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このブログについて

J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年02月28日

Pre-match Words ~松本山雅FC・岩間雄大編~(2015年6月5日掲載)

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【Pre-match Words 松本山雅FC・岩間雄大編】

(2015年6月5日掲載)

Q、「この試合は厳しかったな」とか、「J1はこんなにレベルが高いんだな」というようなことを実感したようなゲームはありますか?

A、個人的にはホームでやったリーグ戦の広島戦(2015年J1 1st-第2節 ●1-2)ですね。あの試合は本当にプレスも掛けられなかったですし、取りに行っても外されてどんどんズルズルとラインが下がって、本当に何もできなかったなというか、実力の差、個人の差、チームの差というのを見せられたなと凄く感じました。

Q、広島はシステムが一緒でスタイルは真逆という印象もありますが、システムが一緒だとモロに実力差が出る場合もあると思います。そのあたりは率直にいかがですか?

A、広島のビルドアップというのは中盤が1人落ちて最終ラインが4枚になって、アンカー以外は前に張ってという形でウチとは全然違いますし、そういったギャップを創りながら攻めてくるチームですけど、自分たちのやり方としてサイドに行った時にハメていこうとか、そういった部分での意識だったりチームの決まりごとはあったにもかかわらず、そこで簡単に外されてしまった印象です。本当にミスの少ないチームだと感じましたし、そういった部分の技術の差、チーム力の差というのをダイレクトに感じたというのはありましたね。

Q、J1で戦う上でおそらく個人としてもグループとしても相手のレベルの差が違う中で、岩間選手ご自身は実際に戦ってみて個人とグループで考えると、J1はどちらの面の方が対戦相手のレベルが上がったなと感じてらっしゃいますか?

A、個人の方が大きいですね。やっぱりJ1で長くやっているチームで、監督が変わらずにやっているチームというのは、チームとしての戦術だったり決まりごとだったりやり方というのが凄くしっかりしていて、本当に強いなというのは感じますけど、やっぱりJ2の時に例えばボールを取れた所とか、例えばボールを運べた所とか、ボールが収まった所という部分が、やっぱりJ1だと収まらなかったり、逆に収められたり、という個人の差というのはJ2時代と比べて、J1の選手のレベルは非常に高いなというのは感じていますね。

Q、ボランチのポジションだと相手のキーマンと対峙することも多いと思いますが、今まで対戦した中で「この選手はちょっと凄かったな」と感じた選手はいますか?

A、現時点で思い浮かぶのは広島の青山敏弘選手です。何気なくやっているような感じがしますけど、例えばポジショニングだったり、見ている所も違うなというのは感じましたし、自分のタイミングでプレスに行って「取れるな」と思ったタイミングでも外されたりとか、そういう所は凄いなというのは感じました。

Q、もちろんJ1というステージに来ないとそういう経験もできないと思いますが、今まで色々なカテゴリーでプレーされてきた中で、「J1でプレーするというのはやっぱり楽しいな」と実感するような所はありますか?

A、もう毎試合楽しみですし、本当にこのピッチに立てているということが幸せで、ずっと自分の夢として「J1のピッチに必ず立つ」というのを目標にしてやってきましたし、そういった舞台に今本当に立てているということ、ただ本当にそれだけが嬉しいですね。

Q、外から見ていると十分にJ1でもやれているように見えますが、ご自身としてはJ1でやっていけるような手応えは掴んでいますか?

A、うーん、自分の中で多少自信を持ってやれている部分はありますけど、やっぱり対戦してみてもそうですし、他の試合を自分でテレビとかで見ながらもそうですけど、「まだまだ足りない部分が凄く多いな」と感じていますし、そのレベルを少しずつ上げていかないと、このステージに立っていられるということは難しいのかなというのは感じますね。

Q、こういうステージに辿り着いたからこそ、自分で気付いた足りない部分というのはどういう所ですか?

A、自分の中で守備の部分というのは結構自信を今は持ってやっているんですけど、やっぱり攻撃の部分、繋ぎの部分というのはチームのスタイルもあるかもしれないですけど、ボランチとして攻撃の起点になるパスだったり、ラストパスというのももちろん狙って行かないといけないですし、やっぱりゴールも絶対に求められるポジションだと思うので、そういった部分のレベルを上げていかないと、本当にここのピッチに立ち続けるのは難しいかなという風に感じます。

Q、去年より前に出ていく回数も多いように見えますが、そのあたりは意識している部分もありますか?

A、そうですね。ボランチの相方の喜山(康平)とのコンビネーションが上がったという部分もありますけど、ゴールというのも意識していますし、ボランチが前に出て得点に絡む、ボールに絡むというのは絶対にチームにとってもプラスになると思うので、そういった部分では凄く意識して今年はできているのかなというのはありますね。

Q、仙台戦(2015年J1 1st-第7節 〇1-0)は岩沼(俊介)選手のクロスを岩間選手がフリックして、そこから決勝点が生まれましたが、個人的には「去年だったらあそこまで上がっていたかな?」と思いました。あのシーンはいかがですか?

A、あのシーンもキヤ(喜山)とのバランスを見ながら、キヤが(岩沼)俊介のサポートに入っていたと思うので、「じゃあこのタイミングだったらたぶん中に行ける」と思って、自分の中で「思い切ってチャレンジしよう」という気持ちがあって、あそこに飛び込んでいったら俊介からそういうボールが来たので、正直ゴールを狙ったつもりだったんですけど(笑)、うまく後ろに流れて(岩上)祐三が頑張ってくれてゴールになったので、そういった部分の意識というのは去年に比べて上がったのかなとは思います。

Q、名前の挙がった喜山選手はヴェルディ時代の後輩でもあると思いますが、結構長くコンビを組んでいる中で、そのコンビの熟成はだいぶ進んでいると感じていますか?

A、そうですね。やっぱり去年1年間ほとんど2人でやらせてもらったというのが凄く大きいですし、もう声を掛けなくてもお互いがわかる部分はあるので、その熟成度は去年に比べても上がっているなというのはありますね。

Q、彼はヴェルディの下部組織の後輩だと思いますが、ちょっと先輩風を吹かせるような所はありますか?(笑)

A、いやいや、自分は全然そういうタイプじゃないので(笑) 「キヤ、好きなようにやっていいよ」という感じなので、全然そういうのはないです(笑)

Q、喜山選手は岩間選手に対して、ちゃんと先輩に対するような接し方をしていますか?

A、まあそうですね。キヤはしっかりしているので(笑) まあうまくイジりながらも、ちゃんと先輩を立たせてくれていますね。

Q、ちょっと話は変わりますが、私も去年の新体制発表会に行っていて、新加入の岩間選手がステージ上で挨拶する直前に顔が引きつっていたのが凄く印象的でした(笑) あれって相当緊張していました?

A、緊張しましたね(笑) 人前に出るのが本当に苦手なので、ああいう舞台に出て気が引き締まる想いもありますけど、やっぱり緊張が一番大きいですね。

Q、1000人以上が集まる独特の新体制発表会ですけど、あれって選手としては嬉しいですよね?

A、嬉しいですね。本当に期待の表われだと思いますし、その分本当にしっかりやらないといけないなというのはあの場に立つと本当に思います。

Q、ここからはキャリアのお話を聞かせてください。ヴェルディの下部組織はどのカテゴリーからプレーされていたんですか?

A、ジュニアの時ですね。小学校5年生の時にセレクションを受けて入りました。

Q、セレクションって受験者も多かったですよね?

A、そうですね。当時自分が受けた時は150人くらいですね。その中で確か23週間ずっと練習参加させてもらって、最後は自分も含めて2人獲ってもらえてという形でした。

Q、超エリートじゃないですか!(笑)

A、いやいや、ちょうどスタッフの方に元々目を付けてもらえていたり、常に声を掛けてもらったりして、そんなに自信はなかったんですけど、合格発表の時に名前を呼ばれてという感じでした。

Q、ちなみに目を付けてもらっていたコーチというのはどなたですか?

A、当時監督だった小川さんと菅澤大我さんです。

Q、菅澤さんはどういう指導者でしたか?

A、熱い人ですね。とにかく熱いのと怖いイメージと、サッカーに対して凄く詳しいというか、何でも知っているようなイメージですね。ヴェルディで習ったことというのは今のサッカー人生に凄く生きていますし、それは本当にヴェルディに行って良かったなと思います。

Q、ジュニアユースの時は誰に教わっていたんですか?

A1年生の初めの方は菊原志郎さんにずっと教えてもらっていて、2年生からは監督が松田岳夫さんで、コーチは永田雅人さんでしたね。本当に素晴らしい方々に教えていただいて、そこでサッカーを知ることができたなと思います。

Q、ヴェルディ時代で一番印象に残っていることは何ですか?

A、やっぱりナイキプレミアカップの世界大会に出たことは自分の中で大きかったですね。たぶん玉乃(淳)くんも出ている大会で、そのスペイン大会の時には自分は連れていってもらえなかったんですけど、自分たちの代はオランダ大会で、そこで決勝まで行けたんです。それは凄く良い想い出ですし、貴重な体験ができたなと思っています。

Q、岩間選手の代はかなり強い代だったんですか?

A、そうですね。プロになった選手も結構いますし、悪くない代だったんじゃないかなと思いますよ(笑)

Q、同期でプロになった選手は誰ですか?

A、今はJリーグだといないですかね。結構タイのリーグに行っていて、一柳夢吾とか永里源気、下地奨、小野雄平、北脇里規。そのあたりです。

Q、ちなみに玉乃先輩はどういう先輩でしたか?

A、玉乃くん、なんかあまり覚えてくれていないみたいですよね?

Q、はい(笑)

A、自分はあざみ野FCの時からずっと一緒にやっていて、一緒にプレーもしているのに覚えてもらっていないみたいで(笑) まあしょうがないですけど、ヴェルディの時も一緒にやっていて、自分の中では当時のスーパースターというか、あの人より上手い人は見たことがないくらいでした。今でも「誰が一番上手かった?」って聞かれると「玉乃くん」って言っているくらいなので、あの人ほど凄い選手は見たことがなかったですね。

Q、だいぶ変わっちゃったなという感じですか?(笑)

A、いやいや、そんなことないですよ!変わらず独特で優しい先輩です(笑)

Q、話を戻しましょう(笑) ジュニアユースからユースへは昇格できなかったんですか?

A、一応昇格の話は戴いたんですけど、自分は高校サッカーに凄く憧れがあって、「どうしても国立のピッチに立ちたい」という想いで堀越高校に進学させてもらいました。当時の松田さんや永田さんは「絶対に残れ」と言ってくれたんですけど、自分は結構頑固なので「一度決めたら」という感じでした。

Q、高校を卒業してからブラジルに留学されたんですね?

A、はい。半年ですけどブラジル留学していました。自分の地元のサッカーをやっていた先輩がブラジルでプロになっていた人で、元々自分の憧れの選手が三浦知良選手で、ブラジルというのはぼんやりと「行ってみたいな」という気持ちはあったので、高校を卒業して「今がチャンスだな」と思って、その先輩から紹介してもらってという感じですね。

Q、ブラジルのどこに行ったんですか?

A、サンパウロ州の小さな町で何か月かホームステイをして、その後にチームに入れてもらってという形でした。レベル的には4部とか5部でしたけど、やっぱりブラジル人の独特の感覚は日本じゃ絶対に学べなかったと思いますし、そういった経験だったり、ブラジル人独特の雰囲気というか生活習慣というか、陽気な人柄というのも凄い自分の中では新たな発見で、非常に濃い6か月だったかなと思っています。

Q、サッカー的にはある程度やれるという手応えはありましたか?

A、当時のチームのレベルだったら「全然やっていけるな」というのはありました。レベルが上がったら全然違ったかもしれないですけど。当時は19歳や20歳だったので「このくらいのレベルだったら十分通用してやっていけるのかな」というのはありました。

Q、そこから帰国後にFC KOREAへ加入したというのがちょっと謎なんですけど(笑)、加入の経緯を教えていただけますか?

A、日本に戻ってきて当時は何もなかったので、チームを探している中で友だちにたまたま「練習参加に行くから一緒に行こうよ」と言われるがままに行ったチームがFC KOREAで、そこも練習参加をして獲ってもらえたという形ですね。

Q、当時は日本人選手がいたんですね。

A、そうですね。基本的には在日の方が中心なんですけど、当時は自分と一緒に行った人も含めて、もともとチームに日本人が1人いたので、3人か4人くらいはいました。当時はまだ東京都リーグで、自分がいた時は関東リーグの入れ替え戦まで行ったんですけど、そこで負けてしまって昇格できなかったのを覚えています。

Q、FC KOREAも半年在籍して、次がアルテ高崎ですね。ここもセレクションですか?

A、いえ、ちょうど高校の時の先輩がアルテにいて、「選手を探しているからオマエちょっと来ないか?」という話をもらえて、「是非お願いします」ということで練習参加させてもらって、結果的に獲ってもらえてという形ですね。

Q、アルテの時はアマチュア契約ですよね?

A、完全にアマチュアです。午前中に練習して、午後は自分でバイトして働きながらという生活でした。

Q、どんなバイトをされていたんですか?

A、色々やっていたんですけど(笑)、一番長かったのはパン工場です。ミスタードーナツとかに色々なパンを送っている感じだったと思うんですけど、ひたすらラインに立って流れ作業で。流れてきたものを拾って詰めてという感じですね。それは1年半ぐらいやっていました。その後に居酒屋とか。

Q、ホールですか?

A、厨房です。中で料理を作っていました(笑) それからクラブのスクールとかもやらせてもらえるようになって、まあ色々なことをやりましたね。

Q、アルテでの4シーズンをあえて一言で表現するとしたらどういう時間でしたか?

A、うーん... 『苦しい時間』ですかね。それは生活的な部分でもそうですし、大きなケガもあったりして。そのケガが脛の骨を折るケガだったんですけど、それは治るまでに約1年間掛かりました。練習に復帰してからもなかなかコンディションが戻らず、なかなか試合に使ってもらえなくて、苦しいシーズンだったなというのは覚えています。

Q、J SPORTS的にはアルテと言えば幸谷秀巳さんなんですが(笑)、幸谷監督はどういう監督でしたか?

A、独特でしたね。話し方もそうですし、練習もそうですし、幸谷さんの戦術とかやり方も自分の中で初めて経験するような、本当に独特な人だったなと思います。

Q、一応リーグ戦でずっと勝っていなかったアルテに久々の勝利をもたらしたのが幸谷さんだったと思いますが、あの人が来てちょっと勝利への予感というようなものはチームにあったんですか?

A、自分はその時にリハビリをしていて、なかなかチームの練習にもしっかりと絡んでいる状況ではなかったので。ただ、外から見ている中では「やり方が凄くハッキリしたな」というのは感じましたね。それまでももちろん監督の戦術とかもありましたけど、自分たちで考えながらというのが多かった中で、幸谷さんが来て「これをやれ」「こうしろ」と型にハメられたことで逆に「こうすればいいんだ」とか「こうすれば試合に出られるんだ」というのがわかって、そこで特効薬的な形になってうまく勝ち点を拾えるようになったかなと思います。

Q、J SPORTS繋がりで亘(崇詞)選手との想い出はありますか?

A、僕もケガをしていて練習に行ったり行かなかったりというのが続いていて、たぶんワタさんも仕事の関係であまり練習に参加できていなかったと思うんですよね。ただ、一番年上でチームをまとめる役割も担ってくれていて、凄い経験のある方なのでチームを良くするために一生懸命声掛けとかをやってくれていたのは覚えていますけどね。

Q、アルテでプレーしていた最後の方は結果も出なくて入れ替え戦も経験されたと思いますが、あの頃は苦しい時期でしたか?

A、そうですね。また監督も替わって後藤義一さんになって、1年目のシーズンの前期は戦い方もハッキリして良い結果を残して、後期に自分たちで主導権を持って戦うスタイルに変えてなかなか結果が出なかったんです。それで入れ替え戦を戦うことになるシーズンも、変わらずその戦い方を継続していく中でやっぱり結果が付いてこないと。自分にとってもキャプテンをやっていた中で非常に悔しいシーズンでしたし、「苦い経験をしたな」というのは思いますね。

Q、この間金沢へ取材に行った時に山藤健太選手ともアルテの話になって、彼は「自分はJ2で良い結果を出しているかもしれないけど、アルテ時代のチームメイトで自分より上のステージでプレーしている選手もいるので、まだまだ全然満足できない」と話していましたが、それを聞いて率直にどう思いますか?

A、そう思ってくれているのは嬉しいですけど、自分も今このステージに立っていて全然満足していないですし、もっともっとやらないといけないという気持ちがあるので、たぶんそれは山藤もそういう経験をしているからそういう風に想うのだと思います。自分もそういう経験を経て今ピッチに立って感じることがたくさんあって、岩舘直(浦和)もそうですけど、あの当時一緒に戦っていたメンバーでもうサッカーをやっていない選手も多くいますし、そういう選手も僕らを凄く応援してくれている部分があるので、そういう人たちの想いも勝手に背負わせてもらって、一生懸命できる所までやらなくてはいけないなという気持ちはあります。

Q、自分の中での感覚としてJ1に辿り着くまでって長かったですか?

A、長かったですね。今この年齢になって、J1までにだいぶ長い時間を過ごしてきたなという感じはありますね。

Q、"苦労人"と言われることが多いと思いますけど、そういう風に言われることはどうですか?

A、いや、全然問題ないです。嬉しいですし、先程「長い時間を費やしてここに来た」とは言いましたけど、全然後悔はしていないので。そういった経験があって今やっとここに立てていると思っていますし、言ってもらって大丈夫です(笑)

Q、今までのキャリアを過ごしてきた中で、もしかしたら岩間選手より上手い選手でここまで辿り着けなかった選手もいたと思うのですが、自分がここまで来られた一番の理由って何だと思いますか?

A、諦めなかったことですかね。夢をずっと追い掛けて来られたというのが自分の中で凄く大きかったという風に思いますし、もちろん自分だけじゃなくて支えてくれる人も周りにたくさんいたので、そういう人たちの支えが本当に大きかったなと思います。

Q、夢を自分に諦めさせなかった一番の柱って何ですか?

A、昔から持っていた「J1のピッチに立ちたい」という気持ちですね。本当にそれだけだと思います。

Q、実際にもうJ1のピッチに立ってしまった訳ですけど、もっとこうなりたいというのは出てきていますか?

A、もちろんです。やっぱり目標や夢というのはどんどん変えていいと思っているので、今このピッチに立てているということで、さらにその上を、個人的にもそうですし、チームとしても良い結果を出して評価してもらいたいというのは凄くありますね。

Q、そのもうちょっと上の目標や夢というのは現時点であまり口にしたくないですか?

A、そうですね。自分の中ではまだ早いですね(笑)

【プロフィール】

地域リーグやJFLをアマチュア選手として経験した後、主力としてJ2昇格を果たした長崎を経て、14年より松本山雅へ加入。クラブのJ1昇格にレギュラーとして貢献し、今シーズンからは念願だったJ1のピッチで躍動している。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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