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現在と比べると公平性に欠けるように見えがちだが、逆に当時の方が“より市販車に近いGT500マシン”で争われるというイメージ。その特徴もあってか参戦車両も多岐にわたり、マクラーレンF1 GTRやランボルギーニ ディアブロなどもGT500クラスにエントリー。特にマクラーレンは予選でポールポジションを獲得するなど上位争いに絡む活躍を見せた。
また当時は多くのレジェンドたちが現役で活躍していた頃でもある。星野一義はNo.12 カルソニックスカイラインで本山哲と組み、熱い走りを披露した。現在ARTAのエグゼクティブアドバイザーを務める土屋圭市も当時は金石勝智とともにNo.8 ARTA NSXのステアリングを握り、2001年には第6戦鈴鹿で優勝しランキング2位を獲得した。
今とはすっかり雰囲気が違う2001年当時のJGTCだが、逆に今では恒例になっているものが当時スタートしたというものもいくつかある。例えばシーズンで一番の盛り上がりを見せるゴールデンウィークの第2戦富士だが、そのレース距離が500kmに初めて設定されたのは2001年からなのだ。また海外ラウンドが始まったのもこの頃。舞台は今年復活予定のセパン・インターナショナル・サーキットで2001年は特別戦として開催され、翌年からシリーズ戦のひとつとして行われるようになった。
2001年、初の500km開催となった第2戦。改修前の懐かしい姿の富士スピードウェイ。
そんな中で当時安定した強さをみせていたのがトヨタ・スープラ勢だった。2001年に脇阪寿一がホンダからトヨタに移籍。第2戦富士ではNo.38 auセルモスープラの立川祐路と激しいトップ争いを繰り広げ移籍後初の勝利を飾った。しかし最終的にチャンピオンを獲得したのは38号車だった。この年立川は竹内浩典とコンビを組み、優勝こそなかったが3度の表彰台を獲得し初タイトルを手にした。
最終戦までチャンピオン争いが繰り広げられた2001年。最終戦もてぎでは様々なトラブルに見舞われるも完走し、チャンピオンを獲得したNo.38 auセルモスープラ。
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