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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
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【Pre-match Words ベガルタ仙台・渡邉晋監督編】
(2015年4月28日掲載)
Q、今までで一番影響を受けた指導者は誰ですか?
A、やっぱり高校時代の李(国秀)さんと、現役時代というよりコーチとして一緒にやった(手倉森)誠さんが影響は大きいですね。
Q、手倉森監督に関してはどういう影響が一番大きいですか?
A、メンタルへのアプローチ、心理面へのアプローチってこんなに事細かにやって、こんなに用意周到にして、初めて選手に響くことがあって、実際こんなにプロの選手でも心を動かされることがあるんだなというのを隣でつぶさに観察しながら勉強したことは、本当に僕にとっての財産ですよね。
ともすれば、それまでだとピッチレベルでどうやってトレーニングして、どういったものを落とし込んで、ゲームでそれを表現してという所に僕自身はフォーカスしていたと思うんですけど、誠さんはそこじゃない所からのアプローチが凄く多くて、「それでこんなにチームって創り上げていけるんだ」「成長していけるんだ」っていうことを一緒にいた6年間で学ばせてもらったのは、僕にとって本当に大きな財産です。
Q、我々中継班の中で渡邉監督の話し方が手倉森監督に似ていると評判なんですが(笑)
A、妻に言われました(笑)
Q、意識されているんですか?
A、いや、去年最初に監督へ就任した時は3日間のトレーニングで、週末のF・マリノス戦に向かわなくてはいけないと。何をやろうかといった時に、コーチ時代から「自分だったらこうやってトレーニングしてやろう」と勝手に思っていた方だったので、トレーニングはいくらでもアイデアはあったんですよ。でも、いざミーティングや選手に語りかける言葉の口調はどうやったらいいんだろうというのは、誠さんがやっていたものしか僕の頭の中になかったんですよね。だから、ミーティングの形式も全部一緒だし、「おいおい、コレって手倉森"小"誠じゃないかよ」って、たぶん選手も思っていたはずです(笑)
そこは逆に言うと僕の中では「何かちょっと違う手でやってやろう」というのが実はあって、何か自分のオリジナリティでやらなきゃいけないなというのは持っていたんですけど、それで走り出しちゃった以上は変えることもできずに(笑) 似てきたというのは何なんですかね。でも、よく言われることはあります。
Q、先ほどお話があった李さんに関して、桐蔭学園出身の指導者の方が色々な所で活躍されていますが、何が一番の理由だと思われますか?
A、サッカーを論理的に考えられるからだと思います。
Q、その論理的な思考は日々の練習から培われたものですか?
A、毎日の練習でプレーの1つ1つにいつ、どこで、なぜ、というのがあって、それを考えさせられるトレーニングをずっとやっていたんですね。「いつ出すのか」というタイミングがあって、「どこで受けるのか」というポジショニングがあって。李さんが特徴的だったのは「なぜそこに出すのか?」「なぜそこで受けるのか?」と。そういうプレーの1つ1つに自分で説明が付かないと、それが結局次のプレーに発展していかないと。そういうものをイチから教わったことが僕にとっては財産であって、それを積み重ねていくと後から1つ1つのプレーが紐解けるんですよね。でも、それを考えないまま90分間プレーしてしまうと、その場その場ですべてが終わってしまうと。本当に高校時代にそういうものを培うことができたからこそ、今でも1つ1つのプレーに対して論理的に考えることができたり、説明できたりすることができるのかなと。それが桐蔭出身の指導者が多い理由かなと思います。
Q、当時の桐蔭学園は「高校サッカーらしくない」であったりとか、外から色々と言われることが多かった印象がありますが、中の選手たちはそれに対して「やってやろう」というような想いというのはあったんですか?
A、何かセンセーショナルというか、いいモノをやっているという自負はあったと思います。やっぱり「サッカーってこうやったら面白いよね」とか「こうやったらうまくいくよね」というモノを示せていたと思いますし、そこに高校生なりの小さな自信はあったと思います。李さんとやっていて凄く学んだことの中でピッチ外の部分も、人間的にどうあるというのも凄く教わった所があって、今でこそコミュニケーションスキルと言って、ライセンス講習の中でも講義があるくらいですけど、そういうものを青空ミーティングでよくやっていたんですよ。
例えば週末に練習をやらずに当時のJSLの試合を見に行って、休み明けの日にまずグラウンドに集まって、ピッチでグラウンドに座って「この間の試合、どうだった?」と李さんが話を振って、僕らが「ラモスが凄かったです!」とか言うと「凄いって何だ?何が凄かったんだ?」ってどんどん問い掛けられて、僕らはそれにつられて喋って、最終的に「はい、今言ったことを全部自分で最初から言葉にして、ストーリーを作ってごらん」というようなことをやっていたんですよね。たぶんトレーニングなんでしょうけど、それはもちろん論理的に物事を考えて自分で喋るということもあったと思います。それは当時も高校サッカーって多少なりとも"取材"があったんですけど、そういう時に「1人の桐蔭の選手としてどう見られるか」ということも李さんは考えながら、僕らに教えてくれてたんじゃないかなと今でも想い出として残っています。
Q、そもそも、なぜ桐蔭学園に入学されたんですか?
A、初めて練習参加と練習試合を見に行った時に、「あ、面白い」って思いました。それ以外にも当時の東京でそこそこの高校にも練習参加したり、実際に声を掛けてもらったりというのもあったんですけど、なんか桐蔭に魅力を感じたんですよね。それって今思えば結局、サッカーをやっている姿だけじゃなくて、練習が終わった後に僕らの先輩は制服が学ランだったんですけど、先輩方が学ランを着て颯爽と帰っていく姿がカッコ良く見えたんですよね。だから、ひょっとするとそういうことも李さんがピッチ外の所での教育をされていたからなのかなとも思いますし、そういうものが中学生ながらに頭に残っていたことを今でも覚えていますよね。
Q、楽しい3年間でしたか?
A、僕は試合に出られるようになったのが3年からなので、高1と高2の時は辛い想い出はたくさんありますよ。ただ、自分でやっていても論理的に考えることがわかっていくのは頭の中であったんですね。技術レベルが追い付かなくて表現できていないだけで。李さんに「何でオマエそうやるんだよ」と言われても、「いやいや、自分の中では整理できているんだよ」というものが頭の方ではあって。それがようやくプレーでも表現できるようになったのが高3になってからだったので、自分の中でもうまくなっているなという実感はあるものの、苦しい高1と高2でした(笑)
Q、最後にベガルタ仙台というクラブのことをお聞かせ下さい。渡邉監督がコーチに就任する前は毎年のようにトップチームの監督が替わり、それでもJ1に昇格できない時期が続きましたが、手倉森監督が長く指揮を執り、渡邉監督も2シーズン目を迎えています。クラブの中に継続性を大事にしようという方向性が根付いてきているとお感じですか?
A、間違いなく誠さんがその礎を築いたと思っています。誰かが腰を据えて、何か1つのビジョンを掲げて、そこに突き進もうというエネルギーが生まれて、実際にクラブがそこに突き進んで大きくなって、といった方向へ誠さんが突き進んでくれて、ACLという大きな目標も達成することができたと。「やればできるじゃん」というものを地方クラブの1つとして、形として残せたと思うんですよね。そこから誠さんがオリンピック代表監督という形で協会へ行かれて、その後に「ベガルタどうするの?」といった所で、やはり同じような考えを持って、この地域でしかできないこと、このクラブでしかできないことを、しっかり見据えながら先々を考えていくことをこれからもやり続けていかなくてはいけないし、ようやくそういう方向に舵を切って、今は突き進んでいるんじゃないのかなとは思っていますね。
Q、昨日のアルウィンも雰囲気は凄かったとはいえ、仙スタというかユアスタの雰囲気や仙台サポーターも非常に熱量があると思います。監督も現役時代から感じていると思いますが、改めてユアスタのアドバンテージは感じますか?
A、僕はアウェイでユアスタに乗り込んだことがもう10数年ないので(笑)、「アウェイのチームで入ってきたらどうなるんだろうな」というのは、逆に言うとそれをこの間久々にアルウィンというスタジアムで感じ取れた部分はあったんですけど、よくウチの菅井(直樹)なんかが戦術的に「今そこに走っていって欲しくない。上がっていって欲しくない」という時でも走っていってしまうと。後から話をすると「いや、走らされたんです。サポーターに」と言うんですね。それって、でも本当なんですよ。
やっぱり人を動かす力というのは物凄くあって、あの声援と強烈な後押しであって、本当にそういうものを我々が感じながら戦えるというのは、選手冥利に尽きるし、プロ冥利に尽きるし、このアドバンテージを生かさない手はないなといった所は、本当に毎試合毎試合感謝している部分ではあるんですね。だからこそ、ホームでは勝ちたいし、ホームでは選手の躍動している姿を見せたいし、そういう空気をこれからもずっとサポーターと一緒に創り上げてくれればなという風に思っています。
Q、松本の反町監督にお話を伺った時、「アルウィンのサポーターから名前を呼ばれるのっていかがですか?」とお聞きしたら「武者震いする」とおっしゃっていました。渡邉監督はユアスタのサポーターから名前を呼ばれる瞬間にどういう想いを感じられるんですか?
A、武者震いを起こさないように、僕は今もう自分が名前を呼ばれるタイミングで控え室に戻っています(笑) ウォーミングアップはやっぱり「選手が今どういう状況かな」「雰囲気はどうかな」といった所と、相手チームのアップの雰囲気も見ながら、ベンチの下の方で観察はよくしているんですけど、「そろそろ自分の名前が呼ばれるな」という頃にはもうロッカールームに引き上げて(笑)、沸々と湧き上がる闘志を一度冷静にしないといけないので、それぐらい大きな力を与えてくれる瞬間ではあるんですけど、「コントロールするのが難しいぐらい強烈な声援と後押しだな」という風に感じています。
Q、"コントロール"で言うと、渡邉監督は試合後のフラッシュインタビューも非常に冷静に、理路整然とお話されていますが、あれは昔からですか?
A、理路整然かどうかがまだわからないので(笑) でも、物の考え方やサッカーに対する考え方というのは、高校時代に教わった教えというものが凄く僕の中では影響しています。「サッカーって凄く論理的で、色々なことを考えることで整理が付くんだな」ということを高校時代の3年間で教わりました。本当に技術レベルが低かった自分が、それでもプロとして何とか9年間やれてこれたのは、あの時の教えがあったからこそなので、そういうものがもしかしたら影響しているのかなと言う感じはしていますけど、理路整然かどうかは周りの方に判断していただければと思います(笑)
Q、例えばJ1への再チャレンジが6シーズン目を迎えるとか、そのJ1で2位になるとか、アジアの舞台で戦うとか、クラブも着実にステップアップしている印象を受けますが、初めて渡邉監督が仙台に来た時に今のクラブの姿は想像できましたか?
A、仙台に来た時にはJ1昇格というものが目標としてありましたし、そういう風に言っていましたし、「J1昇格はしたいな」と思っていました。では、昇格した先に何ができるかというと、今はJ2もJ3もクラブ数が多くなってきて、どのクラブも目標だったJ1に行った所から「J1で何ができるか」ということを考える時期になってきていると思うんですよね。そこで仙台がJ1に定着をしようとしていて、そこで「タイトルを獲ろう」という目標を掲げるようになるとは、正直十数年前は思えなかったです。でも、今はそれを強く思えるという所はまさにクラブの成長なのかなという感じはします。
Q、縁も所縁もなかった仙台でもう15年近い時間を重ねていると思いますが、何が一番渡邉監督を仙台に居させ続ける理由なんですか?
A、もう間違いなくサポーターですよ。やっぱりあのサポーターの前でプレーできたという幸せと、そこでまたこうして今は指揮を執らせてもらっているという幸せと、本当に彼らサポーターに支えてもらっているというのは僕にとっての心の支えです。彼らに何とか良い笑顔になってもらいたいですし、何とかタイトルをという想いが強いですし、何とかクラブに恩返ししたいという想いでしか今はないですよね。
Q、最後の質問です。凄くザックリ聞きますが、今って楽しいですか?
A、楽しいです。ハハハハハ。
Q、どういう瞬間に「楽しいな」って感じますか?
A、毎日が楽しいです。ザックリとした答えですみません(笑) 楽しさの定義って人それぞれだと思うんですよね。それをそれぞれがどう捉えられるかと、何を楽しいと思えるかでその人の人間的な部分も変わってくると思うんですけど、とにかく僕は今は色々なことにトライができていて、もちろんそこにはエラーもあるんですけど、エラーがあるからこそまたトライをしようといった繰り返しが楽しいです。そして、それをやってくれているのは間違いなく選手であって、そこに真摯に取り組んでくれている選手と、それを支えてくれているスタッフと、それを見守ってくれているサポーターとスポンサーの方々といった所が、今は景色として見えることが凄く楽しいですね。もちろん責任が凄く大きいですけど、だからこそ楽しみにもなっていると思いますし、楽しいです(笑)
【プロフィール】
桐蔭学園高、駒澤大学を経て、1996年に札幌へ入団。甲府、仙台でプレーし、2005年より仙台の下部組織コーチを歴任した後、2008年からはトップチームコーチに。2014年4月から監督として指揮を執っている。
※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。
ご了承ください。
取材、文:土屋雅史
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