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モータースポーツ コラム 2026年10月26日

「レースが楽しかったころの気持ちで走らせてもらえませんか」 大ベテランの願いを受け止めたチームが引き寄せた値千金の勝利

SUPER GT by 島村 元子
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No.96 K-tunes RC F GT3(新田守男/影山正彦監督/高木真一)

秋晴れの天気に恵まれ、絶好のレース日和となったSUPER GT第7戦オートポリス。レースは激しい攻防戦により、セーフティカーやフルコースイエローが出る展開で波乱に満ちた3時間の戦いとなったが、GT300クラスでは終盤まで上位陣が幾度も入れ替わる様相に。そのなかで、No.96 K-tunes RC F GT3が残り40分弱の時点でトップを奪取し、そのままチェッカーを受けてシーズン初優勝を達成。それはまた、59歳の新田守男と56歳の高木真一のふたりして掴み取った17年ぶりとなる待望の勝利でもあった。波乱万丈のレースウィーク、そして今大会を前にあった”出来事”を新田が振り返る。

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劇的な勝利を収めたレース翌日、ふたりは激戦を戦い抜いたクルマで再びオートポリスを走っていた。この日、来シーズンから採用されるオフィシャルタイヤの開発テストがあり、それに参加していたのだ。決勝日の夜は、居酒屋で影山正彦監督と3人でささやかな祝杯をあげるに留まった。

「阿蘇の方で泊まっていたのでお店も早々に閉まっていて。テストも控えていたし、身体も疲れていたので軽くお祝いしただけでした。一方で、ビックリするほどのメッセージや電話がありました。オジさんが勝つと、そうなんだなって(笑)」。だが、翌日には予期せぬ反響があった。「テストでは、ピットから出るときにライバルチームの人たちが拍手してくれたり喜んでくれたりして、ありがたかったですね。一緒に戦っている人たちがあんなに祝ってくれるだなんて、なんかウルッとしました。そういう世界で、ずっと仕事をさせてもらえていたんだと感動しました」。新田は、今回の勝利で自身が持つGT300クラス最多勝利数を通算23勝へと更新。ライバルたちの行動は、来年1月に還暦を迎えるベテランへのリスペクト、祝意を表してのことだったに違いない。

新田がK-tunes Racingに加入したのは2018年。初年から2年連続で複数の優勝を果たす順調な船出だったが、その後は勝ち星に恵まれなかった。そのなかで、2022年には新田が高木真一をチームへ引き入れる。ふたりはかつて11年にわたってコンビを組み、2002年にはGT300クラスタイトルをともに手にした間柄。だからこそ、コンビ再結成後、長きにわたり勝てないことが次第に重荷となり、気持ちが落ち込むようになった。一方、チームには昨年から一瀬俊浩氏がサポートエンジニアとしてチームにジョイントしており、今年はチーフエンジニアに就任。さらに辻凱杜氏がパフォーマンスエンジニアとして加入。GT500クラスでの豊富な経験を持つ”凄腕”の両者を揃えることになった体制強化もまた、新田には重圧となっていく。

「チームは『ふたりが優勝するところを見たい』と、真一を受け入れてくれたのに、それに応えられないというプレッシャーを感じるようになりました。一方で、エンジニアたちも勝たないと評価されないという思いがあったはずです。若い頃、僕は舘(信秀/TOYOTA TEAM TOM'S代表)さんから『2位はビリも一緒』とずっと言われていたこともあって、”勝つことの意味”をみんなが同じレベルで重く受け止めているように感じたんです。それが焦りになったんでしょうね」。新田は、申し分のない環境にいながら勝てないことに悩み、一方でエンジニアふたりも勝てない理由を自責していると受け止めた。事実、オートポリス戦を前にすっかり戦意喪失していたという。「一瀬エンジニアと話すなか、彼が『トップ(優勝)が見えるところでレースをしていないから、勝ちたいという気持ちを忘れちゃった』と言ってたんです。僕のそういう気持ちが周りにも伝播してたんですよ」。

GT500クラスでの経験をもとに、”オジさんドライバー”ふたりを優勝に導こうとするスタッフの奮闘に反し、結果が出せぬままシーズンは終盤へ。チームは重苦しい空気に包まれ、新田自身もまたドライバー人生で一番やるせない気持ちとチームに対する申し訳なさがどんどん膨らんだ。すると不思議なもので、走りにも影響が出るようになった。「ドライビングもなんか変になってくるんです。運転技術に関係なく、自分の気持ちと違う方向、悪い方向へ進んでいっちゃうんですよ。”なんでここでそんなことをしたんだ?”って。無の状態で走れないんですね。”そんなわけない”と自分では思うのに、それが結果として出るのでそれを受け止めなきゃいけない。自分のドライビングに関わることすべてを悪く考えたり、周りのことを気にするような感じでした」。

使命と受け止める勝利へのプレッシャーが高まり、レースへの情熱も次第に削がれていったのだろう、「レースが楽しくなくなっちゃったんです。約40年レースを走らせてもらいましたけど、一番つらいというか、面白くないというか。『楽しくやれない状態になっている』って、チームみんなの前で言ったんです」と新田は打ち明ける。そして、「僕のわがままをちょっと聞いてもらえますか」とスタッフに胸中を吐露した。「クルマがぶつかっちゃうか、コースアウトしちゃうかもしれない。戦略的にも失敗するかもしれないが、若かったころのがむしゃらな気持ち、レースが楽しかったころの気持ちで走らせてもらえませんか」__ベテランドライバーが伝えた偽りのない気持ちはチームスタッフに快く受け止められ、オートポリスの戦いを迎えることになる。これまで新田がチームで築き上げてきた信頼があったからこそ、成し得たことだろう。

予選では、ひと足先に高木がQ1・B組で2番手の好タイムをマークし、Q2担当の新田が7番手のタイムでシーズンベストのポジションを得る。「予選もすごく楽しかったですね。ただ、Q1で履いたタイヤはテスト(公式練習)で履けてなかったんです。今回、”本命”のタイヤが良くなくて、”保険”として持っていったものでぶっつけ本番のアタックになりました。ロングランもまったくしてないし、オートポリスは特にタイヤの摩耗が厳しいから、一番不安な材料がある状態でスタートしたんです」。SUPER GTのルール上、スタート時には予選で用いたタイヤを装着するが、Q1、Q2どちらになるかは抽選で決まる。今回はQ1でのタイヤとなり、チームは”保険”だったタイヤで新田がスタートを切ることになった。

結果、新田には新たなミッションが生まれる。「僕が担当した最初のスティントでタイヤがどれだけもつか、そしてそのペースが(他車と比較して)どのくらいなのか、の見極めがすごく重要になりました。タイヤはもたせなきゃいけないけど、ただ走っているんだったら勝負権はないという難しい状態でしたね」。勝つことも含め、難題が与えられて俄然モチベーションが上がったのでは、と問うと、そこはもともとの”心配性”が勝ってしまったと苦笑。「これだけは性格なんで、昔のまま。変わりませんね」。

こうして、新田が1時間を超える走行を重ね、40周終わりでピットへと帰還。スティント中は周りと比較してもペースが速かったことから、ピットに戻る10周ほど前には、セカンドスティント以降、高木がタイヤ無交換で勝負できるのではないかという予測が立ったとのこと。だが、この時点でまだ戦略が確定したわけではなかった。「RC Fでのタイヤ無交換は摩耗的に厳しく、今まで(無交換を)したことがなかったんです」。クルマを降りた新田は、自身が使ったタイヤを見て「まだタイヤが残っているから大丈夫」と直感。即、ブリヂストンタイヤのスタッフに打診し、無交換の了承を得る。チームがタイヤ無交換の戦略に切り替えた瞬間だった。新田からのフィードバックはエンジニアからコース上の高木へと伝えられ、こうして96号車の優勝へのミッションが幕を開けたのだ。

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コース上の高木には、序盤はややペースを抑え、中盤から終盤にかけて燃料が軽くなってからのペースアップをリクエストした。68周目の1コーナーで前を走るNo.360 RUNUP x SOL GT-R(荒川麟/金丸ユウ/田中篤)に迫り、3コーナーのブレーキングで逆転を果たしたとき、新田は興奮してピットサインガードに設置されていた机を初めて叩いたと笑って教えてくれた。だが、それ以上に気になったのは、コース上の展開だったという。「もうねぇ……。(GT)500クラス車両とぶつかるんじゃないか、デブリ(コース上のパーツの破片など)を拾うんじゃないか、タイヤはもつのかって頭に浮かんできて」。実際、チェッカーを迎える3分ほど前に、No.17 Astemo HRC PRELUDE-GT(塚越広大/野村勇斗)がコース上にクルマを止めたときは、「とても他人事には思えなかった」とか。クルマ自体のペースもよく、2位以下とのギャップも十分だったため、かえってコース上のアクシデントが気がかりで仕方なかった。だからこそ、無事にトップチェッカーを受けたとき、「ようやく恩返しできた」と涙が溢れ出た。高木もまた、ウィニングランで涙していた。

チームとして7年ぶり、チーム移籍後の高木とのコンビとしては初めての優勝。今は、肩にのしかかっていた”荷物”が少し軽くなったと感じている。「チームオーナーやファンの皆さんには喜んでもらえたと思います。取材がなければ、そういうことを面と向かって言うこともないですが」と笑う新田。さらに、喜んでもらえたと思う存在を口にした。それが、クルマを手掛けるスタッフたちだ。「オーナーやファンの皆さんだけじゃなく、チームのメカニックに優勝を経験させてあげたい、という気持ちがすごく強かったんです。今、メカニックで優勝を経験しているのはひとりだけ。他のメカニックたちにその経験をさせてあげることはもうできないんだろうなと思っていたなかでの優勝だったので、ホントうれしかったですね。彼らも泣いてましたし、その顔を見られて幸せでした」。チームの経営母体は、岡山県が本拠地であるトヨタ系カーディーラー「岡山トヨペット」であり、レースに関わるメカニックの多くがディーラー勤務でもある。勝負ありきの現場でしか味わえない勝利の喜びを晴れて共有できたことが、新田にも一番の喜びになった。

新田だけでなく、チームのみんながいつしか抱いていた「勝てない」という気持ち。忘れていた勝つための”ヒリヒリするような”感覚を呼び戻したいという想いが、慢性化していた状況を打ち砕き、今回の勝利へと繋がった。最終戦のもてぎ大会は、「楽しんで、思いっきり若いころのような気持ちで走れたらいいなと思います。チームスタッフとそういう楽しさを共有し、その様子を見たファンの皆さんからは『応援して良かったな』と思ってもらえるようなレースができれば」。

今回、59歳8ヶ月を超えたタイミングで勝利し、日本人ドライバーを代表するひとり、故・高橋国光氏の最年長優勝記録を27年ぶりに更新した。「あの”国さん”だからこそできたと思っていたのに、まさか自分がそれを超えるんだなんて光栄でしかないです。周りの応援、支えがあってこそだと思います」と言う新田がレース活動を続けるなかで自身ずっと心に留めてきた言葉を教えてくれた。「”継続は力なり”。これも舘さんからよく言われたんですが、若いころから、どうしたらレースを続けられるのか、とずっと考えてやってきたんです。今、改めて長く続けてきたことの意味をすごく感じています」。

シーズン最後のもてぎでは、待望の優勝を遂げて覚醒したベテランドライバーの走りに注目が集まることだろう。

文:島村元子

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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