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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月09日

Pre-match Words ~川崎フロンターレ・登里享平編~(2016年5月13日掲載)

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【Pre-match Words 川崎フロンターレ・登里享平編】

(2016年5月13日掲載)

Q:ご自身のここまでは5節以前と6節以降に分けられると思いますが、試合出場のなかった5節以前はどういう風に捉えてらっしゃいますか?

A:キャンプではサッカーができていたんですけど、開幕直前に昨年のケガでちょっと離脱していました。昨年はあまりケガでプレーできなかった分、取り返さないといけなかったですし、そういった所でしっかりまた風間さんのサッカーに慣れるというか、そういう点は練習から凄く心掛けていました。

Q:なかなか昨年は出場機会がなかった中で、キャンプはある程度順調に来ていたと思いますが、開幕直前の離脱を受けてメンタル的に難しかった部分はありましたか?

A:そうですね。本当に精神的には厳しかったですね。昨年もそうですけど、その中でもう開き直ってというか、「自分のペースでやろう」と思いましたし、他の選手で離脱を経験している選手や色々な人に話を聞いたりして、そういった所でモチベーションが凄く高くなっていましたね。

Q:登里選手は明るいキャラクターを周囲からも認知されていると思いますが、そういう中でメンタル的に厳しい状況を表に出すのは難しいのかなと想像してしまいます。そういう難しさはありましたか?

A:そうですね。ロッカールームを凄く盛り上げたりというか、それが普通にできているんですけど、本当にロッカールームでは凄くうるさいですし。その分、家に帰ったらムッチャ静かで全然喋らないんですけど(笑)、チームの状況やチームの雰囲気を凄く感じるようになってきましたし、「自分が良い方向に持って行けたらな」と思うことが最近は出てきましたね。

Q:第6節の鳥栖戦(〇1-0)が2シーズンぶりのスタメンだったと思いますが、あのゲームは勝利したことも含めて特別なゲームになりましたか?

A:そうですね。Jリーグの初スタメンだった時よりも緊張しましたね。やっぱり「そこでチームに貢献しないと、もうチャンスはないかな」と自分でも思いましたし、「良いキッカケにしたいな」というか、強い気持ちを持って試合に入りました。

Q:勝った瞬間はいかがでしたか?

A:自分が替わった後に決勝ゴールが入りましたけど(笑)、凄く嬉しかったですし、次の日に結構その試合での疲労も来ましたけど、凄く充実した疲れというか、その次の日も含めて本当に充実していました。

Q:「サッカー選手なんだな」と改めて実感したような感じでしょうか?

A:そうですね。もう「久しぶりやな、この疲れ」と思って、凄く良かったですね。

Q:今シーズンの登里選手は色々なポジションを任されている中で、ガンバ戦(1st-第9節 〇1-0)の右サイドバックは意外な起用という印象がありましたが、実際にいかがでしたか?

A:自分も経験したことがなかったので、多少不安もありましたね。

Q:アングルも左と全然違うと思いますが。

A:そうですね。ただ、攻撃の時は左足で持てるという所でクサビも入れやすいですし、前に小林(悠)選手がいるので安心してというか、自分の左足という武器をポジティブに捉えて試合に入りました。ただ、守備の時はちょっと雰囲気も変わりますし、その所だけはちょっと不安がありましたね。

Q:守備面ではどういう所が難しかったですか?

A:やっぱりロングボールが来た時にいつもと逆の体の向きになるので、クロスボールもそうですし、体の向きとかも変わってくるので、凄くやりづらかったですし、その次の日にこのへん(※右の脇腹あたりを指差して)に筋肉痛が来て、「やっぱり普段使い慣れていないんかな」と思ったり、そういうのはありましたね(笑) 自分でビックリしました。

Q:「良い経験になったな」という感じはありますか?

A:そうですね。本当に良い経験になりましたし、どこで出てもチームに貢献したいという気持ちは変わらないので、あとはどこで出てもチームの戦術だったりやり方だったり、流れも考えながらできている部分はありますし、そういった所は良かったかなと思います。

Q:これから右サイドバックでやっていけそうな手応えは、あの90分間で掴めましたか?

A:そうですね。ある程度手応えというのは感じましたね。その中で左足で持てるという所で強みはありますし、あとは右サイドで出た場合はカットインからのシュートとか、そういったプレーの幅を今後増やしていければ良いかなと思います。

Q:直近のゲームは好調の柏と対戦しましたが、柏戦(1st-第11節 〇3-1)を振り返っていただけますか?

A:レイソルも凄く若手が台頭して勢いがありますし、元々力があるチームなので、そのレイソル相手にしっかり勝ち点3を取りに行くという所で、立ち上がりが凄く大事になってくるかなと思いながら個人的には試合に入りました。

Q:試合が決まったのは3点目だったと思いますが、パスカットのシーンも含めてあの一連を振り返っていただけますか?

A:後半から左サイドハーフに移って、立ち上がりから相手のサイドバックの所を狙っていくというか、守備のスイッチといった所をやっていこうと思って後半に入りました。そのゴールのシーンは(エドゥアルド・)ネットがうまくアプローチに行ってくれて、パスコースも切ってくれていたので、「相手もそこにしか出してこないかな」と思ってうまくカットできたのと、そのカットしに行く時にも(中村)憲剛さんの位置も見えていたので、そのままカウンターに移れて良かったかと思います。

Q:あの重要なパスカットのシーンがハイライトだとほとんど入っていなかったと思いますが、それについてはいかがですか?

A:そこはもう自分も凄くテレビでチェックしていたんですけど、ほぼゼロだったので(笑)、そういった所はちょっと残念ですけど、その一連の流れが凄いゴールだと思うので、良いゴールが生まれたと思って、自信を持ってこれからもやっていきたいなと(笑) 次はテレビに映れるように。(大久保)嘉人さんのちょうど後ろくらいには走って行っていたんですけどね。そこで映り込めたので良かったかなと思います(笑)

Q:柏戦は左サイドバックと左サイドハーフを併用されていて、それこそガンバ戦は右サイドバックでプレーされていましたし、登里選手が色々なポジションをできることが、チームに幅を持たせているような印象もありますが、そういう自負は持ってらっしゃいますか?

A:本当にそういう部分は感じますし、自分としてももっと成長していかないと結果も出て来ないかなと思いますね。小林選手だったり大久保選手だったり、中村憲剛選手だったり、そういった選手が相手からしたら嫌な選手でマークも付きやすいと思うので、その中で自分や周りの選手がもっと嫌なプレーをすれば、そういった選手も楽にプレーできると思いますし、自分たちも結果に繋がるようなプレーができるかなとも思うので、成長していかないといけないなと感じています。

Q:当然これだけ調子が良いと周囲からもタイトルを期待する声が大きくなってくると思いますが、中村選手と井川(祐輔)選手の次に在籍年数の長い登里選手は、今まで優勝争いに絡んできたチームを見てきたと思います。そういう時のチームと今年のチームで、何か違いを感じるような所はありますか?

A:一番に感じるのはチームの雰囲気が凄く良いというのと、メンバー外になった選手もそうですし、サブで試合に出られていない選手もそうですけど、試合に出ているメンバーに限らず、練習でも凄く良い雰囲気で一体感を凄く感じているので、それが今の結果に繋がっているのかなと思います。

Q:年齢的にはまだまだ若いと思いますが、フロンターレの在籍年数はかなり長い中で、中心選手としてチームを引っ張っていこうという想いはかなり強いですか?

A:そうですね。やっぱり昔は結構自分のことで精一杯でしたけど、もう最近はチームの雰囲気を見ることもできるようになりましたし、在籍年数も増えてきてチームのことも凄くわかってきましたし、その中で自分が本当にプラスに持っていけるように、ピッチ外でもピッチ内でもそういった影響力のある選手になっていきたいなと思っています。

Q:等々力は改修して綺麗になりましたけど、改修前からサポーターも凄く温かくて、個人的にも行くのが楽しみなスタジアムの1つですが、等々力でプレーするというのはいかがですか?

A:もう本当に特別というか、サポーターの声援が凄く聞こえますし、自然とやる気が出てきて、後押しされているなとも感じるので、『等々力劇場』という言葉もありますけど、それぐらい凄いことが起こりそうな雰囲気を持ったスタジアムかなと思います。

Q:改修後はやはり雰囲気は変わりましたか?

A:かなり変わりましたね。メインスタンドは凄く威圧感も出ていますし、最初はちょっと戸惑いもあって「凄いな」と圧倒されましたけど、最近はそこにもちょっとずつ慣れてきたなと思います。

Q:ここからは昔のことをお聞かせください。サッカーを始めたのはいつ頃のことですか?

A:サッカークラブに入ったのは幼稚園の年少です。僕は男3人兄弟なんですけど、兄がそのクラブチームに行っていたこともあって自然とサッカーを始めていましたし、幼稚園に入るのと同時にそのクラブへ入団しました。

Q:それがクサカSSですね。

A:そうですね。小学5年までそのチームでやっていました。凄く楽しくて良いチームでした。

Q:小学5年までクサカSSでプレーされていて、そこからEXE'90ジュニアに移られていると思いますが、それはどういう流れですか?

A:元々「レベルアップしたいな」とは思っていた中で、1個上の先輩にクサカSSから隣の市の大東市にあるEXE'90ジュニアにチームを移った人がいて、その人が凄く上手くなっていたので、親とも話し合ってそういう方向に進みました。クサカSSの監督には兄がいた時から凄く良くしてもらっていましたし、僕も凄く信頼していた方で、最初は引き留められましたし、自分としても後ろ髪を引かれる想いはありましたね。でも、最後は理解してくれて「行くからには頑張ってこい」と言って下さったので、その時の決断は正しかったのかなと思っています。

Q:クサカSSからEXE'90という流れはガンバの藤春(廣輝)選手と同じ流れだと思いますが、"ピックアッププレーヤー"を拝見したら、彼とは繋がりがあるんですよね?

A:そうですね。廣輝くんは兄の同級生で、小学校も中学校も一緒でクサカSSの時から上手かったです。

Q:同じ左利きですけど、ポジションが重なったりはしなかったんですか?

A:廣輝君は左サイドはやっていなかったですね。フォワードとかトップ下とか。でも、今みたいに足が速いという印象は全然なくて、テクニックがあって左足が上手くてという感じでした。スピードというイメージは全然なかったですね。

Q:そんな人とプロの世界で対戦する機会があるなんて凄いことですよね。

A:そうですよね。それこそ今までマッチアップすることはなかったですけど、この間のガンバ戦は初めてマッチアップする機会があって、不思議な気持ちでした。実は親もガンバ戦は見に来ていたんです

Q:実際にクサカSSからEXE'90という流れはよくある流れだったんですか?

A:僕が小学5年くらいの時に、クサカSSや大東住北FCとか5チームくらいの中から集めた選手たちがEXE'90ジュニアという形で活動し始めたんです。でも、クラブの練習はクサカSSとか自分のチームでやるという流れができてきて、小学6年の時にEXE'90ジュニアが独立したんですけど、僕は小学5年からそのチームでやっていたので、そのままEXE'90ジュニアに入ることになりました。

Q:全少には出ていますか?

A:いえ、後輩たちは出ていますけど、僕たちの時は出ていないです。

Q:小学6年の全少予選は良い所まで行ったんですか?

A:そうですね。優勝候補の1つだったと思います。今、フロンターレで一緒にやっている大塚翔平の大阪東淀川FCと、中村充孝(鹿島)がいた青英学園FCEXE'90ジュニアが優勝候補と言われていたんですけど、最後は松田陸(C大阪)と力(名古屋)のいた大阪セントラルFCPK戦で負けました。陸と力は有名でしたよ。かわいらしい顔をしていて。ちなみに僕がPKを外しました(笑)

Q:かなり色々な選手の名前が出てきましたけど、登里選手が小学6年の時の大阪におけるスーパースターは誰だったんですか?

A:翔平ですね(即答)。当時からあの体格で、もう凄かったです。小学6年の時に大阪選抜で一緒に中国遠征へ行ったメンバーの中には翔平や充孝もいて、そういう選手たちはガンバとかセレッソのジュニアユースに行っていましたけど、自分は全然そういった感じではなかったです。レベルが違い過ぎて、そういう考えすらなかったですね。

Q:セレッソの丸橋祐介も同い年ですね。

A:対戦したことはあったみたいですけど、小学生の頃は知らなかったです。同い年で大阪ということで今は試合とかで会ったら話したりしますね。

Q:他に当時の大阪選抜のチームメイトで、Jリーガーになった選手はいますか?

A:中央大から甲府に入った岡西(宏祐)がいます。そう考えたら結構いますね。

Q:それにしても大塚選手とプロでチームメイトになるなんて凄い縁ですね。

A:ビックリですよね。僕はみんなに"ノボリ"って呼ばれているんですけど、翔平だけは"キョウヘイ"って呼ぶんですよ。本当に1人だけ。それは違和感がありますね(笑) 奥さんにもあまり"キョウヘイ"って呼ばれないのに(笑)

Q:中学時代もEXE'90でプレーしていたと思いますが、中学時代の3年間はざっくり振り返るとどういう3年間でしたか?

A:ざっくり振り返ったら、12年はゲームセンターにハマって、3年生でやっと頑張ろうと思った感じです。"ラウンドワン"に行きまくってました(笑) 練習ギリギリまでそこに行って、そこからサッカーに行くという日々を送っていました。

Q:1,2年の頃はサッカー自体へのモチベーションがあまり上がってこなかった時期という感じですか?

A:練習にはちゃんと行っていましたけど、自分の中で身長のこともそうですし、大阪選抜に選ばれなかったこともそうですし、知っているみんなが活躍しているのも見ていて、現実逃避じゃないですけど、正直な所はそういう感じになっていました。

Q:自分でも「サッカーをちゃんとやらなきゃ」という気持ちを抱えながらも、という感じですか?

A:そうですね。気持ちでは「やらなあかんな」と思っていたんですけど、どこかで何かが引っ掛かっていた部分がありました。ただ、高校選手権を見るようになって、そこから変わっていきましたね。「自分も出たいな」と思うようになったので、そこは大きかったと思います。

Q:印象に残っている選手権のヒーローはいらっしゃいますか?

A:それこそ平山相太選手(国見)もそうですけど、岐阜工業の片桐(淳至)選手と阿部祐大朗選手(桐蔭学園)は覚えています。そういう選手たちを見ていましたし、中学3年の時は"セクシーフットボール"の野洲を見たりして、もう進路は決まっていましたけど「凄いな」と思いました。

Q:そうすると高校選手権というのが、サッカーに対する大きなモチベーションになったんですね。

A:そうです。どの高校に行こうかと考えていた時も、2人の兄は野球の強い上宮高校に進学していて、僕も「そこに行こうかなと」と思っていました。ただ、その頃に「やっぱり選手権に出たい」と思い始めたんですけど、大阪だとチーム数も多くて、どの高校が選手権に出られるかわからないような状況でした。家から近かった大阪桐蔭が僕の1つ上の代から選手を獲り始めていて、ガンバの阿部(浩之)選手もいたんですけど、まだ当時は選手権にも出ていなかったんですよね。そんな中でEXE'90のコーチが香川西高校の出身だったので、「行ってみよう」ということになったんです。最初は「香川西ってどこ?」みたいな感じでしたけどね(笑)

Q:これも"ピックアッププレーヤー"で拝見したんですけど、帝京高校に行く可能性もあったんですよね?

A:ああ、そうです。中学3年の時にEXE'90で、奇跡的にJヴィレッジで開催されたクラブユース選手権に出ることができて、そこに帝京のコーチの方がいらっしゃっていたんです。元々その方から「EXE'90から34人帝京のセレクションに参加して下さい」という話があったらしいんですけど、その大会には監督もいらっしゃっていて、「アイツもセレクションに呼ぼう」と僕のことを思ってくれたみたいなんです。それで夏ぐらいにセレクションを受けて合格しました。ネームバリューもあったので「ここでできんねや。帝京行くとか、オレ凄いな」と(笑)

ただ、当時は兄が2人とも大学生で、別に親からは「気にしないで良い」と言われたんですけど、「経済的にも負担になっちゃうな」と感じていて、丁重にお断りを入れさせていただきました。でも、その帝京のセレクションの時に鹿島学園の忍穂井(大樹)ってヤツもいたらしくて、高校選抜でその忍穂井と一緒になった時に「帝京のセレクションにいたでしょ?」みたいに聞かれて、それで僕も多摩かどこかのサッカークラブから来ているという話をしたヤツが同じグループの中にいたことを思い出して、「ああ、あの時の!」となったんですよ。それで「帝京に行かなかったの?」って聞かれたので、「行かなかったんだよ。忍穂井も行かなかったの?」って聞いたら、「俺は受からなかった」って。「そっちかい!」って思ったのを覚えています(笑) そのセレクションの時には1個上の大久保(択生・長崎)さんとか新裕太朗(元福島、沼津ほか)さんもいましたね。

Q:そこから香川西に進まれる訳ですが、1年からレギュラーだったと思います。すぐに「香川西に来て良かったな」と思いましたか?

A:そうですね。その通りです。「来て良かったな」と感じました。

Q:入学してすぐにレギュラーでしたか?

A:中学を卒業してすぐに「もう来てくれ」と言われていて、春休みの練習試合にも参加していましたけど、その頃から試合には出させてもらっていましたね。

Q:それこそ登里、景野(一海)、石田(一貴)、村上(聖弥)と1年生が4人もレギュラーで選手権にも出ていて、それって普通に考えても凄いことですよね。

A:大浦(恭敬)監督には凄くかわいがってもらっていましたね。その頃から2年生も出ていましたし、今も1年生が良く試合に出ていると思いますけど、「我慢強く育てる」という形で1年生を使ってくれるイメージはあります。

Q:選手権はことごとく優勝候補と当たっていた印象があります(笑)

A:そうなんですよね(笑) 1年の時は川西翔太くん(山形)とかロメロ・フランク選手(水戸)とか、板倉(大智)選手がいた青森山田と当たって、すぐに負けました。本当に何もできなかったですからね。でも、自分の中ではそれが大きかったです。それまではただ「選手権に出たい」という想いだけだったんですけど、実際に選手権に出たら出たで嬉しかったのと同時に、完敗したことが恥ずかしく思えましたし、「情けないな」とも感じましたし、その試合は1年生や2年生が多く出ていたこともあって、チームがそこから変わっていったのは間違いないですね。

Q:2年生も主力で試合に出られていて、選手権ではまた強いチームと初戦で当たる訳ですね(笑)

A:はい。藤枝東です。河井くん(河井陽介・清水)とか大輔くん(村松大輔・神戸)がいて、強かったですからね。でも、負けはしましたけど先制点を取ったんです。今から考えれば、あの時が等々力のデビュー戦なんですよね。その試合である程度手応えを掴んだと思います。1年の時は何もできずに終わって、2年でその後に準優勝するチームと良い試合ができて、自分もその試合をキッカケに自信が付きましたね。

Q:何もできなかった1年前から、試合に負けたとは言え、自分やチームが成長したという手応えがあったんですね。

A:ありましたね。1年生で試合に出ていたメンバーが2年生になって、チームも良くなっていたのは間違いないですけど、一番大きかったのは「自分が成長しているのかな」と感じることができたことだと思います。

Q:その試合を見ていたのが向島(建)スカウトなんですよね?

A:はい。タツルさんが見に来てくれていました。

Q:そういう意味で考えても、人生のキーゲームだった訳ですね。

A:そうですよね。その後にJFA U-18選抜というチームの合宿を沖縄でやって、そこに選手権に出ていないメンバーも含めて高校2年の選手たちが集まったんですけど、その時にサコ(大迫勇也・ケルン)、新潟のGKの守田(達弥)、宮古高校の上里琢文(JPボルテス・フィリピン)がいて、スカウトの方たちはサコや上里を見に来ていた中で、タツルさんは僕を見に来ていたらしくて。凄い所をチョイスしますよね(笑)

Q:沖縄まで見に来てくれるというのは、相当な入れ込みようですよね。

A:ありがたいですよね。それで5月くらいのプリンスリーグの試合前に大浦監督から「紹介するわ。川崎フロンターレのスカウトで向島くんだ」と言われて、「マジか」と(笑) 「試合前にそんなの知ったら全然意気込み違うやん」みたいな(笑)

Q:それまでは向島さんが自分をチェックしているとは知らなかった訳ですよね?

A:はい。まったく。その時はメッチャペコペコしてましたよ。「良い様に思われよう」と思って(笑) その頃ですかね。"ゴマスリ"ということを覚えたのは(笑)

Q:そこからやっぱり意識は変わりましたか?

A:もう大きく変わりましたね。やっぱり見られているということもそうですし、それは凄く大きかったです。その後にフロンターレの練習に参加することになって、プレハブのクラブハウスだった麻生に来たんですよね。

Q:高校3年の選手権は初戦で市立船橋(以下、市船)と当たることになりますが、その年のインターハイで市船に負けていたんですよね?

A:そうです。インターハイの時は充孝の存在も知っていましたし、その試合は0-1で負けて、そのまま市船が優勝したんですけど、「行けるな」という雰囲気がチーム自体にありましたし、インターハイである程度戦えたというのは自信になっていました。だから、選手権で僕が市船と当たるクジを引いた時は「やっちゃった」と思いましたし、会場からも笑いが出るくらいだったので僕も苦笑いはしたんですけど、香川に帰ったらチームメイトも「全然問題ないよ。市船だったら行けそうやね」みたいな感じでした。

ただ、対戦が決まってから1ヶ月半くらいはずっと市船対策をしていましたよ(笑) それこそ憲剛さんの恩師の山口さん(山口隆文・現JFA育成担当技術委員長)も練習に教えに来て下さって、1ヶ月以上ずっと市船対策をして、それで本番を迎えて勝つことができたんです。でも、そこで燃え尽きた感じはありましたね(笑)

Q:その次の試合で前橋育英(以下、前育)に負けたんですよね。

A:はい。前育対策はしていなかったので(笑) でも、あの時の前育は本当に強かったですよ。六平(光成・清水)がおって、ヨネ(米田賢生)がおって、ミノリ(佐藤穣・FCブニョドコル)もおって、西澤(厚志)、中美(慶哉・鳥栖)、皆川(佑介・広島)と。よくよく考えたら凄いですね。僕らは勢いで行くしかないと思いましたけど、それを上回る前育の組織力があって、「こんな強いチームと高校年代で試合したことなかったな」と思うくらい強かったです。

Q:登里選手にとってはヒザのケガもあって、悔しい高校ラストゲームだったんじゃないですか?

A:そうですね。その悔しさは印象に残っています。でも、『最後のロッカールーム』でも取り上げてもらったりしていたので、フロンターレに入団した時は「見てたよ」と言ってくれる人が多かったですね。

Q:ちょっと"悲劇のヒーロー"的な立ち位置がオイシイなという感じは多少ありましたか?(笑)

A:多少というか8割方はそう思っていました(笑)

Q:なかなか選手権に3年連続で出られる選手は多くないと思いますが、今から振り返っても良い想い出ですか?

A:良い想い出ですし、自分の中で1年生、2年生、3年生とそれぞれの大会が自分が成長するキッカケになった分岐点だったというのは凄く感じています。ですから、「やっぱり選手権って良いモノだな」と思いますし、今はクラブユースもレベルが上がってきていて、良い選手がたくさん出てきていますけど、やっぱり選手権に憧れて高校サッカーを選ぶ高校生も多いはずですし、是非頑張ってあの何とも言えない雰囲気の選手権を体験して欲しいと思います。今でも大阪に帰ったら関西地区の決勝とか、こっちにいる時は神奈川の決勝とかテレビでやっているので、結構見ちゃいますね。間違いなく良い想い出です。

Q:ずっとキャリアのお話を伺ってきましたが、選手権に出られてフロンターレに入団されて、ここまでプレーされてきた中で、例えば去年のようにケガで苦しんだ時期もあったと思いますし、試合に出られない時期もあったと思いますし、もちろん良い時期ばかりではなかったと思いますけど、それでも「プロになって良かった」って思いますか?

A:思いますね。サッカーのプレー面だけじゃなくて、ケガとかも含めて悩むことも凄く多いですけど、本当に自分の好きなサッカーができているのであまり苦じゃないというか、そういうことを経験できる人も本当に限られていると思いますし、その中で凄く良い職業に就けたなと思っています。昔から応援してくれている人もいますし、本当に今の状況はありがたいことだと思いますね。

Q:今って楽しいですか?

A:楽しいですね。やっぱり試合に出ていたら出ていたで感じることもたくさんありますし、課題もたくさん見つかりますけど、そういったことも含めて本当に充実しているので、今は凄く楽しいですね。

【プロフィール】

EXE'90FC、香川西高を経て、2009年に川崎へ入団。ルーキーイヤーから出場機会を勝ち取り、年代別日本代表にも名前を連ねる。昨シーズンはケガに悩まされたが、今シーズンは完全復帰。チームに欠かせないムードメーカーとしても知られている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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