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サッカー フットサル コラム 2023年8月30日

金子勝彦さんの思い出 リバプール愛が“溢れ過ぎた”実況

後藤健生コラム by 後藤 健生
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その後、『三菱ダイヤモンド・サッカー』では1970年のメキシコ・ワールドカップの全試合が放映された。もちろん、生中継ではない。全32試合を前後半に分けて1年かけて放送したのだ。

ブラジルが、グループリーグから決勝戦まで全勝で優勝を飾った大会である。ペレを筆頭に、リベリーノやジャイルジーニョ、トスタン、カルロス・アルベルトといったスーパースターがおり、おそらく世界のサッカー史上の最強チームの一つだ。

ブラジルのプレーは日本のサッカー少年たちや若いサッカー指導者に大きな影響を与え、それまで“蹴って走る”サッカーが主流だった日本でも、テクニック重視の指導を行う指導者が現われ、ブラジルを見て育った選手が成長したことで日本サッカーのレベルは上がり、後のプロ化(Jリーグ発足)につながった。

ちなみに、ワールドカップの日本における初の生中継も『三菱ダイヤモンド・サッカー』の特別枠として放映されたは1974年西ドイツ大会の決勝戦。もちろん、実況解説は岡野、金子のコンビだった。

僕にとっての思い出は、たったの一度だけだが、金子さんと一緒に仕事ができたことだ。

十数年前。チャンピオンズリーグの試合の解説の仕事だった。実況担当が金子さんで、しかも、金子さんが「一番好きなクラブ」というリバプールの試合だった。

『ダイヤモンド・サッカー』が放映されていた1970年代は、リバプールの黄金時代だった。

1959年に名物監督ビル・シャンクリーが就任。低迷していたクラブを立て直して1963/64シーズンに17年ぶりのフットボール・リーグ(FL)優勝を果たし、1965/66シーズンにも優勝すると、1970年代には5度もFLで優勝。1976/77、1977/78シーズンとヨーロッパ・チャンピオンズカップでも連覇を飾ったのだ(シャンクリー監督は1974年夏に退任)。

ちなみに、FL1部は当時のイングランドのトップリーグ。チャンピオンズカップはチャンピオンズリーグの前身だ。

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