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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月06日

Pre-match Words ~ジュビロ磐田・大井健太郎編~(2016年2月26日掲載)

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【Pre-match Words ジュビロ磐田・大井健太郎編】

(2016年2月26日掲載)

Q:今年はかなりの覚悟を持って磐田に帰って来られたと思いますが、実際に6年ぶりに帰ってきた今の率直な感想はいかがですか?

A:磐田に帰って来られて嬉しいですし、監督やコーチの方には現役時代からお世話になっている人がいて、そういう人の元でプレーできるのは嬉しいですね。

Q:何かクラブが変わっていた所はありましたか?

A:どうですかね。凄く若手が多くなったというか、自分が歳を取ったというのもあるんですけど(笑) 本当に若い選手も凄く練習を楽しもうというか、声を出して雰囲気を盛り上げようという気持ちも強いですし、非常に良い雰囲気で練習ができているんじゃないかなと思います。

Q:以前磐田でプレーされていた頃は若手と呼ばれる部類だったと思いますが、色々と経験を重ねられて、磐田の中での立ち位置の変化はやはりかなり感じてらっしゃいますか?

A:それはもちろんありますね。いつまでも試合に出たり出なかったりという選手として呼ばれた訳ではないので、しっかりレギュラーを張って、チームのために仕事をしないといけない立場だと思いますし、他のチームから獲ってもらっている訳ですから、そういう「やらなきゃいけない」という覚悟をしっかり持ってきたつもりでいます。

Q:練習場も変わっていないと思いますけど、懐かしい感じはありましたか?

A:ありますね。本当にずっとここでやってきたので、クラブハウスも変わらないですし、グラウンドも変わらないですし、サポーターの方も知った顔の方もいて、「おかえりなさい」と声を掛けてもらえると非常に嬉しいです。

Q:そうすると「帰ってきたな」という感じが強いですか?

A:そうやって言われますけど、自分では本当に新しいチームに来たという気持ちの方が強いですね。メンバーも変わっていますし、スタッフも変わっていますし。

Q:静岡はサッカー王国と言われてきた中で、最近はエスパルスがJ2に降格してしまったり、ジュビロがJ2にいた時期もありましたが、静岡出身の大井選手としては静岡のサッカー自体も盛り上げたいという気持ちはありますか?

A:ありますね。それは。やっぱり静岡、藤枝で生まれて、自然とサッカーを始めて、Jリーグもジュビロ、エスパルスとよく2チームとも見に行っていましたし、高校サッカーも見に行くくらいの子供だったので、やっぱりJ2にジュビロがいた時は寂しかったですし、いちファンとして応援していて、J1に上がってきた時は嬉しかったですし、そこでまたプレーできるという時間を与えてもらえることは本当に幸せなことなので、そのチームに少しでも恩返しができるようにプレーしたいという気持ちはありますね。

Q:いくつか他の地域でのプレーも経験されたと思いますが、静岡はサッカーに関して何が一番違うなと思いますか?

A:もちろん地元出身ということもあると思うんですけど、やっぱり街で歩いていたり、普通にしていても声を掛けられることが多いですし、他の地域に行た時は普通に銭湯とか行って声を掛けられない時もありましたけど、こっちだと良く声を掛けられますしね。そっとしておいて欲しいです、そこは(笑)

Q:でも、そういうのってたぶん嬉しいことですよね。

A:それは「頑張ってね」という声を掛けられれば嬉しいですよ(笑) そっとしておいて欲しいということもないですけど、まあ時と場合によります。こっちの機嫌が悪い時は放っておいて欲しいです。「アイツ、今機嫌良さそうだな」という時に声を掛けてもらえれば(笑)

Q:今着用されているウェアにもエンブレムが入っていたり、『YAMAHA』という文字が入っていますけど、そういうものを身に着けると改めて気が引き締まるような所はありますか?

A:それは所属したどのチームのユニフォームを身に着けていても、その年はそのチームで頑張ろうと思ってやってきました。今年はジュビロでやりますけど、一番在籍も長いクラブですし、昔とデザインが変わったりとかしていますけど、やっぱりサックスブルーをみんなが着ている集合写真とかを見ても「カッコいいな」と思いますし、その一員でいられることは嬉しいですね。

Q:ジュビロはJ1の中で常に優勝争いを求められるクラブだと思いますが、そういう位置に返り咲くために今一番必要な部分はどういう部分だと感じてらっしゃいますか?

A:まだ練習しかしていないですし、なかなか「これ」というのはわからないですけど、もっと練習中から厳しさを持つとか、そういうことは必要かなと思いますね。

Q:それは自分がジュビロの黄金時代と言われる時期を体験しているからこそ、今そういう風に感じる部分があるということでしょうか?

A:それはどうなのかわからないです。当時と比べることが良いことなのかもわからないですし。でも、自分が思う強いチームというのは、チーム内での競争も凄く激しかったですし、同じポジションのヤツには絶対に負けたくないという気持ちがありましたし、紅白戦だろうと小さいゲームであろうと負けず嫌いな選手が大勢いて、リラックスゲームでも負けたら悔しいからついつい本気になっちゃうとか、普通にシュート練習でもシュートを外して「ドンマイ、ドンマイ」じゃなくて、「決めろよ」って声が飛んだりとか、ディフェンスの中でも1メートル、2メートルにこだわってプレーしていかないと、そういうのは試合に出てしまうと思うので、そういうことは練習から試合に繋がる厳しさになってくるんじゃないかなと思いますね。

Q:そういう雰囲気をチームの中に創っていこうという意欲は、今の大井選手ご自身の中でも高いですか?

A:そうですね。雰囲気自体は凄く良いですし。ただ、リラックスする所とビシッとしなくてはいけない所はもちろんあるので、強いチームというのは笑いの中にも厳しさがあったり、厳しさの中に笑いがあったりして、そういう雰囲気が一番良いと思うので、今は違いますけどダラダラして終わるという感じにブレないように、しっかり引き締める所は引き締めて行かないといけないなと思います。

Q:スタジアムも今回はヤマハスタジアムで、新潟時代にプレーしたこともあったと思うんですけど、ホームチームとしてピッチに立つのはかなり久しぶりだと思います。ヤマハスタジアムでのプレーというのはかなり楽しみですか?

A:楽しみですね。開幕戦のチケットも完売ということなので。自分がナビスコカップで優勝した時も、その次の試合で「満員になるかなあ」なんて話を選手としていたら、意外と埋まらなかったことも覚えていますし、やっぱりそれだけ今年のこのチームに期待されているというのがわかるので、本当に絶対に勝つんだという気持ちは凄くありますね。

Q:サッカー専用のスタジアムですし、ピッチも凄く近くて、スタンドとの一体感を僕も見ていて凄く感じるんですけど、ヤマハスタジアムの魅力というのはどういう所ですか?

A:やっぱり今言われたように、ピッチと観客席の近さは本当にヨーロッパ並みだと思いますし、自分も良く見に来ていましたけど、ドゥンガがまだいた頃に、ドゥンガがCKを蹴る時に僕はその近くで見ていて、こっちを見て笑ってくれたというのを凄く覚えていて、それが本当に自分を見ていたのかわからないですけど、「自分を見た!」と思えるくらいの近さでしたし、顔の表情もわかりますし、ボールを蹴った時のインパクトの音とか体のぶつかる音とかも本当に聞こえてくるので、臨場感というか、そういうサッカーの醍醐味というのを感じさせてくれるスタジアムだと思います。

Q:逆に今はスタジアムに来た子供たちへ自分のプレーを近くで見てもらう立場になっていると思いますが、そういう現在の状況は嬉しいことですか?

A:嬉しいですね。小学校の頃からの夢であるサッカー選手で仕事をさせてもらっていて、自分は藤枝出身なので、藤枝の自分のいた少年団の子たちがジュビロでプレーしている時に、年1回は56年生とかが見に来てくれて、横断幕とか掲げてくれているのを見ると凄く幸せですし、自分が憧れた選手のように少しでも夢とかを与えられれば良いなと思います。

Q:ここからはキャリアのお話をお聞かせ下さい。小学校の頃は高洲南サッカースポーツ少年団でプレーされていたということですが、強いチームだったんですか?

A:まあまあ強かったですね。たまに県大会に出るぐらいでしたけど、今は強いんじゃないですかね。

Q:静岡で県大会に出るぐらいって結構強いですよね。

A:どうなんですかね。出る代もあれば出ない代もあるみたいな。でも、結構熱心にみんな取り組んでいたと思います。

Q:1つ上に小澤雄希選手がいたんですね?

A:ああ、そうです。そうです。讃岐の。

Q:高洲南からプロになったのは現時点で2人だと思うんですけど、仲は良かったんですか?

A:仲良かったです。親同士が仲良くて、僕らも仲良かったですよ。あの人はメッチャ足が速かったので点を取りまくっていました。今はサイドバックですけどね。背は小さかったんですけど、メチャメチャ足が速くて凄かったです。

Q:大井選手は小学校時代はどこのポジションだったんですか?

A:まあフォワードをやったり、中盤をやったりでしたね。センターバックは高校に入ってからだったので。結構点も取っていたと思います。選抜チームにも入れていましたし、そこそこ頑張っていた方だと思います(笑) 中西部トレセンには入っていて、県トレセンはまた中西部から何人か行くんですけど、県トレセンからさらにまた選ばれて県選抜になるんです。県トレセンは結構大人数でやっていたので、僕もそこにはチョイチョイ行かせてもらっていたんですけど、県選抜には入れなかったですね。

Q:静岡からは大井選手と同い年のJリーガーが相当出ていますけど、小学生当時のスーパースターは誰だったんですか?

A:成岡翔じゃないですか。あとは矢野貴章とか。でも、一番上手いと言われていたのは成岡翔ですかね。メチャメチャ有名でした。俺が知っていただけかもしれないですけど(笑)翔は島田なんですけど、藤枝とは隣の市で少年団同士で練習試合とかもしていたので、昔から知っていました。翔は当時にしては珍しくロン毛だったんですよ。今どきの小学生は色々な髪型の子がいますけど、当時はみんなボウズとかスポーツ刈りとか、長くて坊ちゃん刈りとか(笑) でも、翔だけ凄いロン毛で上手かったからよく覚えています。

Q:中学生時代のチームはACMブルックスですね。ジュビロとかエスパルスのジュニアユースもあったと思うんですけど、どうしてそのチームだったんですか?

A:藤枝だからです(笑)

Q:ああ(笑)

A:別にジュビロとかエスパルスに行きたいとは思わなかったですね。そこまで上手くなかったですし、まったくやれる自信もなかったですし、中西部トレセンに入っている子たちはみんなACMの試験を受けるということで、僕の1個上からそのクラブチームが発足して、1個上の上手い人たちが行っていたので、中学校の部活よりレベルも高かったですし、という感じで行ったんですかね。詳しくは覚えてないです(笑)

Q:まあ20年も前のことですからね(笑)

A:流れに任せていました(笑)

Q:そうするとその頃は上を目指すというよりも、みんなで楽しくサッカーを、という感じでしたか?

A:うーん... 漠然と「Jリーガーになりたい」とは言っていましたけど、「みんな上手い選手がそこに行くから行く」みたいな。でも、「ジュビロとかエスパルスに行くほどの勇気はない」みたいな選手だったと思います(笑) 例えば岡田隆はジュビロのジュニアユースに入りましたし、僕はそれを受けようともしなかったですね。

Q:実際に入ったACMブルックスはいかがでしたか?

A:監督やコーチに凄く厳しい人がいたりとか、なあなあじゃなくて厳しさも教えられました。あとは強いチームと試合をするので、小学校の頃はほとんど勝っていましたけど、負けることも多くなって悔しさもありましたし、自分的にも小学校の頃は背が大きくて、足が速くてできていた部分が、みんなに追い付かれてできなくなりましたし、中学校の頃は挫折ばかりというか、うまくいかないことの方が多かったですね。

Q:フィジカル系の早熟の選手って、そこで周囲に追い付かれていくとサッカーを辞めちゃうパターンもあると思うんですけど、そういうのはなかったですか?

A:辞めようとは全然思わなかったですね。遊ぶにしてもサッカーが楽しかったですしね。

Q:高校が藤枝東というのも、藤枝だからですか。

A:はい。だって、Jリーグを見に行くよりも親に連れられて藤枝東のゲームを見に行ってましたからね。後輩が先輩のことを"さん"付けで呼んでいるのを見て、「なんで男同士で"さん"付けしてるんだ?」という疑問を抱きながら見ていました(笑)

Q:じゃあ相当小さい頃から藤枝東を見ていたんですね。

A:そうですね。藤枝東だけじゃないですけど、夏休みになれば市民グラウンドに国見だったり武南だったり習志野だったり、色々な高校が来ていて、そういうのを見に行ったりとか、色々と連れて行ってもらいましたね。

Q:藤枝東は進学校ですよね?

A:そうですね。公立で推薦もないので、中学の頃は勉強頑張りました(笑) 中学ぐらいまでは本当に頑張って勉強してましたね。

Q:「中学まで」を強調しますね(笑)

A:高校時代になったら「入ったからいいや」って思っちゃって、恥ずかしながら補習を受けて何とかしてもらうというか(笑)、授業だけしっかり受けて先生の心象を悪くしないようにというか(笑) 何とか進級させてもらっていましたね。U-17の代表に選ばれていた頃は、僕よりも翔の方がそうでしたけど、本当に出席日数が危なくて「進級大丈夫かな?」と心配されるくらいだったみたいですね。後々聞くとですけど。

Q:藤枝東は先輩にものちのJリーガーがいましたし、同級生も国体メンバーにかなり選ばれていたりしていたと思いますが、相当レベルは高かったですか?

A:高かったですね。みんな上手かったですし、先輩にも上手い人がいっぱいいましたし。入学した時は右サイドバックで入ったんですけど、3年生に当時国体の県選抜に選ばれていた先輩もいましたし、凄く勉強になる場でした。

Q:中学までは前目のポジションをやっていて、高校からサイドバックだったんですね。

A:いえ、もう中学3年の頃は右サイドバックでした。だんだんポジションが下がってきていて。フォワードでは技術もないし、足も遅くなってきて、みんなと同じくらいになって(笑)、中盤になって、右サイドバックなら攻撃もできるしというような。だから、高校1年までは右サイドバックで、高校2年からセンターバックですね。

Q:じゃあセンターバックになって、すぐにU-17の日本代表に選ばれたということですね。

A:本当にそうです。高校2年でセンターバックに変えてもらって、その年の夏の総体にレギュラーとして全国に出られたんです。それで、その年の9月に世界大会があったんですけど、チームがセンターバックを探していたらしくて。当時の監督だった田嶋幸三さんがウチの監督とどこかで繋がっていたみたいで、その大会で翔の様子を見つつ(笑)、僕のプレーも見てもらえて、合宿に呼んでもらえたという感じですかね。

Q:そうですよね。アジア予選は出ていなかったですよね。

A:そうです。申し訳なかったですよ。世界大会の直前合宿に呼ばれて、試合にも出られちゃいましたし。だから、本当に代表の重みもあまり感じる暇がなかったですね。周りも本当に上手かったですし、急に代表に入ったので。でも、教えてもらうことが凄く新鮮で、どんどん知識が増えていって、サッカーが楽しくなっていったなとは思います。それは覚えていますね。「だからこうやって動けばいいのか」とか。それまではセンターバックになったばかりで、来たボールをヘディングで跳ね返すとか、本当に身体能力だけでやっていた感じだったので、代表に呼んでもらえるようになってからサッカーを考えてやるようになりました。

Q:そうすると、その頃はある意味でサッカー人生のターニングポイントみたいな時期ですか?

A:完全にターニングポイントです。センターバックにポジションを変えてもらえなかったらプロにはなっていないでしょうし、服部先生(※服部康雄先生。元藤枝東高校監督)に感謝ですよね。

Q:服部先生は何でセンターバックに変えようと思ったんでしょうね?

A3年生が全員4バックで出ていたので卒業してしまって、右サイドバックにも1個上に岡田佑樹(※札幌、栃木、水戸、藤枝でプレー)という足の速い先輩がいたので、あぶれる形じゃないですけど(笑)、そっちに回されまして。でも、最初は散々でした。新人戦も勝てませんでしたし、失点して負けたら「自分の責任だ」と凄く思っていたので。先輩たちもいる中で試合に出ていて、センターバックに変わったばかりの僕が出ていてやられてとかだと、メチャクチャ申し訳なかったですね。

Q:高校2年はセンターバックに変わって、インターハイが全国準優勝で、国体が全国優勝で、世界大会もあってと凄い1年間ですね。

A:世界大会とか相手が衝撃的過ぎて。初めてやる世界の相手がいきなりアジアを飛び越して、ワールドカップだったので。高校生相手からいきなりフランス、ナイジェリアとその大会の優勝チームと準優勝チームと同じグループになっちゃって。あまり覚えてないんですけどね。もう本当に忘れちゃいました(笑) 「ああいう経験をしているから上手くなった」とかじゃなくて、本当に衝撃的過ぎてほとんど覚えていないです。でも、"9.11"があったことだけは覚えています。

Q:ああ、大会期間中に"9.11"があったんですか?

A:そうです。しかも初戦がアメリカだったんですよ。9.9に僕たちもニューヨーク空港を飛んで、その2日後にそこが爆破されちゃって。ニュースも当然英語で喋っているので、僕ら高校生はあまりわからなくて、最初は「映画の映像かなんかかな?」と話していたら、スタッフミーティングでこういう理由でこうなったと説明されて。「だから帰れる日とかわからなくなっちゃったけど、とりあえずまず試合に集中しよう」と。「初戦はアメリカだから、国を勇気付けるために頑張るぞ」と。実際にアメリカは凄く強いと言われていたチームだったのに、そこに良い試合ができて勝てて、「アレ、行けるのかな」と思ったら、次からの対戦相手がもっと強くて、もう楽しかったですけど衝撃的でしたね。

Q:衝撃的だったのは身体能力ですか?それとも上手さですか?

A:ナイジェリアは本当に身体能力が凄かったです。でも、個対個だったので、当時の僕は楽しくやっていました(笑) 自分の所でボールを取れたら楽しかったですけど、フランスはチームとして全然違いましたね。パスも凄く回されましたし、当時は思わなかったですけど、今思えばあれが大人のサッカーなのかなと。当時の僕は日本代表にも凄く衝撃を受けるようなレベルだったので、スルーしてワンツーしたりとかも「そんな連携あるんだ」みたいな。それぐらいのレベルだったので、ウチのフォワード陣が全然通用しないとか、本当に衝撃的過ぎて、フランス戦は雨が降っていたことしか覚えていないです(笑)

Q:ちょっと調べたら当時のフランス代表の選手はその後で何人もワールドカップに出ていました。国籍はアルジェリアとかチュニジアとかでしたけど。

A:そうなんですか。スゲーなあ。でも、その大会が終わってすぐにシナマ・ポンゴルを見て。彼はその後にリヴァプールとか、ヨーロッパのクラブを渡り歩いていたので、「あ、コイツ知ってる!」って思ったのを覚えています。あとは、アメリカ代表に(エディ・)ジョンソンって選手がいましたけど、彼もフル代表に入りましたよね。彼は当時からメチャメチャ有名でした。日本との試合では全然良くなかったですけどね。

ナイジェリアにも何か凄いヤツがいたらしいです。あの世代はナイジェリアが最強ですからね。だって、ゴールを決めて、バク転でゴール前からコーナーフラッグまで行ってましたから(笑) 「とんでもない身体能力だな」って、それにみんな驚いてました。試合の映像をスカウティングで見ていたんですけど、ゴールを決めた選手がそれをやっていたので、みんなそっちばかり見ちゃったという印象はありますね(笑)

Q:高校時代に話を戻すと、藤枝東にはワールドカップで2回もキャプテンを務めた先輩がいらっしゃいますが、浦和時代のプレーを思い返すと、今とはだいぶ違うキャラクターだった印象があります。実際に藤枝東時代の"長谷部先輩"はいかがでしたか?

A:いや、当時は全然『心は整ってなかった』ですよ(笑) 最近は直接会っていないからわからないですけど、「あんな本を書くのか」という。ビックリしました。

Q:本は読みましたか?

A:いえ、読んでないです。もらえれば読みますけど(笑) 売り上げを寄付したんですよね。もう立派過ぎて尊敬します。でも、家も近かったので小学校の頃から知っていましたし、上手くて有名でしたからね。高校時代から上手さは抜群でした。今はボランチとか右サイドバックをやっていますけど、当時は生粋のトップ下という感じで技術で勝負するタイプだったので、今とはイメージが違いますけどね。性格から何から何まで「プロに入って変わったんだな」と思いました。ただ、気の強さとかは元々あったので、そういう所がメンタルの強さに繋がって、海外でも活躍しているんでしょうね。これだけ活躍するというのは本当に凄いことですし、尊敬しかないですね。

Q:同級生が2人もプロになられていますけど、成岡選手と岡田選手はやっぱり大井選手にとって特別な存在ですか?

A:友達としてもそうですし、サッカー選手としてもそうですね。やっぱり2人ともマジメですし、サッカーに取り組む姿勢を凄く大事にしている2人なので、あの2人も本当に尊敬しています。

Q:普通に考えても小学生時代から知っている友達と、同じ職場で働くってなかなかないことだと思いますけど、それって不思議な感じですか?

A:不思議な縁はあると思いますね。僕がジュビロから出て新潟に行ったら翔が来て、翔と隆は福岡で一緒になって、また僕がジュビロに帰ってきたら隆がいてと、どこかしらで繋がりがあるので嬉しいですよね。

Q:大井選手から見た成岡選手ってどういう人ですか?

A:人見知りでしたけど、今は凄く人見知りは改善されていると思います(笑) 移籍もありましたしね。新しい所に行くと性格もオープンになると思いますし、そういうイメージはありますね。

Q:岡田選手はどういう人ですか?

A:隆は昔から本当にキャプテン気質というか、マジメでしたし、喋りも上手いですし、人当たりも良くて、誰とでも仲良くなれるし、上の人からも後輩からも好かれるしという、本当に優等生みたいな感じですけど、マジメ過ぎずにみたいな感じです。

Q:今でも藤枝東の同級生で集まったりするんですか?

A:します。します。仲良いですね。

Q:そういうのって最高ですよね。

A:最高ですね。高校の同級生は本当に仲が良くて、面白いヤツが多いので、地元に帰って来られたので多く集まりたいと思います。同級生や一緒にサッカーを頑張っていた人から応援されるというのは本当に嬉しいですし、みんなの代表としてやっている感じでプレーできます。

Q:ちなみに今回の解説者は玉乃淳氏なんですけど、彼の現役時代のイメージってありますか?

A:同級生ですよね。メッチャドリブルが上手くてという。僕は直接知らないですけど、U-15とかの時に翔が「スペインから来てる凄い上手いヤツがいるんだよ」と代表から帰ってきて話をしていて、「メチャメチャ上手い」と言っていたのを覚えています。あとは、凄く"オシャレさん"なイメージです(笑) 解説者になってからだと思いますけど、試合の帰りかなんかにどこかで一緒になった時に凄くオシャレな格好をしていて。でも、僕はあの人の解説好きですよ。新潟の時も結構来ていて、「メッチャ面白いな」って見てました(笑) あとは現役に近い人が解説をやると、やっぱり「そうそう」って僕らも思っていることを伝えてくれるので、見ていて凄く面白いですよね。

Q:サッカー的な接点はないんですね。

A:ないんですよ。プロになって対戦したことはあるんでしょうけど、あの人は高校時代はスペインにいたじゃないですか。そうなると代表でしか関われないですし、その頃の僕は全然代表にも入っていなかったので。でも、翔がそういう風に言っていたので凄く覚えています。なんか翔が玉乃さんについて「靴ひもを結ぼうとしてしゃがみ込んで、『ちょっと待って』みたいなことを言いながら、いきなりドリブルを始めて、『ああ、マリーシアってこういうことか』って思った」みたいなことを言ってましたね(笑) こっちも「スゲーヤツがいるな」って。「そういうこともしてきたよ」「やっぱり海外でやってるヤツは違うね」という話をしていたのを覚えています(笑)

Q:貴重なお話をありがとうございます(笑)

A:本人に言っておいて下さい(笑)

Q:これで最後の質問にしたいんですけど、夢ってありますか?

A:夢ですか? ...夢はサッカーを辞めて、南の島でのんびりしたいです(笑) サッカー選手としては夢ではなくて、目標としてジュビロで優勝したいですね。優勝してベストイレブンに入って、「何で日本代表に呼ばないんだ?」ぐらい言われるプレーをしたいです。年齢的に難しいかもしれないですけど、そういう所に名前が挙がるぐらいの選手になりたいです。なりたいというか、しっかり優勝すれば必然的にそうなると思うので、クラブで本当に結果を出したいですね。

Q:クラブで結果を出して、何年か後に南の島に行きたいと。行きたい島のイメージはあるんですか?

A:ないです。暑い国に行きたいです(笑)

【プロフィール】

藤枝東高校2年時に全国高校総体準優勝、国体優勝を経験すると、FIFA U-17ワールドカップにも出場。2003年に磐田へ加入し、湘南、新潟でのプレーを経て、今シーズンから6年ぶりに磐田へ復帰。ディフェンスリーダーとしての活躍が期待されている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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