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【ツール・ド・フランス2020:選手相関】1985年以来の栄冠をフランスにーー。ティボー・ピノ × ロマン・バルデ
ツール・ド・フランス by 山口 和幸ティボ・ピノー × ロマン・バルデ
ツール・ド・フランスの総合優勝者を国籍別に見ると、地元フランス勢が36勝で、2位ベルギーの18勝を大きく引き離している。ところが1985年のベルナール・イノーを最後にフランスから総合優勝者が輩出されていない。すでに34年になる。つまり34歳以下のすべてのフランス人は自国選手がパリでマイヨ・ジョーヌを着用するシーンを目撃したことがないのである。
1990年生まれのティボー・ピノ(グルパマ・エフデジ)とロマン・バルデ(アージェードゥーゼル・ラモンディアール)もフランス人優勝者を知らない世代の選手だ。そしてこの2人は、近年のツール・ド・フランスで国民の期待を受けて、外国勢に真っ向から戦いを挑んで敗れたという共通の経験を持つ。
どうしてフランス選手はツール・ド・フランスで総合優勝できなくなってしまったのか? 現地のサルドプレスで地元のベテラン記者に質問をしたことがある。ベテラン記者の分析はこうだった。
「観光立国であり、原子力大国であるフランスは、他の欧州諸国よりも経済が活発化している。フランスの若い子どもたちが興味を持つようなものがたくさんある。漫画やゲームなどだ。過酷な自転車競技にあえて挑戦する若者はそれほど多くないんだ」
加えて地元開催のメジャーイベントだけに、フランス選手は競技だけに集中していればいいというわけにはいかない。例えばチームスポンサーや地元有力企業のキーマンが訪ねて来たら顔を出さなくてはならない。地元選手は競技以外にも社交を担うという宿命があるのだ。
ツール・ド・フランスで最初に5勝したジャック・アンクティルの逸話をご紹介したい。1963年のツール・ド・フランスがピレネー山中にある小国アンドラで休息日を過ごしたとき、スポンサー訪問を受けたアンクティルは丸焼きヒツジだけでなく、シャンパンもロゼのワインも1杯たりとも断らなかったという。
翌日に消化不良を起こしたアンクティルはライバルに4分遅れるバッドデーになる。それでも最終的に3年連続4回目の総合優勝を遂げるのだから並外れた実力者だったのに違いない。
ティボー・ピノ
フランス人の宿命というものが、ここフランスにはあるのだ。
英雄的存在だったイノー以来となる「強いフランス人の出現」をフランス国民はいつも待ち望んでいた。そんなときに頭角を現したのがピノ、そしてバルデだ。2選手のツール・ド・フランスにおける実績をまずは比較してみたい。
●ツール・ド・フランスでのステージ優勝回数<br>
ピノ3×バルデ3<br><br>
●マイヨジョーヌ着用日数<br>
ピノ0×バルデ0<br><br>
●山岳賞ジャージ着用日数<br>
ピノ3×バルデ5<br><br>
●新人賞ジャージ着用日数<br>
ピノ6×バルデ6<br><br>
●総合成績における最高順位<br>
ピノ3位(2014年)×バルデ2位(2016年)
2012年にピノはツール・ド・フランス初出場を果たした。山岳コースの第8ステージで、ピノが後続の大集団からわずかに逃げ切り初優勝。一躍フランスの新星となり、イノー以来の優勝を期待された。
翌2013年にはバルデがツール・ド・フランスに初出場し、いきなり総合15位に食い込んできた。一方のピノは、山岳初日となるピレネーのポルトデパイエールからの下りで足がすくんで動かなくなった。これがスピード恐怖症だった。ピノはこの年途中リタイアするのだが、その後モータースポーツなどでスピード感を養い、現在は病を克服している。
2014年はどちらも総合優勝には絡めなかったが、激しい新人賞争いを展開し、ピノがバルデを抑えて獲得した。
そして2015年、開幕前はこの2人にフランス国民の関心が集まった。しかしこの年はバルデもピノも序盤でタイムを失い、大会後半は区間勝利をねらっていく走りに切り替えざるをえなかった。期待に応えられない焦燥感がつのっていくばかりだった。
2018年の第14ステージは中央山塊にある「ジャラベールの坂」にゴールする注目の区間だった。マイヨジョーヌは第7ステージで首位に躍り出た英国のクリストファー・フルームが着用していた。この日の8km地点でバルデとピノを含む19人が第1集団を形成。総合成績の上位選手がいなかったため、フルームを擁するスカイ勢はこの逃げを容認。第1集団は区間勝利を、後続のメイン集団は総合成績をにらみながらゴールを目指した。
ロマン・バルデ
そして勝負は最後までもつれ込んだ。激坂で仕掛けたのがバルデだ。それをピノが追いかけ、2人になった。総合優勝はもはや望めないが、「ジャラベールの坂」は制したい。テレビでフランスじゅうの人たちがバルデ対ピノの戦いを見守った。
互いをにらみながらのけん制。ところがこの隙に第1集団に加わっていたMTN・クベカのスティーブン・カミングス(英国)が猛スピードで追い抜いていった。あわてたバルデとピノ。後続の動きに無警戒すぎたのである。3人によるもがき合いによりピノが2位でバルデが3位になった。カミングスは自身の初優勝と同時にアフリカチームとしての初優勝を飾る。
バルデはゴール後に戦略が失敗したことを認めている。
「ピノとのゴール勝負になると思って、彼だけをマークしていた。カミングスが追いついてきたのはまったく見ていなかったんだ。まったく最悪の展開になってしまった」
ピノも肩を落とした。
「こんな恥ずかしいことはない。ボクたちフランス人区間優勝にこだわってしまいすぎたんだ」
この年のシーズン終盤に開催された世界選手権ではフランスチームのメンバーにピノとバルデが選出された。しかしフランスのギマール監督は、コースに最も適した脚質を持つジュリアン・アラフィリップをエースとして指定した。2人はアシスト役だった。
しかし世界チャンピオンを決めるレースは最終局面になってアラフィリップの体力が残っていなかった。それを見たピノは、勝利のチャンスがあるバルデのために献身的に仕事をした。
結局、ゴール勝負でスペインのアレハンドロ・バルベルデが優勝し、バルデはタイム差なしの2位になった。
「自分が与えることを与えられたことをやったまでさ」とピノ。「チームのために自分を犠牲にしたけれど後悔はしていない」というのが世界選手権を終えてのピノのコメントだった。
ツール・ド・フランスのマイヨジョーヌを目指すライバルであり、フランスのために戦う同志である2人。2020ツール・ド・フランスでもまだ見ぬ夢を追いかけて登場する。
バルデは当初、「2020シーズンは新たな目標としてジロ・デ・イタリアに参戦する」としていたが、新型コロナウイルス感染拡大により大会日程が再構成されたことにより、現時点ではツール・ド・フランスの出場メンバーとしてリスト入りしている。
バルデにとっては、プロデビューから所属してきたチームでのラストシーズンとなる。2021年はドイツのサンウェブに移籍するからだ。さまざまな地形で戦える汎用性があるバルデ。30歳と円熟のときを迎え、初めて海外チームで走ることを決意した。
「機材やチーム運営に最新技術を取り入れて、機能しているチームを見つけることが非常に重要だと思った。アスリートとしてあらゆる分野を改善するために一生懸命に努力したい。そしてアージェードゥーゼル・ラモンディアールには本当に感謝しかない」とバルデ。
文:山口和幸
あつまれツールの森 第1話「ツール・ド・フランスってどんな大会?」
山口 和幸
ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。
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