ラグビー愛好日記

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

最近のエントリー

カテゴリー

アーカイブ

2018/03

S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

このブログについて

プロフィール写真【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。

2018年03月14日

トーエ・ミキオ 近鉄おつかれさん会

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
  • Line

20180314.jpg

3月13日は、久しぶりの大阪・北浜のラグビー普及促進居酒屋「ラグビー部マーラー」でトークイベントだった。タイトルは「トーエ・ミキオ 近鉄おつかれさん会」。近鉄ライナーズのファンを中心に、2017年度限りで近鉄ライナーズの選手としてはジャージを脱ぐことになった佐藤幹夫選手、タウファ統悦選手に感謝する会だった。

「ミスター近鉄」とも言われた佐藤幹夫選手は、神奈川県出身。小学2年生から横須賀ラグビースクールでラグビーを始め、法政大学第二高校、法政大学と進学し、卒業後の2002年、近鉄ライナーズへ入団した。「4年生の時にはいくつかのチームから声がかかったのですが、僕は大学に5年行きまして(笑)」。翌年も声をかけてくれた近鉄に入ったことになる。

タウファ統悦選手は、ドンガ出身でトゥポウ高校から日本大学に進み、2005年に近鉄ライナーズ入りした。「当時、近鉄がトップリーグから降格してしまったのですが、同期の友達が俺らが行ってトップリーグに上げたらかっこいいよな、と、その言葉に気持ちが盛り上がって行くことしました。そうしたら、近鉄とサインした直後に、ヤマハ発動機とトヨタ自動車の人に声をかけられたんです! 僕、もう決まりましたから、と断りましたけど」

今回は、あらかじめお客さんに質問を募り、それを盛り込みながらトークを進めた。「ちょっとだけ浮気して、他チームに移籍するとしたらどのチーム?」という質問には2人とも「ありません!」ときっぱり。「僕はほかのチームは知らないから比較できないのですが、近鉄のメンバーは本当に仲が良いのです。バラバラで飲みに行っても最後はみんな同じ場所に集まってくるようなところがある」(佐藤選手)。「実は僕は一年だけ近鉄でプレーしてトップリーグに昇格したら東京のチームに移籍しようと思っていました。妻も東京の人だから。でも1年で昇格できず、2年目も昇格できなかった。ここで辞めたら、ファンの皆さんになんて言われるかわからない(笑)。3年目にやっと昇格できたのですが、その時には近鉄ライナーズが大好きになっていました。ファンの皆さんは、試合中はヤジもあって厳しいけど、試合後はすごく温かく激励してくれる。アメとムチというのか、それが大好きなんです(笑)。ファンではなく、サポーターなんですよね。本当に支えられてきました」(タウファ選手)。

他にもいろんな質問が出たが、ライナーズ愛あふれるトークになった。「もし、夢が一つ叶うとしたら、何を叶えたいですか?」との問いには、「日本一になりたい」(佐藤幹夫)、「近鉄の監督かな」(タウファ統悦)。拍手喝采。最後は近鉄ライナーズからチームのボール、ジャージを2人のサイン入りでプレゼントする抽選を行い大いに盛り上がった。

最後は2人からのあいさつ。佐藤幹夫選手は「長い間、応援ありがとうございました」と16年におよんだ近鉄時代の声援を感謝し、コーチとしてラグビーに関わっていく決意を述べた。そして、タウファ統悦選手には来場者の会費の一部が寄付として渡された。2月中旬、トンガにサイクロンが上陸し、甚大な被害が出たのだ。タウファ選手の家もサイクロンで倒れた木で押しつぶされた。「ほんと、すみません!」と言葉を詰まらせた統悦選手。「ずっと皆さんに応援してもらって、きちんとお礼もしていないのに、すみません!」と深く頭を下げた。「最後の試合のとき、チームを離れることを言っていいのかどうか分からなくて悩みました。今もチームにアンバサダーとして残るのか、他のチームで現役を続けるのか決まっていません。(近鉄での)僕は最初は蕾(つぼみ)だったと思います。でも、皆さんのお陰で綺麗な花が咲いたと思います。綺麗かどうか、どう思われているかわからないけど、僕はそう思っています。本当に感謝しています」

最後のあいさつでは涙するお客さんの姿もあった。ラグビーファンの皆さんに愛された2人は、これからもずっとラグビーに携わって生きていくと話していた。どんな形になっても、この日のお客さんは2人を応援するだろう。そして2人も、支えてくれる人々への感謝を忘れずにいるだろう。とても気持ちの良い空気に包まれたトークライブだった。

  • Line