・ポートだ。フルームにとっては信頼する友であり、なにより2013年のラルプ・デュエズでの苦境から救い出してくれた、大切な恩人でもある。
激しい山での争いと、寒さのせいで低血糖状態に陥ったフルームのために、規則違反を犯してまでポートは食料を運んだ(結局はフルームにもペナルティタイムが課されたが)。おかげで危険なライバル、キンタナからの遅れを、かろうじて1分6秒+ペナルティ20秒に喰い留めた。もしもポートがいなかったら……ふらふらのまま脚が止まり、5分、いや10分くらいは、軽く失ってしまった可能性だってあった。
2016年に2人は袂を分かつ。フルームは去り行く友に、こんなはなむけの言葉を贈った。「リッチーは山もTTも、ものすごく強い。グランツールの総合争いで手ごわいライバルになる。唯一の問題点は、3週間安定した走りができないこと。必ずどこかで1日か2日、気が緩んでしまうんだよね……」
そんな癖を鋭く突いたのか。それともドメスティック(※)とは、一生ドメスティックのままなのか。2017年クリテリウム・ドゥ・ドーフィネの最終日、ポートが総合首位から突き落とされた「きっかけ」は、まさに元主人のアタック。仲良しだと思っていたクリスに裏切られた……と、人の好いオージーは大いに傷ついたそうだ。少なくとも事件から1年たっても、「まだ心の奥底にはわだかまりが残ってる」とポートは告白していた。
フルーム個人に対する恨みはない(と本人は言っている)けれど、それでも、やっぱり、フルームの絶対的エース体制に対して猛烈な怒りを表明したのがミケル・ランダである。2016年、2017年のフルーム総合優勝の貢献者であると同時に、2017年は犠牲者でもあった。
あの年のランダは絶好調だった。第12ステージでは最後の急勾配で、振り向きもせずに、フルームを置き去りにしたことさえある。2012年大会の再来か、とメディアは沸き立った。あの年いまだアシスト役だったフルームは、当時の絶対王ブラッドリー・ウィギンスをあわや突き放しそうになった。以来2人の関係は悪化し、両夫人を巻き込んだ壮大な絶交へと発展していく。
ただし2017年の状況はさらに二転三転する。3日後の第15ステージでは、メカトラの犠牲になったフルームを、ランダが力強く牽引してメイン集団まで引き戻した。第18ステージでは、ライバルたちを攪乱するために、「フルームに命じられて」ランダが残り4kmアタックを打った。ところが命令通り先行したランダの耳に……今度は「フルームを待て」との無線が飛び込んできた。しかも待たされた挙句に、不必要にタイムさえ失った!
あの日、ロマン・バルデ相手に12秒+ボーナスタイム4秒を与えてさえいなければ、ランダは総合3位に食い込んでいたはずだ。しかし現実は、1秒差で総合表彰台を逃す。この年の終わりに、ランダはフルームの元を立ち去った。
ワウテル・プールスは2015年と2016年にはマイヨ・ジョーヌを、2017年にはマイヨ・ロホを、そして2018年にはマリア・ローザをフルームにもたらした盟友である。しかもチームメイト時代はもちろん、昨年末にイネオスを離れるときでさえ、フルームとの関係に表立った問題はなかった。それでも心の奥底では、どうやら葛藤があった。自分だって1度はグランツールエースを経験してみたいけれど、フルームが同じチームにいる限り無理だろうなぁ……と、2016年の時点で早くも告白している。
おそらくフルームとゲラント・トーマス、さらにはエガン・ベルナルとの「主従関係」は……つまり2020年ツールで「トリオリーダー」を張る予定だった三者の仲は、もっともっと複雑に絡み合っている。
2009年バルロワールド時代からのチームメートである「G」は、初優勝時からフルームのマイヨ・ジョーヌ獲りを助けてきた。元トラックの五輪&世界チャンピオンであり、2015年春まではむしろ「石畳クラシック巧者」だったから、本人としても周囲としてもアシスト役でなんの問題もなかった。ただ徐々にトーマスは総合系へと移行を始め、2016年パリ~ニース総合優勝、2017年ツアー・オブ・ジ・アルプス総合優勝、2017年ジロ・デ・イタリア総合リーダー指名(落車負傷による途中棄権)、そして2018年クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ総合優勝……と極めて順調に成績を重ねていく。
ついには2018年ツール・ド・フランスの期間中に、トーマスはフルームの従者としての立場を脱却する。正確には、第11ステージを制してマイヨ・ジョーヌを獲った日ではない。区間2連覇を果たした第12ステージ後でさえないのだ。そもそも初日から総合順位では常にフルームよりも上位に立っていたトーマスに、本当の意味で「ゴーサイン」が出たのは、ようやく第17ステージを終えてから。フルームが「Gはマイヨ・ジョーヌにふさわしい選手だ」と認めたことで、トーマスも「これから先はチームメート全員から完全なるサポートを受けられるだろう」と語ったのだ。
もちろん両者ともに「僕らが互いに対して攻撃を仕掛けることはない」と幾度となく繰り返したのは……、メディアの無用の詮索を避け、かつてのようなごたごやたを繰り返さぬための用心に違いなかった。
その2018年ツールで、少々苦しんだフルームを(というのは単に直前のジロでものすごい勝ち方をしたからなのだが)、真摯にサポートし続けたのがエガン・ベルナルだった。しかも当時21歳だった若者は、毎日メモを取りながら、チャンピオンとしての在り方を学んだという。そんな先輩がドーフィネでの大怪我で不在の間に、2019年、ベルナルはあっさりエースの座へ昇格してしまう。
「僕はすでにツール・ド・フランスを1度勝っているから、2勝目を手にするチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。自分が100%の状態なのに、誰が自己を犠牲にする?僕はそんなことはしないし、他の2人だってしないと思う」
ツールのディフェンディングチャンピオンの口から、今年の6月、こんな発言が飛び出した。単なる若者特有の、燃えるような意欲の表明だったはずなのだ。ところが波紋はどんどんと広がるばかり。3人の仲がもつれたかどうかは別として、むしろフルームとゼネラルマネージャーの関係に、決定的なひびが入った。ついにはフルームのチーム離脱へと発展していく。
新しいジャージに着替える前に、2020年の秋、フルームはブエルタ・ア・エスパーニャを走る。最後にもう一度、イネオスのチームリーダーとして。「僕はブエルタでクリスを助けられるかもしれない。いずれにせよ、ツール終了後、僕に個人的な野心は一切ないから」と語るベルナルを、もしかしたら最後にもう一度だけ、脇に従えて。
(※)ドメスティック・・・リーダーを献身的にアシストする選手たちのことをフランス語ではドメスティック(下僕)、イタリア語でグはレガリオ(なんの等級もない兵士)などと呼ばれている。
文:宮本あさか
宮本 あさか
みやもとあさか。パリ在住のスポーツライター・翻訳者。相撲、プロレス、サッカー、テニス、フィギュアスケート、アルペンスキーなど幼いときからのスポーツ好きが高じ、現在は自転車ロードレースの取材を中心に行っている。
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