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サイクル ロードレース コラム 2017年6月1日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】「カンニバル=人食い鬼」と恐れられた男の、空に消えた盟友への敬意

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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写真:選手を苦しめるモンバントゥー

そんなメルクスが窮地に陥った山岳がある。プロバンスにある不毛の白い単独峰モンバントゥーだ。

1970年7月15日。その日、息が詰まるような熱波がレースを襲った。ライバルのベルナール・テブネやレイモン・プリドールのアタックに、さすがの優勝候補もこの日は大苦戦。最後はよろめくようにモンバントゥーの斜面を上った。

「ゴールまでは本当にツラい道のりだった。気分が悪く、酸欠に陥った」と、メルクスは当時の模様を回想している。

それでもメルクスは、3年前のレース中に昏倒して死去したトム・シンプソンの石碑の前を通過するときに、冥福を祈る意味で脱帽することを忘れなかった。

シンプソンはメルクスの元チームメートであり、憧れの存在だった。そしてメルクスはゴールに到着するや、すぐに救急車で運ばれる。

「今でもあのときの記憶は鮮明にある。だからツール・ド・フランスのコースにモンバントゥーが採用されると、少なからず胸騒ぎがする」と、2013年に同地がコースとなったときにベルクスが語っていた。

カンニバルがわずかに人間性を見せたシーンだったが、翌日からは相変わらずの強さばかりを見せつけた。メルクスはモンバントゥーをリタイアすることなくゴールしたことで、その後は圧倒的なパワーでライバルを封じ込め、最終的にマイヨジョーヌを2年連続で獲得したのである。

写真:トム・シンプソンの石碑

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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