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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月02日

Pre-match Words ~FC東京・羽生直剛編~(2015年8月21日掲載)

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【Pre-match Words FC東京・羽生直剛編】

(2015年8月21日掲載)

Q:ここまでの今シーズンのチームのパフォーマンスをどのように捉えてらっしゃいますか?

A:監督が来て2年目なので継続している部分と、基本的にはやることはあまり変わってもいないですけど、武藤(嘉紀)がいなくなったりして、武藤がいる時の勝ち方と変えなくてはいけない部分がある中で、彼がいなくなってセカンドステージが始まって、やっとこの間のガンバ戦とかは自分たちがやっていることというのは自信を持って良い部分もあるかなという手応えみたいなものが、多少芽生えている感じですかね。これを続けることがまた大事だと思いますけど、どちらにしても監督は凄く結果から、勝ち点から逆算して、そのために何が必要かを意識している監督だと思うので、それに選手が向かってチーム全員でハードワークするというのが、まずやらなくてはいけないことだと思っています。

Q:フィッカデンティ監督は試合中に何回もシステムを変えたりする中で、昨年よりはその回数も減ってきているような印象もありますが、形を変えなくても選手たちが監督のやりたいサッカーを判断できるようになってきている部分はありますか?

A:そうですね。監督がシステムを変えるにしても、「こういう時にこうやって変える」とか「ここがうまく行っていないからこうする」というのが選手もわかってきたので、逆に「そうならないためにまず何をやらなきゃいけないか」とか、ここが自分たちの強みでここが弱みというのをわかるようになってきたと思います。監督との意見というのが一致してきたと思うので、そういう意味では確かに去年とかは「(システムを)何回変えるんだ?」という、多少なりとも戸惑いがあったとは思うんですけど、それをしっかりと自分たちが判断できるようになってきて、落ち着いてやれているという意味では、そういう所が大きいと思います。

Q:ファーストステージは明らかに去年より成績も良くて、結果も出ていて、羽生選手自身もスタメンで出る試合が非常に多かったと思いますが、去年と今年は何が一番違うと感じていますか?

A:選手も東京は今までのサッカーからしたら「もっと繋ぎたい」とか、もっと内容にフォーカスして、極端に言ったら「負けても内容はウチの方が良かった」とか、そういう所に目を向けていた部分もあると思うんですけど、それがやっぱり結果をまず付けなければ、結果が付いてこなければ何も意味がないというのを監督からは学んだと思いますし、逆に「内容が良ければ」というのは、もしかしたら自分たちの弱さだったり、逃げ道だったりという部分でも見方によってはあったと思うので、そこを1回取り払って、自分たちがまず結果を出すことで存在感を出すというか、それをみんなが意識し始めたのかなと思いますね。

本当は選手11人とっても「俺はこういうサッカーが理想だ」とか「これが一番いいサッカーでしょ」というのもみんな持っているとは思うんですけど、今チームとしてまとまった時に「じゃあまず何をする」というのは90分終わって勝っていることを目指しますし、その中で「守備の時間が長くても絶対やられない」と。でも、その後には必ずチャンスが来るし、そのチャンスの時に研ぎ澄まされている状態でいるとか、そういうのが少なからずできるようになってきたのは大きいかなとは思っていますね。

Q:ご自身のプレーに関しては去年と今年で変わった所はありますか?

A:自分はやることはさほど変わらないので、意識しているのは本当にコンディショニングとかの部分しかあまりこだわってはいないですけどね。監督が4-3-1-2とか、中盤の枚数を3枚にしたりする時には、より考えることとかも多いですし、自分は他の選手と比べて判断力というか、バランスを取ったり、守備でも行く所なのか、行くのを1個止めて穴を埋める所なのかとか、そういうのを一番買われているとは思うので、その流れみたいなものをとにかく意識してやる所の精度を上げるという感じですかね。去年と変わったというのは。監督が思っていることはわかってきましたし、試合の後とかにそういう部分を凄く僕には言ってくるので、その判断の精度だけは上げて行けるようにというのは自分自身でやっています。

Q:今おっしゃった4-3-1-2のシステムだと、羽生選手と米本(拓司)選手の所でチームの"疲労"を全部吸い取るというか(笑)、あそこに"疲労"が行くことで2トップ下の選手や2トップの選手が攻撃に力を入れられるようにも見えますが、そのあたりはいかがですか?

A:そうですね。もちろん色々な考え方があると思いますし、前の選手も本当に守備の意識は高いですし、監督からの要求も高いので、僕らだけ必死で走っているということではないと思いますけど、ただ自分たちがしっかりと走ってハードワークして後ろも楽にさせられたり、自分たちの所で例えば他のチームが4人で請け負っている所を3人でできたとしたら、その前の選手たちは楽だろうなというのもありますし、楽しくできると。で、結果的に自分たちが勝利に近付くためには、僕らがあそこを何とかやりこなして、前の3人の攻撃力に賭けるというか、ちょっと分業制みたいな感じもあるので、「俺らがちゃんとやったら、前の3人は点を取って下さいね」という印象でもあるので、やりこなして「オマエらどうなんだ?」と言わないといけないというか(笑)

だから前の3人にはできるだけ守備での負担を掛けないですし、後ろの選手にも守備をしやすくするという所で、そういうメンタリティは失わないようにしていますし、それが僕らは今の監督に求められていることだと思っているので、逆に言ったら3人でやっている時にそこまで「ゴールを取れ」とか「アシストしろ」とかというのは求められていないというか。でも、仕事をする仕事量だとか、やることがその分多いと思っていますし、難しさもありますし、でもそれをやりこなせなければ監督が目指している4-3-3はないとも思っているので、そこの仕事としての難しさとか、やりこなせた時の充実感というのは大きいと思っていますね。

Q:愚問ですけどメッチャキツいですよね?(笑)

A:ハハハ。やっぱり相手もその弱みを突いてきますし、キツい時も正直ありますけど、これでそこをやりこなせなかった時の悔しさもありますし、逆に「コレ、今日イケてんな」と言う時の楽しさみたいなものも自分の中ではあったりもしますけどね。

Q:その「今日イケてんな」という試合が前節のガンバ戦(2015年J1 2nd-第7節 〇2-1)だったのかなと勝手に思っているんですけど、あのゲームはいかがでしたか?

A:良いゲームだったと思いますし、最近は少しボールを持った時もちょっと息をつけるくらいボールも持てますし、今まではずっと速かったりするので「縦に、縦に」という感じが多くて、それこそ中盤もずっと息が上がっている状態で、ボールが来ても何も見えてこないというか、そういう感じもあったんですけど、少し心拍数を落とした感じの時間もあるので、それが良い風に出ているのかなと思います。

あとは、中盤を4人でやっている時もありますし、この間は3人でやって、相手としても「どっちで来るのかな?」と思っている面もあると思いますし、やっぱり少しずつ「3枚だったらこうしようかな」というのがわかってきたので、うまくぼかしたり、守備の所でも行く時と行かない時とか、そういうのがうまく行っている時はあるので、ガンバ戦に関しては途中でシステムも3枚の時と4枚の時がありましたけど、トータルで言ったら自分たちがコントロールできた試合かなと思いましたね。

Q:ガンバ戦でお聞きしたいシーンが3つあって、1つは1点目のシーンなんですけど、カウンター気味に右サイドからクロスが入って米本選手が決めた時に、中盤は3枚の状態でやっていた中で、米本選手と羽生選手だけがエリア内に入っていたと思いますが、あれはオーガナイズとしてはOKなんですか?

A:たぶん(前田)遼一があの時は外に出ちゃっていて、最初のポジショニングとかっていうのは今まで練習しているようなポジショニングの取り方じゃなかったと思うんですけど、(河野)広貴がサイドに出たので、中では遼一もいないですし、一番てっぺんの選手がいなくなっているという中でポジションを取って、うまく(ネイサン・)バーンズと一緒に3人でアタッキングサードというかエリアに入れたので、「アレ、これってチャンスかな」と思って(笑) 「でも遼一はいないしな」と思っていたので、僕も「じゃあ中に行かなきゃ」と思って。

ヨネ(米本拓司)も後で聞いたら「遼一さんがいなかったんで、誰もいないから入んなきゃいけなかったですよね」と言っていたので、そういう感じのポジショニングの取り方だったんですよね。僕もヨネも得点に絡むことが少ないと言われていますし、得点に絡みたいとは思っていたので、そういう意味ではそうやって思っていて、周りからもそう言われている"負い目"を感じていたので(笑)、そういう2人が中で待っていたという形になったと。遼一がいなかったというのが、結果的にああやって僕らが2人で中に入って行ったということになったと思います。

Q:2つ目は2点目のシーンで、中盤は4枚になっていた状態で、あれもカウンターから米本選手と羽生選手が前に入って行ったと思いますが、今シーズンの初アシストになったあのシーンはいかがですか?

A:ガンバの戦い方がもちろん攻撃的だと思いましたし、試合が始まってあそこの時間帯になるまでも、中にパスワークで入ってきて外を使ったりとか、中を見せて外、外を見せて中、という感じでやっていて。ただ、そうやるためにはやっぱり攻撃の時には中にも人数が多いですし、外も高い位置を取っているというチームだと思うんですけど、裏返したらそれを奪った後はそこにスペースがあるというのは前からわかっていたので、あの時は中に入ってきた所を引っ掛けて、ヨネが持ち出した時に「あ、ここ頑張んなきゃいけないな」と。「ここ頑張って出ていく所だな」と思いましたし、「あ、これチャンスになるわ」と思ったので、長い距離を出て行ったんですけどね。

「僕には出さないかな」とは思いましたけど、とにかくヨネの選択肢を増やすためにもというか、だいぶ後ろからだったので何人で出て行ったかというのはだいたいわかっていましたし、遼一がいて、バーンズがいて、というのはわかっていたので、もう1枚選択肢を作ってあげて、「あとはヨネがどうするのかな」と思っていましたね。ヨネが丁寧なボールで僕に渡してくれたので、逆にクロスの時は緊張していました。イメージはあったんですけど、自分の技術力は成功するまで疑ってましたけど(笑) 「うまく行って良かったな」という感じでしたね。

Q:3つ目にお聞きしたいのは89分に左サイドへ右から斜めに走って行って、ファウルをもらって1分くらい時間を潰したプレーがあったと思うんですね。あれってあの状況で物凄く大事なプレーだったと思っていて、あの時間にフィールドで最年長の選手が、逆サイドまで走って行ってFKをもらうというのは「何て素晴らしいプレーだ」と思ったんですけど、あれに関してはいかがですか?

A:そうやって言ってもらえると僕も助かりますけど(笑)、むしろそういうプレーが大事だと言ってくれる人がいること自体に、歳を取ってきた意味があったなとも思います。「今、何が大事かな」というか、「今、頑張ることは何なのか」というのは常に考えてやっているつもりなので。あれは流れの中で、自分としてはパスコースを作る動きの中であそこに出て行って、仮にファウルとかもらえなくてもあそこまで進めて、もう1回相手のボールになったとしても、一番遠い所からのスタートになるので、自分がもう少し後ろの位置で取られるよりは、前に入って行って距離を稼ぐというか、そういうプレーだったとは思うんですけどね。特に意識しているというよりは、自然に「ああ、もうここしかないかな」という感じでした。

あの回し方だと「ここで1回潰れるしかないかな」という感じで行ったんですけど、どちらにしてもベテランと言われていても走ることがベースの選手ですから。例えば一緒にヤット(遠藤保仁・G大阪)も出ていましたけど、ヤットのクオリティは僕にはないので、何で歳を取ってきたかと言ったら走って歳を取ってきたので、そこだけは失わないようにというか、そこは大事にして、その中でいつ走るのかとか、何で頑張るのかという所で自分の中で判断しているので、そこはよく見てくれている人には良く見えたというか、たまたま結果的にうまくいったように見えたシーンだと思います。

Q:ファンタジスタ時代を知っている同い年としては、心が震えましたよ(笑)

A:高校ぐらいまではファンタジスタを目指していたんですけどね(笑) でも、プロになってからは「最後まで汗をかこう」と決めたので。足先だけとかではたぶん自分はやって来られなかったので、最後まで汗をかいてというのをここ何年か見てもやってきていますから。「もうちょっとベテランらしく」とかって思うんですけど、基本的にはハードワークしてという風に、もう腹を括りました(笑)

Q:ここからはキャリアのお話を聞かせてください。名鑑などで羽生選手のプロフィールを見ると、小学校時代のチームはこてはし台SCしか書いていなくて、千葉北FCで全少(全国少年サッカー大会)に出ていることを知らない人も多いんじゃないかなと思いますが、そのチームの棲み分けはどういう感じだったんですか?

A:普段はこてはし台SCでやっていて、その地域のたぶん上手い選手が選抜みたいな形で千葉北FCになって、一応選抜チームとして全少に出たんですよね。

Q:千葉市選抜とは違うんですか?

A:そうですね。市ではないですね。何チームかだけの選抜でした。水曜日に練習が1回あって、出られる大会があると土日のどっちかで試合みたいな感じだったと思うんですけどね。普段はこてはし台SCでやっているんですけど、それが重なった時は千葉北で出るみたいな感じでやっていました。だから、練習と試合で週に2回くらいの活動ですよね。

Q:で、その千葉北FCに村井(慎二・元千葉、磐田ほか)選手と山根(伸泉・元浦和、現VONDS市原)選手がいたんですよね。そのチームから3人もプロが出るって凄い確率ですよね。

A:ああ、確かにそうですねえ。2人とも上手かったですよ。全然僕より上手いと思っていましたし、「この2人スゲーな」と思いながらやっていましたね。

Q:全少はどのくらいまで行ったんですか?

A:ベスト8かベスト4ぐらいでした。まあ強かったなあと思いますけど。

Q:そうですよね。全国ベスト8ですからね(笑)

A:ハハハ。自分が活躍した印象はあまりないですね。県大会は何点か取りましたけど、夏の全国の方はあんまりだったなと思います。確かに全国のレベルは凄かったですけど、その中でも山根と村井君は活躍しているなと思っていましたし、下都賀ジュリアンズってチームに...

Q:毛利(真司・元栃木SC)ですね(笑)

A:そうそう(笑) 下都賀ジュリアンズに僕らは負けたはずなので、「ああ、コイツスゲーな」って思いながら。そんな感じでしたね。

Q:当然市立船橋と習志野が県内の高校では強かった中で、羽生選手は八千代を選ばれた訳ですけど、決め手は何だったんですか?

A:最終的な決め手は家が近いから(笑) 自転車で15分くらいだったので。というのと、あとはやっぱり試合に出たいと思ったので、市船とか習志野で遠くまで行って先輩後輩が厳しくて、自分もあまり試合に出られなかったりするのかなと思ったら、少しでも可能性が大きい方が良いかなと思ったのがあると思います。もちろん習志野や市船も考えましたけどね。

Q:声は掛かっていたんですよね?

A:そうですね。一応声は掛けてくれて。でも八千代が県の中では強いというのは知っていましたし、最終的にはそう決めました。

Q:最初の2年は全国大会にも出られなくて、市船は選手権で優勝したと思うんですけど、「アレ、選択間違ったかな?」というような感じはありましたか?

A:特になかったですね。それこそ山根とか見ていても「アイツは上手いからな」と思っていたので、「全国大会に出たい」とかそこまでの執着はなかったですね。例えば「サッカーで食べていく」とか、そういうことに現実味がなかったというか、「俺なんかがなれないだろ」という感じでずっといましたし、もちろん一生懸命はやっていましたけど、具体的にプロまでのイメージとかを持っていた訳ではないので、「やっちまったな」みたいなのはなかったですけどね。

Q:高校3年の時は国体でもベスト4と結果が出ましたし、選手権でもベスト8とやはり結果が出ましたし、ご自身にとって今振り返ってみても「良い1年だったな」という感じですか?

A:もちろんサッカー人生においての1つの分岐点というか、あそこで得たものは大きかったと思います。例えば大学に行くプラスにもなったと思いますし、全国を見ることができたというのは自分にとって凄く大きかったと思いますね。かと言って、そこでやっぱりプロとかは「だからって俺みたいなヤツがなれる所じゃないでしょ」という感じでしたよね。どれだけ高校の時に活躍しようが、国体で静岡の小野伸二とかと対戦しようと。市船の選手とかは「小野伸二とやれるぞ」とか「高原(直泰)とやれるぞ」という感じでしたけど、僕はあまりそこまで視野を広げていなかったので、「そんな人いるんだ」みたいな感じでしたからね(笑) 試合をやってみて「小野伸二、確かに上手いな~」みたいな感じで、「こういう人がプロになるんだ」ぐらいにしか思っていなかったので、「みんな上手いよな~」って感じでした。

自分がそれこそ選手権に出てプロに行くというようなイメージも作れなかったですし、「大学に行ってサッカーやろう」ぐらいの感じでした。選手権も「大学に行くのにプラスになって良かったな」って思うくらいでしかなかったですね。「全国にはもっと上手いヤツらがいっぱいいるんだ」って思いましたし。だから、「みんなと一緒にいられて嬉しい」とか「テレビで出られて嬉しい」という方が大きくて、そこで「プロの人たち、俺を見て下さい」というのはなかったです。「プロになれるかな?」と思ったのは、本当に大学3年くらいで大学選抜に入ったぐらいから「ああ、狙えるのかな」と思ったぐらいですね。

Q:そんな感じだったのに、何で大学3年の時は「プロに行けるかな」と思ったんですか?

A:大学4年生の先輩がその選抜に入っていればだいたいプロに行っていたので、「大学3年の途中から選抜へ入っていけば、何とかプロの話とか来るのかな~」みたいな感じで思っていました。それで3年の終わりくらいに選抜へ入れて、デンソーカップでも活躍できたので、「ああ、ひょっとしたら」みたいなのが芽生えたのはそれぐらいですよね。

Q:結構遅いですよね(笑)

A:ハハハ。小さいのがコンプレックスだったと思いますし、もっと体もできていて、技術レベルも高くてという選手がプロに行くんだと思っていました。12年から選抜に入っていた訳でもないですし、「俺みたいなヤツじゃないんだろうな」というのが、まだどこかにありました。「頑張ってみるけどさあ」みたいな(笑)

Q:そんな自分が35歳までプロでやっているなんて、当時から考えたら信じられないですよね。

A:自分でも信じられないですね。もう奇跡だと自分の中でも思いますけどね。全然予想もしていなかったです。

Q:何がここまで現役を自分に続けさせてきた一番大きなものだと思いますか?

A:何だろうなあ... やっぱり危機感みたいなものを常に持ってはいますし、それをモチベーションに変えてきたのかなというのはありますね。あとは小さいですし、「人より頑張らなくてはいけない」という想いも根本的にはありますし、プロになってからも「オマエみたいなヤツは3年で終わるぞ」みたいに言われていたので、「それなら今を一生懸命やらないと来年はクビになっちゃうかもしれない」とか、そういう風に思ってやってきました。

基本的にはネガティブなので(笑)、怖さとかが先行しちゃうんですよ。でも、逆に「それがなければ上手くもならない」とも自分の中では思っていますし、「今日1日の練習で手を抜いたら、たぶん俺は終わっていくんだ」みたいな。今で言ったら「一瞬たりとも気を抜いたら来年はもうなくなるぞ。プロ選手としての生活が終わるんだ」と思っていると怖くてしょうがないですけど(笑)、それをうまくモチベーションに変えるしかないですよね。試合前はこの歳でもまだ緊張しますし、「今日うまく行かなかったら次の試合はないかもしれないぞ。来年の契約もないかもしれない」って思いますけど、だからこそこの目の前の一瞬に集中するというか、研ぎ澄ませた状態で入って行きたいんですよね。

「これでダメだったら受け入れよう」って思うくらい、自分の中では集中して入って行けること、それができることというのが、ここまで続けて来られた理由ですかね。だから、今までプロになれるとは思わなかったというのもそうですけど、「みんなからしてみたら俺なんかヘタクソで、どうしようもないプロ選手なんだ」と思ってやるというか、それが謙虚さにも繋がるのかもしれないですし、「俺なんて全然だからやらなきゃいけないんだ」という想いもモチベーションに変えてきたのかなとも思います。

Q:これが最後の質問です。そんなネガティブな思考を抱えながらも、やっぱりサッカーって楽しいですか?

A:ネガティブな感じだからこそ、勝ったこととか何かを1つ得られた時の充実感というのは、他の人より多いのかなと思います。「うわ~、やった~」とか「やってきた甲斐があった~」というのを凄く強く感じる人間だとも思うので、そこを感じるために頑張りたいとも思いますし、そこを感じられた時の幸福感は強いので、できるだけそれを感じたいというのは思っていますけどね。

Q:「メッチャ楽しい!」という感じではなさそうですね(笑)

A:ハハハハハ。でも、「幸せだな」という感じですね。練習中とか試合中も「キチー」みたいな、「早く終わって欲しい」と思う時もありますけど、「これでゴハンを食べられるんだから」と思うと幸せでしょうがないですよね。だから、これが終わらないで欲しいというのはあります。

【プロフィール】

八千代高校、筑波大を経て2002年に千葉へ加入。イビチャ・オシム監督の薫陶を受け、チームの中心として活躍すると、2006年には日本代表デビューを飾る。2008年にFC東京へ完全移籍。2013年の1年間は甲府でプレーし、現在は再びFC東京でレギュラーポジションを掴んでいる。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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