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野球 コラム 2019年2月10日

追悼・フランク・ロビンソンとジャッキー・ロビンソン

Do ya love Baseball? by ナガオ勝司
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2月7日、史上初のアフリカ系アメリカ人監督のフランク・ロビンソンが亡くなった。享年83歳だった。

「史上初のアフリカ系アメリカ人」と「ロビンソン」という言葉を並べてしまうと、史上初のアフリカ系アメリカ人選手であるジャッキー・ロビンソンを連想してしまう人も多いのではないか。

全球団で永久欠番となってることもあり、ジャッキー・ロビンソンの背番号が42だったと答えられる人は多いだろうが、フランク・ロビンソンの背番号を即答できる人は、若い世代のアメリカ人にもそう多くない(5球団で36や32もつけていたそうだが、もっとも有名なのは20番だろう)。

若いアメリカ人でもその程度なので、フランク・ロビンソンの現役時代をよく知っている日本人は少ないと思う(実際、私はよく知らない)。

現役21年間で史上10位の通算586本塁打を放ち、三冠王、史上唯一の両リーグでの最優秀選手賞(MVP)、新人王や首位打者やゴールドグラブも獲得。もちろん、初めて候補となった1982年に野球殿堂入りしている。

私が取材したのは監督としてのフランク・ロビンソンで、それもインディアンスで史上初のアフリカ系アメリカ人監督となった頃(1975年から1977年)でも、オリオールズで最優秀監督に選出された頃(1989年)でもなく、モントリオール・エクスポズの球団史上最後の監督と、初代ワシントン・ナショナルズの監督をしていた頃(2002年から2006年)だ。

当時のエクスポズは、レッドソックスとマーリンズの買収と売却に伴うおかしな動きの中でオーナー不在となり、その窮余策としてメジャーリーグが経営する不思議なチームだった。

後の殿堂入り選手ウラディミール・ゲレーロ外野手や二年連続二桁勝利を挙げた大家友和投手(現DeNA二軍投手コーチ)など粒ぞろいで、前年(2001年)まで5年連続負け越しのチームを、ロビンソン監督は二年連続で勝ち越しに導いている。

いわゆる「オールドスクール」な采配について特に書くことはないが、私に言えるのは、ロビンソン監督がメジャーリーグの歴史の中で重要な位置づけになっていることを象徴する出来事が取材現場で数多くあったということだ。

いつだったか、キャンプ中に毎朝行われる定例会見の折、地元記者が「近頃、アフリカ系アメリカ人監督が増えないどころか、選手が少なくなっていることに危惧はあるのか?」というような質問をした時、ロビンソン監督が、こう言ったのをよく覚えている。

「アフリカ系アメリカ人が、野球よりフットボールやバスケットボールに夢中になっているのは残念なことだが、私だって若い頃はバスケットボールに夢中になっていた。ただ、当時の我々はジャッキーが開けたドアを閉じないように、とも考えていたんだよ……真面目にね」

その数日後、ナイトゲームを取材した後、エクスポズのクラブハウスの前でポツンと立っていたジャイアンツのダスティー・ベイカー監督(当時)に出くわした。

ビジターチームとしてモントオールに来ていたベイカー監督は、カジュアルな私服姿でロビンソン監督の帰りをじっと待っていた。選手が帰宅した後の人気のない廊下で雑談中、彼はこう教えてくれた。

「いいかい? ジャッキーがいなければ、ウイリー・メイズもハンク・アーロンもいなかったんだ。もちろん、バリー・ボンズもだ」

トレードマークの爪楊枝が器用に口の中で反転した。

「そして、フランクがいなければ、私やシト・ガストン(1992年、ブルージェイズでアフリカ系アメリカ人監督初のワールドシリーズ制覇)やドン・ベイラー(1995年でロッキーズでナ・リーグ最優秀監督)もいないってことだ。それがすべてさ」

「ジャッキー・ロビンソンじゃなくても、他の誰かがいずれは出てきたはず」と言う人もいるが、それはしょせん、外野の意見なのだろう。同様に、フランク・ロビンソンが史上初のアフリカ系アメリカ人監督になったのも、決して偶然ではないのだと思う。

フランク・ロビンソンの人生はきっと、ジャッキー・ロビンソンのように映画にはならないだろうし、彼の背番号20が全球団で永久欠番になることもない。

だが、二人のロビンソンはメジャーリーグとアメリカの歴史の中でしっかりと繋がっており、それは誇張でも何でもなく、何人たりとも踏み入れることのできない神聖な領域となっている―。

ナガオ勝司

ナガオ勝司

1965年京都生まれ。東京、長野、アメリカ合衆国アイオワ州、ロードアイランド州を経て、2005年よりイリノイ州に在住。訳書に米球界ステロイド暴露本「禁断の肉体改造」(ホゼ・カンセコ著 ベースボールマガジン社刊)がある。「BBWAA(全米野球記者協会)」会員

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