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【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。
これがアルゼンチンらしさなのか。明らかに他のチームとは違っていた。一人ひとりがディフェンダーと勝負し、獲物をしとめるかのようなタックルを繰り返す。立ち上がりから攻め続けたアルゼンチンは、ミスからオーストラリアに何度も得点されながら、徹底して攻めた。何度パンチを打たれても、ひるまず打ち返すボクサーのようだった。もう少しペースをコントロールしたほうがいいと思って見ていたが、いつのまにかアルゼンチンの攻撃が実ることを願っていた。効率的ではない。だからこそ感動するのかもしれない。試合後は割れんばかりの拍手が両雄に送られた。
10月25日、トゥイッケナムで午後4時にキックオフされたアルゼンチン代表対オーストラリア代表の準決勝第2試合は、開始1分、アルゼンチンSOサンチェスのパスをオーストラリアLOロブ・シモンズがインターセプトする先制トライで幕を開けた。9分には、ゴール前のスクラムから、SOフォーリーが右へ走り込み、CTBクリンドラニ、FBフォラウを飛ばして、右タッチライン際のWTBアダム・アシュリー=クーパーへロングパス。クーパーが右コーナーにトライをあげる。アルゼンチンは優位に立ったスクラムで反則を誘いながら、SOニコラス・サンチェスがPGを決めて点差を詰める。前半を終えて、19-9のオーストラリアリード。
後半もアルゼンチンは、何度もラインブレイクしたのだが、オーストラリアの二線防御に素早く反応され、トライまでは至らなかった。しかし、守ってはピンチを何度も迎えながら激しく前に出るタックルで対応し、最後まで僅差勝負を繰り広げた。最終スコアは、29-15。すべての選手がひたすら働いていたが、オーストラリア代表FLスコット・ファーディーの献身的な働き、必殺のタックルには胸を打たれた。
試合後、互いに健闘をたたえ合うシーンを見ているだけで幸せな気分になった。力を出し切って戦った選手達だけが至る表情、相手選手をねぎらう握手、抱擁。しばし、円陣を組んで話をしていたアルゼンチンの選手達を、オーストラリアの選手達が花道を作ってずっと待っていた。お互いにとって忘れられない試合になっただろう。アルゼンチンのダニエル・ウルカデ監督は、「選手は最後まで決してあきらめなかった。チームを誇りに思う」と健闘した選手を称賛した。
マン・オブ・ザ・マッチは、3トライのアダム・アシュリー=クーパー。昨日のベン・スミス同様、頬から血を流していた。最後のクーパーのトライをアシストしたドルー・ミッチェルとの31歳コンビは頼りになる。爆発的な突破力がある選手ではないか、大舞台で起用され続ける理由がよく分かった。
観客は、前日に続いて8万人越え。10月31日、決勝戦の舞台には、ニュージーランド代表オールブラックスと、オーストラリア代表ワラビーズが上がることに。意外にもこの両国による決勝戦は初めてのことになる。アルゼンチンは、10月30日、南アフリカとの3位決定戦に臨む。