ラグビー愛好日記

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このブログについて

プロフィール写真【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。

2018年05月17日

重一生選手、大阪トークライブ

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
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5月16日の夜は、大阪・北浜のラグビー普及居酒屋「ラグビー部マーラー」でのトークライブだった。ゲストは神戸製鋼コベルコスティーラーズの重一生選手だった。昨年はルーキーイヤーでレギュラーCTBとして大活躍。しかし、帝京大学の同期で、トヨタ自動車のキャプテンとなった姫野和樹選手の存在もあって、トップリーグ新人賞は逃した。「姫野が日本代表になって、オーストラリア戦でトライした時にあきらめました(笑)」。

悔しかったですか? 「悔しかったです。姫野は大学時代はもっと粗い(大ざっぱ)選手だったので、ほんとうに変わったと思います」。重選手は奄美大島出身のご両親にのびのびと育てられ、大阪の吹田ラグースクール、常翔学園高校、帝京大学に進んだ。常翔学園高校時代は高校日本一になり、花園ラグビー場を自由奔放に駆け抜けた。卓越した突破力を覚えている人も多いだろう。「完全にラグビーをなめていましたね。自分はなんでもできると思っていました。でも、大学で試合に出られなくて、腐っている時期がありました。大学2年生の時、試合に出られなくてもチームのために行動する4年生の姿を見て、考え方を変えました。この人たちのために、1分でも試合に出られたら頑張ろうと思うようになったんです。ずっと岩出監督に叱られてばかりだったのに、それ以降は何も言われなくなりました」

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神戸製鋼に入ったのは「子供の頃から憧れていたから」だという。「元木さん、大畑さん、森田恭平さんたちがいた頃です」。

今、やりたいポジションはないという。「試合に出られるならポジションはどこでも良いです。出られない人たちのために頑張ろうと思います。ただし、僕はキックが苦手で、昨シーズンも試合でキックしたのは一度だけなんです。FBは無理です」。

ほな、やっぱり13番しかないやん(笑)。とはいえ、今年からBKコーチになった森田恭平さんにキックの指導を受けているという。

神戸製鋼は今季より新体制。最初のミーティングで、ウェイン・スミス総監督から明確にチームの方向性を示されたそうだ。「僕ら選手としてもやりやすいです」。少しだけ紹介してくれたのだが、普段から規律を守って行動することを求められるという。「練習に遅刻してきたら、その週は試合に出られないと思ってくれ、と言っていましたし、練習中に決められた線まで走らなかった選手を見つけたら、帰れ!と言いますね。そのあたりはすごく厳しいです」。今年は、ダン・カーターほか即戦力の新加入選手が多いが、「いろんな選手のいいところを吸収して日本代表目指して頑張ります」と力強く語っていた。

よく考えてラグビーに取り組む重選手の言葉に、お客さんたちから何度も拍手が起こった。そういう考え方になったのは、帝京大学で岩出監督に鍛えられたからだという。「話し方も直されますし、学校では必ず授業に出て一番前で話を聞くように言われていました。ラグビー部が学生の模範になる行動をしろ、と。言葉使いも会社の研修で言われるようなことを、指摘されていましたね」

重選手、ご協力いただいた神戸製鋼の皆さん、ありがとうございました。

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