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ラグビー コラム 2025年7月2日

北九州の清らかな心 ~ウェールズが帰ってきた~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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7月5日。北九州の特別な午後。ラグビーのウェールズ代表は、世にも美しい「国歌」に喉と魂をふるわせ、誇り高きジャパンとの決闘に臨む。

そこでレクター博士だ。 

かの映画、『羊たちの沈黙』でその役を演じて、たちまち怪優にして名優の評価をつかんだ人物、いま87歳のアンソニー・ホプキンスはウェールズの生まれである。

リチャード・バートン

17歳。演劇学生のころ、「母国」の偉大なる先達、国際的な大スターのリチャード・バートンを自宅までたずねた。サインをもらうためだ。

会えた。すると、あこがれの人は突然、きたるべき「国際試合」について語り始めた。後年にオスカー(アカデミー賞主演男優賞)俳優となる、ホプキンスは、実はスポーツへの関心は薄く、つい「どこが戦うのですか」と聞き返してしまう。

『クレオパトラ』や『史上最大の作戦』で知られるバートンはあきれた。
「君は本物のウェールズ人じゃないな」
しくじった。わがラグビーの代表に決まってるじゃないか。

生涯に7度もオスカーにノミネートされるリチャード・バートンこそは「本物」であった。空軍チームなどでプレー、ハーフバックやフランカーをこなした。

すっかり名声を得て、端正な顔を「傷つけてはならぬ」という項目が契約書に加わっても、週末にロンドンからウェールズの渓谷の村までジャガー・マーク8をぶっ飛ばしては、故郷の仲間とラグビーを楽しんだ。28歳のときが人生最後の試合だった。「映画に資金を出す人間たち」は以下のように警告していた。

「金曜にまっすぐだった私の鼻が月曜には左の耳のほうにひん曲がっている。それではトーキョーからトンマウル(ウェールズの地名)まで数百万のファンが困惑してしまう。前の週の試合のありさまを考えると正しいように思えた」(「Richard Burton’s Last Match」) 

近隣の村のクラブの男どもは、リチャード・バートンの鼻をまさにひん曲げてみせると決意、ボクサーのごとく向かってくる。なにしろ一生の自慢になるのだ。エリザベス・テイラーの夫でもあった大金持ちの役者は、なんとかラフな攻防を生き抜いた。

終了後の交歓会、あんなに荒々しかった連中は、みなシャイで会話は弾まない。しばらくして、ある者がようやく声をかけてきた。「俺たちと一緒に外へ出よう」。そこは天然のジェントルマンズ、すなわち男子専用の野外トイレットだった。並んで「小」を足した。

そこでも、だれもしゃべらない。風の音と川の水だけが流れた。すぐに屋内へ戻った。なんのために私を外へ? ひとりがやっと答えた。「俺たちは兄弟。母さんに報告したかったんだ。リチャード・バートンと並んでオシッコしたって」。満面の笑顔だった。

ウェールズのラグビーを語ったり、書いたりすると、このように、そこに育ち暮らす人々のストーリーを紹介したくなる。ラグビー=人生。そんな常套句が、いまだ上滑りはしない。ハンサムな人気者さえ、ラックの嵐、スパイクの鋲の雨に身を捧げてしまうのだ。

2019年のワールドカップ日本大会を思い出す。真紅のジャージィを事前キャンプ地の北九州は温かく迎えた。なにより忘れがたいのは少女たちの自然な歌声だ。

『Calon lan』。カロン・ラン。ウェールズ語で「清らかな心」を意味する。美しく少し悲しげな聖歌は、古くから「ラグビーの歌」でもある。それを北九州のスタジアムでの公開練習のあとにサインをねだる子どもたちが自然に唱い始めた。

ぜいたくな暮らしもゴールドも宝石もいらない。穏やかで正直で清らかな心があればよい…。 

短い映像が配信(Japanese schoolchildren sing Calon Lanで検索してみたください)されると、おおげさでなく世界中のウェールズ人の心が動いた。アンソニー・ホプキンスはあやしいが、リチャード・バートンが存命だったら絶対に泣いた。

北九州の市民は「ウェールズ国歌」の『Hen Wlad Fy Nhadau(Land of My Fathers)』も合唱した。こちらも感謝や反響を呼ぶ。ただ、ここは正直に、キュッと胸をつかんだのは「清らかな心」のほうだ。ナショナル・アンセムにはなじみがある。しかし、伝統のラグビー・ソングを異国でいきなり耳にするとは。

ということで、あれから6年の7月5日、小倉駅からミクニワールドスタジアム北九州へファンが向かう途中、カロン・ランの旋律がどこかに聞こえたら、楕円球に祝福された瞬間である。そのうえジャパンが終了の笛と同時に腕を天へ突き上げれば、桜のレプリカをまとう観客にとって、際立つ人生の記録となるだろう。

リチャード・バートンは、生前、おのれの愛する競技について、こう述べている。

「ラグビーはワンダフルなショーだ。ダンスでありオペラであって、いきなり血だるまの殺戮が始まる」(『The Worlds Greatest Rugby Quotes』) 

余談。バートンはバリトンの美しいボイスで知られた。養父が資質を見抜いて発声の指導役を務めた。その教えとは。

「叫ぶな。だが強く」

ラグビーの上達にもいかせる至言ではあるまいか。

文:藤島 大

藤島大

藤島 大

1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。『 ラグビーマガジン 』『just RUGBY 』などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。

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