人気ランキング

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

コラム&ブログ一覧

野球 コラム 2022年12月23日

【広島好き】『真赤檄』『カ舞吼!』『℃℃℃』でセ・リーグ3連覇。2000年代のカープのキャッチフレーズを調べてみた

野球好きコラム by 大久保泰伸
  • Line
野球好きコラム 広島好き

広島好きコラム

前回に続いてキャッチフレーズの歴史。今回は激動の?2000年代を振り返ってみましょう。

ミレニアムの年、達川晃豊(当時)監督の2年目のシーズンとなった2000年のキャッチフレーズは『START FROM ZEROZERO』。1983年に使用したフレーズに、20000年代への突入を表現したものでした。ちなみに達川体制1年目の前年は『YES,WE CAN-俺たちはやれる-』と、どこかで聞いたような言葉ですが、かの大統領がこのフレーズを流行らせたのは2008年で、カープは10年近く前に先取りしていたわけです。

世紀が変わった2001年、「ミスター赤ヘル」再登板となったシーズンは、『Red Attack〜攻めろ!』。翌年も、『Red Power〜燃えろ!』と、チームカラーを全面に押し出したキャッチフレーズとなりましたが、結果は4、5位とBクラス脱出はならず。

ちなみに2001年は「勝率ではなく、勝利数順で順位を決定」という特殊なルールが採用された年で、カープは3位のベイスターズよりも高い勝率(カープ68勝65敗7分、勝率.511。ベイスターズ69勝67敗4分、勝率.507。)を記録しながら、マイナス0.5ゲーム差で4位となり、Aクラスを逃しています。

2004年には山本政権でリーグ優勝を果たした1991年と同じ『WILL TO VICTORY(勝利への意欲)』を採用するも5位。そして、2005年は『REBORN TO WIN-赤ヘル再生-』 と、まさに背水の陣で挑みましたが、結果はなんと1974年以来の最下位で山本監督は退陣となりました。

そして2005年オフ、「夢をもう一度」とばかりに、球団が初優勝の基盤を作ったジョー・ルーツ以来となる外国人監督として白羽を立てたのが、マーティー・ブラウンでした。1992年から3年間カープでプレーし、引退後はマイナーリーグで最優秀監督賞を受賞。その実績を買われて就任したブラウンが採用したのが『ALL IN』

  • Line

関連タグ

あわせて読みたい

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

ジャンル一覧

J SPORTSで
野球を応援しよう!

野球の放送・配信ページへ