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町田樹のスポーツアカデミア 【Archive:フィギュアスケート・ザ・マスターピース】 アダム・リッポン「牧神の午後への前奏曲」(2013年スケートアメリカ):プログラム分析 第2パート〜第3パート
フィギュアスケートレポート by J SPORTS 編集部町田樹がアダム・リッポン「牧神の午後」の魅力を徹底解説
みなさん『スポーツアカデミア』にようこそ、町田樹です。シーズン2の第2回目となる【Archive:フィギュアスケート・ザ・マスターピース】では、競技成績では伝えきることができない、プログラムの美質や魅力について、とことん深掘りしていく番組となっています。今回も良質なプログラムが醸し出す奥深き美の世界をみなさんと共に探求していくことといたしましょう。
前回のおさらい
第2パート:夢想する牧神 不在のニンフとの戯れ
第2パート:夢想する牧神
第2パートでは、夢想する牧神と題しましたけれども、牧神の物語が展開されていきます。ニジンスキーが創作した《牧神の午後》は、ギリシャ神話に登場する牧神と女性であるニンフが出てきます。ですが、アダム選手は一人でそれらの作品世界を描かなければいけません。第1部のスピンが終わった後、フッと何かを発見して凝視するようなポーズが出てきます。そこでニンフと牧神が遭遇したんだということを見る者に伝えているわけです。つまり、身振り手振りで、いないはずのニンフを見立てるわけです。
象徴的なポーズの数々
そこからどんどんどんどん牧神を象徴するポーズも交えながら、ステップシークエンスへと入って第2部が終わっていきます。その第2部の終わりに、アダム選手が腕を上に上げて、片方の手を下にずらしていくようなフリが入っています。これは私の深読みかもしれないですけど、ニジンスキーの《牧神の午後》のストーリーを知っている者が見れば、なんとなく、ニンフが残していった薄衣を日の光に当てて透かし見て、そのスカーフを手でなぞっているような行為にも読み取れる振付が組み込まれて、第2部が終わっていきます。従って、第2部というのは、アダム選手が扮する牧神がニンフと遭遇して、その後ニンフと別れるまで、そうした物語が展開されていきます。
第1部の最後のスピンが終わった途端、何かに遭遇して目視する、そういうポーズがあります。このポーズの視線の先にはニンフがいるわけです。女性役はその場にいないけれども、身振り手振りで不在のニンフを表現していくわけです。こうしたところもジャッジに対して二次元に見えるように手を合わせたニジンスキーの振付が引用されていたりします。そこからトリプルアクセルを予定してるわけですが、ここではシングルアクセルになってしまいます。この後のジャッジに対して二次元の空間になるようにニジンスキーの振付が引用されています。それから深いエッジワーク、そこからトリプルフリップ、トリプルトゥーループ。そして、ステップシークエンスにもたくさん牧神を象徴するポーズが入っています。美しいですよね。スカーフを透かし見て、なぞっていく。そして、ニンフと牧師が分かれて第3パートへと入っていくわけです。
第3パート:牧神の見果てぬ夢 先行作品へのオマージュ
第3パート:牧神の見果てぬ夢
第3パートは「牧神の見果てぬ夢」というような形でテーマ設定をしましたが、ここで大事なことは、先行する作品のオマージュがたくさん入っているということです。アダム選手の《牧神の午後》は、ニジンスキーの《牧神の午後》からたくさんのインスピレーションをもらっています。それから、実はフィギュアスケート界ではジョン・カリーというイギリスのスケーターが演じた《牧神の午後》が非常に有名なんですけれども、ここからも振付の引用があるわけです。ジョン・カリーの《牧神の午後》の途中に、牧神に扮するジョン・カリーが何か得体の知れないものをそーっと触ろうとして、チョンっと触っていくような振付が入っています。その振付がアダム選手の《牧神の午後》にも引用されています。最初のトリプルルッツ、ダブルトゥーループ、ダブルループの3連続ジャンプの後、チョンと何かを触る振付がありますが、そこは完全にこのジョン・カリーの振付の引用だと言えるわけです。
この作品の最後は、左手で何かを求めているような振りで終わっていきますが、このポーズは秀逸だと思います。ステファヌ・マラルメの詩に登場する牧神をフランス文学者の菅野昭正さんは「絶対の渇望者」であると解釈しています。どういうことかと言うと、牧神はニンフに遭遇して、このニンフを自分のものにしようと欲情して追いかけ回すわけですけれども、結局、最終的にニンフは自分のものにならず去って行ってしまいます。一人寂しく薄衣で自分を慰めることをするわけですけれども、この作品においてニンフというものは、美の理想として描かれています。その美の理想を追い求めるけど手に入らないという、美を渇望する、そういうモチーフとして《牧神の午後》は描かれているんじゃないかと菅野さんは解釈しているわけです。まさにこの、アダム・リッポンさんの最後の振り、左手で何かを求めているような振付、これがその絶対の渇望者としての牧神を象徴しているようで、私は秀逸な振付だと感じるわけです。
アダム・リッポン《牧神の午後》総合評価
このように、リッポンさんの《牧神の午後》は3パートに分けられます。第1パートは二次元の舞台空間と牧神という役柄を提示していくパート。そこから牧神がニンフと遭遇して、ニンフを失うまでの物語性が提示される。そして最後、ニジンスキーの振りだったり、ジョン・カリーの先行作品の振りからたくさん引用して、最後に絶対の渇望者としての牧神を象徴するような秀逸な振付でこの《牧神の午後》は締めくくられていくわけです。
こうした形で、例えば、絵画的なバエレを意味するヘレニズムだったり、あるいは牧神のポーズを取り入れてモダニズムを表現してみたり、あるいは最後にエロティシズムっていう要素がありましたけれども、直接的な性描写はありませんが、このプログラムの中で上半身を大きくのけぞらしたり左右にしなやかに倒れたり上半身を倒したりする振付がたくさんあります。普通、ダンスの領域で官能性というものを描く時に、だいたい上半身をのけぞらせたりしていくんですけども、そういう官能性の表現も、アダムさんが意図しているかどうかは定かではありませんが、官能的に見えるポーズもたくさんこのプログラムの中には組み込まれています。そういう意味で、アダム・リッポンさんの《牧神の午後》というのは「ヘレニズム」「モダニズム」「エロティシズム」というニジンスキー作品が備える三つの特徴を備えているわけです。
そして、フィギュアスケート史を振り返ってみると、実は1970年代からたくさんのスケーターがこの《牧神の午後》を演じてきています。しかしながら、こうした二次元の平面的空間構成と、あるいは牧神とニンフが出会い、失っていくという物語性の描写、それからニジンスキーが振付たような、牧神やニンフを象徴するような、そういう振付を的確に引用するというこの三拍子が揃ったフィギュアスケートのプログラムは、アダム・リッポンさんの《牧神の午後》だけなんです。他の作品はただただ「牧神の午後への前奏曲」という曲を使って美しく優雅に舞ったり、あるいはニジンスキーの振付が引用されていなかったり、物語性を一切出していなかったりします。アダムさんの《牧神の午後》はこの三拍子全てが揃っている傑出プログラムと言えるでしょう。
マスターピース(傑作)の条件
実はステファヌ・マラルメは「牧神は亜鉛色の木々の中で踊られるべきだ」という言葉を残しています。アダム選手がこの言葉を知っていたかどうか定かではありませんけれども、アダム選手の衣装の色が奇しくも亜鉛色に染め上げられています。おそらくアダム選手も、振付家のトム・ディクソンもそのことを理解して衣装をデザインしたんだと思います。 (完)
文:J SPORTS編集部
J SPORTS 編集部
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