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サッカー フットサル コラム 2021年4月1日

U-24アルゼンチン代表に快勝した日本。同じ相手だったからこその楽しさがあった

後藤健生コラム by 後藤 健生
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日本代表がモンゴル戦で14ゴールを奪って大勝した。

普通、こういう大差の試合になるとどうしても“気の緩み”が出てきてしまう。前半に5点、6点を奪って「これなら、今日は10ゴールかな」なんて思っていると、後半は1点くらいで終わってしまうといった展開をよく目にする。

ところが、モンゴル戦での日本代表は最後まで貪欲さを失わなかった。なにしろ、後半のアディショナルタイムに入ってから3ゴールも奪ったのだ。

最後まで本気で向き合ったことが何よりも素晴らしかった。

今回も海外組の選手の中には参加できなかった選手がおり、さらにオリンピックを目指すU−24代表に参加した選手も多い。そして、その代わりに代表に加わったJリーグで活躍している選手たちが、期待通りの活躍。こうして選手間競争がますます激しくなり、代表への生き残りをかけて全員が手を抜けない状況になっているのだろう。

そんな「14得点」を見ながら、僕が思ったのは「日本代表の最多得点記録にあと1点及ばなかったのは残念」ということだった。

「15対0」。1967年の9月から10月にかけて行われたメキシコ・オリンピック予選のフィリピン戦で日本代表が記録した最多得点記録である。日本が生んだ史上最高のストライカー、釜本邦茂のダブルハットトリック(1試合6得点)を含め、日本は大差で勝利を収め、その結果、予選大会では韓国と4勝1分で並んだものの、得失点差でオリンピック代表権を獲得。翌年のメキシコ・オリンピックでの銅メダルという快挙につなげたのだ(当時のオリンピックは、アマチュアだけの大会だったが、全員が実業団および大学生だった日本はA代表がオリンピックに参加していた)。

57年前、僕が中学3年生だった時の出来事である。

当時(1960〜70年代)の日本代表のメインイベントは、毎年、夏のシーズンオフを利用して来日するヨーロッパの強豪クラブとの親善試合だった。イングランドのアーセナルやトッテナム、西ドイツのボルシア・ドルトムントや1FCケルン、ポルトガルのベンフィカそしてブラジルのパルメイラスといったクラブが来日して、日本代表と親善試合を行った。たいてい、1週間か10日の間に日本代表と3〜4試合を戦って、日本代表が善戦することもあったが、その力の差を見せつけられることとなる(パルメイラスには2勝1敗で勝ち越した)。

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