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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

ワールドカップ 2014年06月29日

【16】"地上"の継承。王国を追い詰めた信念。

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"地上"の継承。王国を追い詰めた信念。


ベロオリゾンテの空に金属音がこだまする。
狂気の黄。落胆の赤。
120分に付け加えられた
"11メートル"の決闘はかくも残酷か。
その小柄な体躯を最大限に駆使し、
カナリアの戦士と対等に渡り合った
172センチのセンターバックが泣いていた。
その持ち場たる右サイドを蹂躙し、
相手に恐怖を与え続けてきた
175センチのサイドアタッカーが泣いていた。
かつて"空中"をその主たる勝負の場としてきた彼らは、
世界でも屈指の"地上"の人になった。
王国を震撼させ、
王国を極限まで追い詰めた"ラ・ロハ"は
最後まで勇敢に王国を去っていった。


久しく遠ざかっていた世界を知る男は
水色と白の隣人の国からやってきた。
弁護士の父を持ち、教師の母を持つ
この男に付けられた異名は"エル・ロコ"。
早い話が「変わり者」「狂気の人」。
普段は物静かな男が、
白と黒の球体を目の前に置くと変貌する。
ただ、雄弁になるのは頭の中だ。
マルセロ・アルベルト・ビエルサ・カルデラ。
2007年。
"ラ・ロハ"と"エル・ロコは"運命的に出会った。


知人から聞いた逸話がある。
ビエルサはチリを率いて日本へやってきた。
もちろんサムライブルーと対峙するために。
ここで"エル・ロコ"たる所以を
20歳前後の若者たちは思い知らされる。
数日後の試合を控え、
日本のある大学生たちが練習試合の相手に指名された。
ところが、彼らはキックオフと言われた時間の
3時間前に集合を強いられる。
無論、疑問が沸く。
これが世界のスタンダードか?
言われるがまま、3時間前に集った彼らの前には
電子機器を片手に立つ"エル・ロコ"の姿があった。


3時間後。
ピッチには"即席"のサムライブルーが浮かび上がる。
ビエルサの個人レッスンを受講し、
その役割を完璧に叩き込まれた大学生は、
仮想試合を務め上げる。
数日後の試合は"親善試合"。
それでも、徹底を裏切ることは他者にも自己にも許さない。
たとえ、それが初めて会った極東の若者であっても。


大きな挫折を知る。
若くして指導者の道に踏み入り、18年。
さしたるプレーキャリアを持たない男は
1998年に母国を率いる大役を引き受ける。
目指すべきは最も東で行われる世界の祭典。
43歳のビエルサにとって、待望の日々が幕を開けた。


サッカーが日常に根ざす人々の視線は鋭い。
「なぜアイツを使わない?」
「なぜアイツを使う?」
当然、囁かれる。
「なぜこう戦わない?」
「なぜこう戦う?」
当然、囁かれる。
何しろ地球で最も才能を生み出す国と称されていた。
それでも揺るがない。自身の信じる道は揺るがない。
18の対戦を積み重ねた大陸での負けは、わずかに1。
懐疑の視線は、期待のそれに変わる。
メキシコ以来の戴冠は、すぐそこに思えた。


黄金の国に、望んだ黄金はなかった。
4年前の復讐を金髪の英国人に果たされ、
北欧の巨人は最後まで倒れなかった。
かの国での失望は、怒りに変わる。
それでも揺るがない。自身の信じる道は揺るがない。
2年後。
神々の集う国で母国に最も輝く色のメダルを残し、
"エル・ロコ"は去る。
そして彼の名は、表舞台から消えた。


2007年。
"ラ・ロハ"と"エル・ロコは"運命的に出会った。
ここに数字がある。
"176.6"と"172.2"。
前者はビエルサが就任する直前の平均身長。
後者はビエルサが就任した直後の平均身長。
共にフォワード陣のそれである。
かつて、173センチのマルセロ・サラスと
178センチのイバン・サモラーノを頂き、
世界を驚かせた"ラ・ロハ"は、
さらにそれより小さな男たちに"最後"の仕上げを託す。
それは、"地上"で世界と伍していく決意を表わす、
ささやかな宣言だったかもしれない。


2008年10月15日。
舞台はサンティアゴ。エスタディオ・ナシオナル。
35年ぶりに"ラ・ロハ"が"セレステ・イ・ブランコ"を倒し、
ビエルサは熱狂の赤き民に祝福される。
母国の"地上"を上回る"地上"での勝利。
そのちょうど1年後。
チリは12年ぶりに祝祭への帰還を果たす。
もはや、その国には"エル・ロコ"の信念が貫かれていた。


世界の賞賛を集めた南アフリカを経て、
"エル・ロコ"が去りし"ラ・ロハ"へ
再び水色と白の隣人の国から指揮官はやってきた。
1人目は早々にその座から降ろされたが、
2人目が王国への扉をこじ開ける。
ホルヘ・ルイス・サンパオリ・モヤ。
当時、国内屈指の強豪として知られている
ウニベルシダ・デ・チレを率いていた彼の志向は、
そのチームを見れば瞬時に理解できた。
崇拝するのはまさに"エル・ロコ"その人。
あまりにも適任。
かくして"ラ・ロハ"は継承された。


2014年6月18日。悠久のマラカナン。
世界王者の"ラ・ロハ"を葬る。
175センチのセンターフォワードが、
171センチのセントラルミッドフィルダーが、
4年前に聖杯を掲げた守護神を次々と打ち破る。
最強の"地上"を上回る"地上"での勝利。
この90分間を"エル・ロコ"は何処で、
何を思いながら見つめていただろうか。


それから10日後。
優勝のみを義務付けられた王国は追い詰められる。
奪っても、奪われる。
奪いかけても、奪われかける。
120分には"5インチ"の幅に救われる。
王国での"ラ・ロハ"と問われるなら、
前回の王者ではなく、彼らがそれに相応しい。
勝敗の行方は"11メートル"に委ねられる。


ベロオリゾンテの空に金属音がこだまする。
狂気の黄。落胆の赤。
その日の集団で2番目に大きな
178センチのセンターバックが
"5インチ"の幅へボールをぶつけ、
"ラ・ロハ"の勇猛なる行進はその歩みを止めた。
172センチのセンターバックが泣いていた。
175センチのサイドアタッカーが泣いていた。
その自らの歌を拡声器が止めてなお、
誇らしげに歌い続けていた赤き民もまた、泣いていた。


実はチリにとって、ブラジルは好敵手ですらない。
最後に勝利を手にしたのは14年前まで遡る。
その日、ゴールを挙げたのは
マルセロ・サラスとイバン・サモラーノ。
最も世界に近付いた彼らの幻影を振り払う意味で、
この日は格好の舞台だったかもしれない。
ただ、最後は"11メートル"に屈したが、
おそらくはもはや"ラ・ロハ"を語る上で、
過去の両雄を持ち出す必要はなくなっただろう。
8年に渡って貫かれてきた"エル・ロコ"の信念は、
間違いなく赤き民の代表に宿っていた。


土屋

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