ラグビー愛好日記

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このブログについて

プロフィール写真【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。

2015年12月30日

12月30日の花園

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
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12月30日、東大阪市の花園ラグビー場はラグビーファン、高校生、その父兄、サポーターの皆さんで大いににぎわった。シード校が登場したこともあって、大差の試合が多かったが、大分舞鶴と関商工が19-19で引き分けるなど、大接戦も(抽選で関商工が3回戦へ進出)。

花園の歴史に残るような緊迫感あるゲームになったのが、第3グラウンドの最終戦「常翔学園対天理」だった。天理の激しく前に出る攻撃を、常翔学園が力強いタックルを押し返す攻防は見ごたえがあった。全般的に天理がうまくキックを使って陣地をとり、ミスなくボールをつないだ。最後の最後までどちらに転んでもおかしくない内容だったが、天理が粘り切った試合だった。

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注目の一戦に第3グラウンドは人であふれ、陸上トラックにも観客を入れ、立錐の余地ない大観衆の中での戦いだった。優勝候補の一角だった常翔学園の敗退(スコアは、3-5)。相手が実力者の天理なので波乱とは言えないのだが、もう少し見たかったチームではある。車椅子で熱戦を見守った金澤功貴キャプテンは涙を見せず、毅然とした態度で報道陣に接した。卒業後は摂南大学に進み、ラグビー部に入部するという。リハビリの進み具合について、「ちょっとずつなのですが、手も動かせるようになってきたので、リハビリを頑張ってできることを増やしたい」と話した。今季はゲームの分析などを担当し、リハビリにあてる時間がどうしても少なくなったようだ。最後までしっかりと受け答えするキャプテンを見ていて胸が熱くなった。

ゲームキャプテンを務めたSO吉本匠は、「うまくチームを動かせなかった」と唇をかんだ。「攻めた時にミスが出て、今までやらないようなプレーも多かった。みんなに声をかけ、落ち着かせないといけなかったのに、うまくできませんでした」。反省の言葉が続いた。最後の決勝PGは、40数メートルの難しい距離だったのだが、わずかに左にそれた。その吉本選手について、野上監督は、「ゲームキャプテンとしてチームをまとめてきてくれた。最後に外したからといって、それをどうこう言うつもりはありません。吉本はこれからもっといい選手になる。一番期待している選手です」と語った。

報道陣がいなくなったところで、野上監督が「年末年始、何しようかな」とつぶやいた。なんとも言えない気持ちになった。

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この写真はJSPORTSのゲスト解説でやってきた日本代表の堀江翔太選手(パナソニック)。あちらこちらで高校生に呼び止められ、「去年と全然違う。ラグビー人気、すごいです」と驚いていた。昨年は、歩いていても誰にも呼び止められなかったという。

メインスタンドの正面入り口から入ったところには、たくさんのラグビーメーカーのショップなどが並んでいるのだが、左に行くと「デフラグビー写真展」のコーナーがある。写真は、2002年、デフオールブラックスに勝利したときの吉識監督とSHだった柴谷さん。ただいま、聴覚障がいを持つラグビー選手を募集中。メンバーを揃えて、再びデフオールブラックスと戦おう、というわけだ。今年の花園では、1月7日の準決勝前に行われるU18合同チーム東西対抗戦に、県立岐阜聾学校の岸野楓選手が出場する予定だという。

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