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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月02日

Pre-match Words ~ベガルタ仙台・富田晋伍編~(2015年8月11日掲載)

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【Pre-match Words ベガルタ仙台・富田晋伍編】

(2015年8月11日掲載)

Q、今年からキャプテンを任されていますが、そのキャプテンという役割に関してはどのように感じてらっしゃいますか?

A、どれが正解というのはわからないですけど、自分の中では去年までよりは声は出しているとは思っていますし、もっともっと鼓舞するだとか、雰囲気を盛り上げるだとかというのは意識はしています。

Q、「キャプテンをやってくれ」と言われたんですか?

A、そうですね。「お願いしたい」というか「やってもらいたい」という風に話をもらって、自分自身そういう機会というか、経験がなかったので、まず「自分でいいのかな?」という部分でちょっと考えさせてもらいましたけど、最終的にこの仙台にここまで長く居させてもらって、「何かしら貢献したいな」というのがあったので、やらせてもらうことにしました。

Q、実際にキャプテンを任されてみて、その重みを感じるような部分はありますか?

A、いや、もうだいぶ自分の中では重いというか、常に試合の結果で責任を感じますし、ずっと試合に出させてもらっている中で、なかなか思うような結果が出ないというのも凄く責任を感じます。でも、こういう中でやっぱり自分が引っ張って行かないとチームも変わらないと思うので、そこは自分の中で苦しい時もありますけど、前を向いてやっていきたいなという風には思っています。

Q、責任や役割がそろそろ自分に必要だなと思って、キャプテン就任を決意した部分もありますか?

A、そうですね。年齢的にもそういうのは今までも少しは思っていましたけど、なかなか行動に出せなかったというのはあるので、そのキャプテンという名前だけでも自分を「やらなきゃ」という風にさせてくれるので、それは人間としても良い機会なのかなという風には感じていますね。

Q、自分でゴールを奪うということに対する意欲はいかがですか?

A、今まではそういう結果も自分の中では必要としていましたけど、今年に限っては個人というよりも本当にチームの結果が最優先という風に思って入っているシーズンなので、自分の出来次第でチームも変わると思いますけど、個人の結果というよりはチームが勝ち点3を取るために何ができるかという所だけを考えて、自分はやっているつもりです。もちろんゴールだったり得点に絡むというのは、もっともっとしていかなくてはいけないと思いますけど、まずはチームの結果というのを最優先にしたいなとは思います。

Q、序盤はリャン・ヨンギ選手とボランチを組むことが多くて、今はキム・ミンテ選手と組むことが多いと思いますが、それぞれと組む時の使い分けというのはどういう部分を意識されていますか?

A、リャンさんはどちらかというと攻撃の選手なので、本当に攻撃に専念してもらいたいというのがあって、はっきり自分が後ろ目で守備を重視してというのを常に意識していましたし、ミンテはどっちもできるというか、どちらかというとちょっと攻撃が好きな選手でもあるので、そういう時には自分が残ったりだとか、やりやすいようにというか、自由にやってもらっている感じですね。

Q、そのあたりは年齢の成せる業というか、キム選手をうまく操ってあげている感じですか?

A、自分がそういう風にやってもらっていたので、年齢的にもそうですし、なかなか自分より年下の選手とボランチを組むというのが今までなかったので、その逆の立場を考えたら当然というか、してきてもらったことをやるだけという感じでやっています。

Q、年下の選手と組むというのは新鮮ですか?

A、そうですね。基本的にここ2年ぐらい前までは自分が一番下でやっていましたし、今年は特に下の選手が出ているので新鮮でもありますし、やっぱり負けたくないという気持ちもあるので、何か違ったシーズンなのかなとは思いますね。

Q、若い選手が増えてきたことで「年を取ってきたな」と思うようなこともありますか?

A、うーん、体はそんなでもないですけどね。ワイワイ騒ぐようなノリとか感じは、ちょっとは落ち着いたかなと思います(笑)

Q、今回はホームゲームで、個人的にもユアスタは毎年来たいなと思うスタジアムの1つなんですけど、ずっとあのスタジアムでプレーされている富田選手にとって、ユアスタっていかがですか?

A、むしろそこでしかやったことがないので(笑)、他の雰囲気はちょっとわからないですけど、本当に来る人がみんな「変わった雰囲気だ」という風に言っているのを聞くことが多いので、本当にそういう場所で、そこをホームにしてできるというのはなかなかないことですし、そこでパワーを結果に繋げないといけないなという風には思います。

Q、ちょっとあの歓声で走らされちゃったりする所もありますか?

A、それはもちろんありますね。それで逆にイケイケになって、逆に失点という所もちょっとあるので(笑)、そういう所は自分が考えながらやらなくてはいけないのかなとは思っています。

Q、ここからはキャリアのお話を聞かせてください。小学校の頃はFC大平でプレーされていたとのことですが、栃木県選抜には入っていたんですか?

A、いや、小学校6年の時に県大会で優勝して...

Q、全少(全国少年サッカー大会)に出たんですか?

A、いや、出ないやつです。秋ぐらいの大会で。そのくらいからちょっと呼ばれるようになった感じです。まずは下都賀郡の選抜で県の地区の大会に出たりして。それから中学で県選抜に入ったぐらいですね。

Q、何で中学時代はヴェルディ小山を選んだんですか?

A、中学校1年の時は普通に中学のサッカー部にいたんですけど、2年になる時にヴェルディ小山の1期生の募集があって、やっぱり小さい頃からヴェルディというチームは見ていましたし、むしろヴェルディかマリノスかアントラーズかぐらいしか知らなかったですし、単純に名前でまずは食い付いちゃいましたね(笑)

Q、1期生ということですが、上の代はいなかったということですか?

A、その前からスクールみたいな感じではやっていて、それこそ武井(択也・仙台)くんもそのスクールに入っていましたね。あとは、自分の通っていた中学の3年生に僕が小学校の頃から同じチームで相当憧れていた人がいたんですよ。ポジションもトップ下とかで、一番カッコいい感じで(笑) その人もスクールに入っていたので、もしかしたら一緒にできるんじゃないかというのもありましたね。

Q、中学の頃には県選抜にも選ばれて、「栃木の中では十分やれるな」という手応えがあった感じですか?

A、まったく覚えていないですね... その頃のポジションがセンターバックとかなんで、自分は常に不満を持ってやっていました(笑) でも、楠瀬さん(楠瀬直木・元ヴェルディ小山監督、現FC町田ゼルビア・アカデミーダイレクター兼U-16日本女子代表監督)的には自分の良さをわかって使ってくれていたんだと思うので。自分は全然楽しくなかったですけどね(笑)

Q、ヴェルディ小山から本部のユースへという流れはちょっと聞いたことがないですけど、どういう経緯でそうなったんですか?

A、中学3年の夏に小山とか支部の集まる大会がよみうりランドであって、その時に支部の選抜を選んで、本部のジュニアユースと試合をしたんですよ。それで、そこに都並(敏史)さんがいて、都並さんと話をしてユースに呼んでもらったという感じです。自分の中では「ユースに上がれたら一番良いな」というのはありましたけど、まさか1人暮らしをするとかは想像もしていなかったので(笑)、地元を離れるということもあってちょっと迷いましたね。

Q、何が決断した一番の理由だったんですか?

A、やっぱり環境というか、本当にトップの近くで練習できたり、もしかしたらトップと一緒に練習できたり、あとはやっぱりヴェルディという名前ですよね(笑)支部からユースに呼ばれるというのもなかなかないケースだというのもあったので、家族やおばあちゃんと離れるのが寂しくて泣きながら行きました(笑)

Q、おばあちゃん子だったんですね。

A、はい。ずっと親が働いていて、おばあちゃんが家にいてという感じだったので。泣いているその時の写真が残っていました(笑)

Q、ユース時代は1人暮らしだったんですね。

A、まあ1人暮らしというかヴェルディの寮で、それこそトップの選手も一緒にいて「凄いな」と思いました。

Q、実際に入ってみたヴェルディユースはいかがでしたか?

A、やっぱり周りの同じ世代というか、2個上の菅野(孝憲・柏)くんとか、もう玉乃(淳・解説者)くんはいなかったですけど、本当に上手い選手ばっかりなので不安というか、「やれるかな?」という感じと、あとは都会の街並みも...(笑)

Q、寮のあるあたりはそこまで小山と大きくは変わらないんじゃないですか?(笑)

A、でも、それまでは親の送り迎えだったりとかして、電車に乗ることがあまりなかったので、自分で電車で移動することも珍しかったですし、それこそ新宿とかもう(笑) 当時は何もかもわからないことだらけでしたから。でも、高校もそうですけど凄く楽しかったです。

Q、ユースでは1年生からもうゲームに出ていたと思いますけど、サッカー自体に関してはかなり早い段階で手応えはありましたか?

A、そうですね。それこそ1年のクラブユース選手権でメンバーに入って、試合も最後の方は出させてもらったので、相当手応えがあったというか、「やっていけるな」とはその時に思いましたね。ただ、その時もセンターバックだったので(笑)

Q、楽しくなかったですか?(笑)

A、いや、その時はもう必死でした。まず怒られるのが嫌ですし、そこでまず何かができればチャンスはあると思っていたので、必死にやっていましたね。

Q、今振り返ると富田選手の2個上から2個下までの範囲は、たぶんヴェルディの育成年代でもかなりプロになっている選手が多い年代だと思いますが、やはり練習からレベルは高かったですか?

A、普通に一柳(夢吾)くんとかオノッチョ(小野雄平)とか北脇里規くんとかもトップに帯同していましたし、それこそ同級生の塗師(亮)とかもトップに行っていて、自分もその中に入りたいというのはあったので、常に練習中からアピールという感じでしたね。特に都並さんが監督の時は球際が勝負だったし、そこはもう自分の持ち味が発揮できる所だと思っていたので、そこは絶対に負けたくないと思ってやっていましたね。

Q、2年の時に監督をされていた与那城ジョージさんの指導はいかがでしたか?

A、ジョージさんは優し過ぎました。たまに怒ると怖いですけどね。でも、基本的に(菊原)志郎さんとかも一緒にゲームとかすると全然違うので、「何だ、この人たち」と思って(笑) 「凄い人たちに教えてもらっているな」という風に感じながらやっていました。

Q、トップには上がれなかったという形ですか?

A、そうですね。上がれていたら一番良い流れだったんですけど、上がれなかったので。でも、都並さんがそれこそ仙台を探してくれたというか、色々と動いてくれて練習参加させてもらったので、都並さんには本当に感謝していますね。

Q、そうすると富田選手の仙台入団が決まってから、都並さんの監督就任が決まったという感じですか?

A、いや、都並さんも一緒に練習に来てくれて、もう1人と一緒に練習に参加したんですけど、その時に監督の話をもらったんですかね。で、クラブは「どちらかの選手を獲りたい」ということで、都並さんが一緒に仙台へ連れてきてくれたという感じなので、都並さんがいなかったら今ここにはいないですからね。

Q、相当仙台での生活も長くなっていると思いますが、相当愛着もありますか?

A、もうサッカーだけじゃなくて街だったりもそうですし、だいぶ"地元感"は強いですね(笑) そろそろ人生の半分くらい、もう何年かしたら栃木で過ごした時間より長くなるので、知り合いの人もかなり多いですしね。

Q、仙台ってどういう所が良いんですか?

A、基本何でもあるというか、何も生活に困らない所もそうですし、どこに行くのにも距離感がちょうどいいんですよ(笑) 全部がまとまっているというか、都会過ぎないですし、本当に住みやすいですね。

Q、ベガルタってさきほど話したユアスタもそうですし、練習を見ているサポーターの雰囲気とか、選手やスタッフの雰囲気も含めて、凄く感覚的な言い方で「いいな」って思うクラブなんですけど、富田選手にとってもそういう感じですか?

A、そうですね。本当に仲が良いというか、スタッフとも普通にコミュニケーションが取れますし、スタッフからも来てくれますし、チーム自体の雰囲気というのも今はなかなか結果が出ていない時期ですけど、全然みんなが暗くなったりしないで、逆にワイワイできているというのは仙台の良さでもあると思います。それに当たり前だとは思っていないですけど、毎日練習場にサポーターが来てくれるというのはなかなかないことだと思いますし、やっぱりそういう中でより結果というのは出していかないと、来てくれる人も少なくなってくると思いますし、そういうプレッシャーも自分たちに掛けながら毎日できているというのは凄く充実していると思うので、あとは結果だけという風に思います。

Q、最後にざっくりした質問ですけど、夢ってありますか?

A、夢はないです(即答)。ああ、夢は栃木で武井くんとお店を出すことです(笑)

(※武井選手が登場)

Q、何のお店ですか?(笑)

A、飲食です(笑)

T(武井)、小山駅前にモツ鍋屋を出すんです!

A、お金を出し合ってね(笑)

T、それ書いといて下さい。小山駅前にモツ鍋屋を開くというのが俺とシンゴの夢なので。

Q、蜂須賀選手はいなくていいんですか?

(※富田選手、武井選手、蜂須賀選手の3人は地元がかなり近い)

T、"仕入れ"の所で蜂須賀とも絡めたらなって。

Q、"仕入れ"って(笑)

T、モツかキャベツかなんかを仕入れる過程で蜂須賀が絡んでいたらいいなと。

A、野菜系ね。キャベツを作ったりとか(笑)

T、小山駅前を発展させたいですね(笑)

(※武井選手は帰宅の途へ)

A、今までもチョイチョイ冗談で話していたんですけどね(笑) 夢っていうのはないですけど、やっぱりせっかく色々な人との繋がりもありますし、それこそ同じ地元の人と同じチームでやっているというのもなかなかないので。特に田舎モン同士で(笑) 地元で何かしたいというのはちょっと思いますけど、家族もいるので先はどうなるかまったくわからないですね。一般的なごく普通の安定した生活を送れればいいです。それが今一番考えている引退後の姿ですね(笑)

【プロフィール】

ヴェルディSS小山から東京Vユースを経て、2005年に仙台へ入団。ルーキーイヤーの開幕戦でJリーグデビューを飾ると、以降は今シーズンまで11シーズンに渡って仙台一筋でプレー。昨シーズンはリーグ戦全試合出場を達成した。今シーズンからキャプテンに就任し、さらなる活躍が期待されている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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