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機材やサポート体制が進化した現在でも、およそ2割にものぼる選手は、ゴールまでたどり着けずにレースを去る。パリ・シャンゼリゼに無事ゴールした選手たちは、パレードで晴れがましいような表情を見せてくれる(2012年大会)
ツール・ド・フランスの完走者の割合は、年々着実に上がっている。1903年第1回大会は、エントリー78人、出走60人、完走21人。片や2012年大会は、198人中153人が完走した。
初回から2012年大会まで、10大会ずつの区切りで完走率の平均値推移を見てみるとこのようになる。
1903〜1912年(第1〜10回大会)は33%、以下、29%、48%、53%、59%、66%、68%、73%、69%、そして2004〜2012年(第91〜99回大会)が80%。
第二期の平均値が29%と下がっているのは、第一次世界大戦直後の1919年大会で完走率が14.5%と、ツール全大会を通してもっとも低い値を示したからだ。物資不足で、満足なサポート体制が組めなかったことは、容易に想像がつく。69人が出走し、完走が11人、うちひとりが失格で、最終的に10人となった。
次に完走者が低かったのは、第一期に含まれる1906年。82人中14人が最終ゴールまでたどり着き、率にすると17.1%。沿道の観客が暴れて、画びょうをバラまき、パンクを引き起こす大事件が起こった年だ。さらに、列車で移動するズルが発覚し、3人の選手が失格になっている。
直線的に上昇していた完走の平均率が第九期に69%まで落ち込んだ主原因は、1998年のフェスティナ事件。大会中に発覚した組織的ドーピングスキャンダルのため、チーム丸ごとの大型リタイアも相次ぎ、出走189人中、完走者は96人(50.8%)にとどまった。
一方で、コースの難易度がサバイバルに直結するかといえば、そう安直に結論づけられるものでもなさそうだ。アルザス地方の峠バロンダルザスが投入された1905年の完走者は40%、満を持してピレネーの山岳が加わった1910年とアルプスが加わった1911年は、それぞれ37.3%と33.3%。1903〜1912年の第一期の平均完走率が33%(厳密には32.90%)だから、むしろ完走率は平均以上ということになる。
変速機が導入された1937年以降、飛躍的に生き残り選手が増えたかというと、そうでもない。むしろその前3年間の方が数字はいい。また、その後も数字は上がったり下がったりで、顕著に有意な数字は出ていない。むしろ、機材全体の革新が長年をかけてじわじわと影響を及ぼしていると推測できる。
実際、直近の第十期は、9年間のみの統計だが、完走率は80%近く(厳密には、79.61%)。2010年は過去最高となる198人中170人が完走し、その割合は85.9%だ。
参加人数に注目すると、第二次世界大戦前までは、60人(1903と1905年)から最大162人(1928年)の間で変動していたが、当該大戦終結後、最初に開かれた1947年大会以降は100人を割ることはなくなり、1984年以降は毎年少なくとも170人以上が参戦している。
丁度その頃から、北米選手がツールに乗り込んでくるようになり、豪州選手らがこれに続いた。いまやツールはずいぶんインターナショナルになり、あるレベル以上の選手層が厚くなったことも、完走率上昇の一因かもしれない。
Naco
1999年末、ホームページを立ち上げ、趣味だった自転車ロードレースの情報記事を掲載しはじめる。2000年夏からは、ツール・ド・フランスの現地観戦レポートを開始。同サイトには、ロードレース・ファンたちが数多く訪れている。現在、フリーランスのジャーナリストとして自転車専門誌に記事を寄稿している。
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