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サイクル ロードレース コラム 2017年6月21日

【Tourに魅せられて~Vol.1】「ツールってこんなにかっこいいんだ」

ツール・ド・フランス by J SPORTS 編集部
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世界中の猛者達が集結するジャパンカップサイクルロードレースの開催地として知られる栃木県宇都宮市。今年は本家ツール・ド・フランスを参考に、「ツール・ド・栃木」と称したラインレースも実現。これら活動を支える宇都宮ブリッツェンの廣瀬佳正氏と那須ブラーゼンの若杉厚仁氏がツール・ド・フランスに魅せられた自転車人生を語る。(1/4)
取材日:2017年5月22日

PROFILE

廣瀬佳正
宇都宮ブリッツェン・ゼネラルマネージャー。ブリヂストンアンカー、スキル・シマノなどのチームを経て、栃木のプロロードチ-ム「宇都宮ブリッツェン」設立に尽力し、自らも選手として活躍。09年のジャパンカップでは山岳賞を獲得した。

若杉厚仁
spacebikes.com でロードデビューし、当時の実業団BR-1(現在のE1)で年間ランキング1位となり、宇都宮ブリッツェンに加入。2009年JサイクルツアーBR-1ランキング1位。現・那須ブラーゼン代表取締役。

——はじめに、自己紹介も兼ねて、お二人の自転車との出会いと現在の活動についてご説明いただけますか?

廣瀬:元々、運動が大好きで、空手とか野球とかテニスとかいろんなことをやっていました。高校生になるタイミングで母親に「何か部活をやらないと高校行かせないよ!」と言われまして...(笑)

若杉:高校行かせないとか、また極論ですね(笑)

廣瀬:そうなんですよ(笑)。それで、自転車部の兄からおさがりの自転車が貰えるし、作新学院に行って自転車部に入って、あわよくば競輪選手になれたらいいなと思ったことがはじまりですね。

若杉:スポーツ少年が高校に入って自転車部に入ることって結構珍しいケースですよね?

廣瀬:珍しいね。自転車を知る"きっかけ"って当時は今よりも全然無かったと思うんですけど、たまたま兄がやっていたおかげで作新学院自転車部の門を叩く決意に至りました。



写真:クラウディオ・キアプッチ

そうした中である時、兄が持っていたVHSで1992年だったかな?のツール・ド・フランスを初めて目にしました。セストリエールという有名な山があるんですけど、そのステージでクラウディオ・キアプッチという選手がぶっちぎりで雄叫びをあげながら優勝した姿を目撃して「ツールってこんなにかっこいいんだ」と思いました。そこから、競輪よりロードの方がかっこいいなと思うようになっていきました。

競輪選手からロード選手へ気持ちが移り変わる中、高校1年のジャパンカップの時、セストリエールで優勝したそのクラウディオ・キアプッチが宇都宮に来ると!もちろん会場に足を運んで観戦しましたが、クラウディオ・キアプッチが圧勝したんですね。レースが終わってから彼のところに行って「キャッププリーズ!」って思わず叫びましたよね(笑)。キャップは貰うことはできませんでしたが、そこで「将来ヨーロッパでプロになる」そして「ジャパンカップで将来活躍したい」というスイッチが完全に入って、競輪がどっかに飛んで行きました。

若杉:サッカーで行ったらクリスティアーノ・ロナウドやメッシのプレーを目の前で見るわけですからね。

廣瀬:そうだね。目の前でツールの山岳ジャージを獲る選手を見たら一発でスイッチ入りますしたよね、自転車少年の僕は一発で。

——少年時代に抱いた夢を実現させてプロの道へ進んだのですね。

廣瀬:プロになれると思っていましたし、ヨーロッパでプロになりたいと思い続けていました。最初にヨーロッパに渡ったのは1997年です。国内ではプロでしたが、19歳の時にアイルランドで行われたレースで初めて行き、ブリジストンアンカーというクラブチームでアマチュア契約しました。その後、2007・2008年にスキル・シマノ(現:チーム・サンウェーブ)とプロ契約を交わし、ヨーロッパでプロデビューを果たしましたが、正直に言ってとてもすごい世界で、全く敵わなかったですね。

——海外の選手はやはり日本人に無い強さがあると。

廣瀬:そうですね。僕自身、日本では凄く勝気で、ハートが強い方だったと思います。自分は勘違いをしていていましたが、その勘違いが若い選手を伸ばす1番の材料だと思うんです。でも、人間っていつかは限界を見るじゃないですか。いつか勘違いができなくなったり、限界を見たりすることがもう一度競技を見つめ直すタイミングにもなるのだと思いますけど、ヨーロッパで「敵わない」と思った僕は、そこで引退を決めました。



写真:現役時代(左:若杉氏 右:廣瀬氏 )

——なるほど。若杉さんのお話もお聞かせいただけますか?

若杉:僕はテニスをずっとやっていましたが、怪我もあり、限界を感じて辞めました。でも、もう一度競技の世界でプロフェッショナルとして勝負したいという思いがあって、色々調べていたある時、自転車のレースがヨーロッパで半端じゃない人気を誇ることを知りました。しかも、こんなに面白い競技なのに日本ではまだまだ人気が無かった当時、身体的特性などを考慮して、今からでもこの競技だったらプロになれるなと、完全な勘違いですが思えたんです。そうした中で、ある時千葉の自転車ショップに行ったら現・宇都宮ブリッツェンのキャプテン、鈴木真理さんに偶然出会うことができました。

その当時、Jサイクルツアーで年間総合を獲っていた鈴木さんは僕の中でレジェンドでした。「プロになりたい」と相談したら、「明日から一緒に練習しよう」と言ってくれて、翌日から毎日練習に参加させてもらいましたね。その後、20歳の時に廣瀬さんに声を掛けてもらって宇都宮ブリッツェンに入り、アマチュアとして1年、プロとしても4年ほど活動し、今は那須ブラーゼンというプロサイクルロードレースチームの代表をしています。

——球技から自転車競技への転身、どのようなモチベーションが働いていましたか?

若杉:テニスやゴルフはメンタルの競技じゃないですか。一方で自転車は圧倒的にフィジカルが求められる競技です。もちろん、フィジカルを鍛えるための強いメンタルは必要ですが、技術的なメンタルはそこまで必要じゃない。努力さえ積み重ねれば、強くなれる競技だと思います。テニスで壁にぶつかっていた中でこの競技の特性に触れ、のめり込んで行きました。一生懸命毎日自転車に乗ってさえすれば強くなれるって錯覚していましたよね。

——競技をはじめた当時、自転車のどんなところに魅了されたか覚えていますか?

廣瀬:僕は、登り坂などでライバルをぶっちぎって一人で頂上を目指す選手に、お客さんが熱狂している姿ですかね。基本的に僕は目立ちたがりで、注目を浴びたい気持ちが強かったので、独り占している感じですよね。みんなが一人の選手の走りに注目して、ぶっちぎりで優勝すればゴールにいるお客さんの眼差しはみんなそこに向きます。そんなプロの選手を見ていて「自分もあんなふうになりたい」と思いました。

J SPORTS編集部

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