ラグビー愛好日記

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

最近のエントリー

カテゴリー

アーカイブ

2016/03

S M T W T F S
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

このブログについて

プロフィール写真【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。

2016年03月13日

釜石で夢を語る

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
  • Line

201603kamaishi.jpg

3月13日は、釜石市に行ってきた。前後の予定があって日帰りでしか行けなかったのだが、「世界凧揚げ交流会2016」に参加してきた。パレスチナ・ガザ地区では、東日本大震災以来、毎年3月になると1,000人以上の子供達が集まって、震災の犠牲者への追悼凧揚げが行われているという。昨年は、釜石市とガザ地区の子供達が合同で凧揚げ。そして、今年は世界各国で凧揚げが行われることになった。2019年のラグビーワールドカップ日本大会の開催地のひとつである釜石が、それに先駆けて国際交流していく催しだった。

僕は、事前のトークイベントの進行役をした。パネリストは野田武則・釜石市長、ヨルダンのアンマン在住で国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)保健局長の清田明宏さん、釜石シーウェイブスの松原裕司選手、北川勇次選手の4名で、「夢を語ろう、叶えよう」というテーマで、それぞれの夢や実現させるための努力などを語り合った。

子供の頃から「釜石の良さを多くの人に伝えたい」と思っていた野田市長、医師を志していた清田さんは、夢をかなえているが、さらに貪欲に夢を追い続けている。松原選手はこんな話をしていた。「小学校の卒業文集に夢を書いたのですが、そのことをすっかり忘れていたんです。神戸製鋼のプレーしているとき、プロの選手としてプレーする決断をしました。その後、小学校の同級生のお父さんに文集を見せてもらうことがあったのですが、将来の夢は、『プロスポーツ選手』と書いてあったんです」。つまり、プロ選手になった後に、それが自分の夢だったと思い出したわけだ。北川選手は車の整備士になりたかったそうだが、兄弟の影響でラグビーを始めた。そして夢はワールドカップ出場となり、2011年大会でそれを叶えている。「僕の努力というより、僕が頼りないから、みんなに支えてもらって行くことができました。今の夢というか目標は、釜石シーウェイブスでトップリーグに昇格することです」

清田さんは、昨年の日本代表の南アフリカ代表戦勝利のあと、ヨルダンでもたくさんの知人から「あの試合はすごかったね」と声をかけられたのだそうだ。その清田さんが、松原選手に「それほど大きくない体で、どうやって競争に勝っていたのか」という質問をされた。松原選手は「自分の長所を生かし、そこで勝負する。先制パンチですよ」と答えた。そして、「今の夢は、2019年のワールドカップに出ること。日本代表が南アフリカに勝ったことを想えば、不可能なことは何もない」と話した。参加していた子供達が何かを感じてくれていたらいいなと思う。

あわただしく帰ることになったが、久しぶりに自分の持っていた夢について思い返す、いい機会になった。僕の小学生の頃の夢は、高校のラグビーの監督になって全国制覇することだったなぁ。かなり方向性が変わったけれど、ラグビーにずっと関わっていられるのは幸せである。

20160313.jpg

  • Line