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ラグビー コラム 2020年5月29日

あの感動を語り合える幸せ。もう一度見るべき 「日本ラグビー史上最大の決戦」日本代表対スコットランド代表

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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ラグビーワールドカップ日本大会について語れることは、なんと幸せなことか。いま、多くの人が実感していることだろう。観客席で肩を寄せあい、敵味方関係なくラグビーを楽しんだあの日々。それぞれの人にとって愛おしい時間はたしかにあった。日本代表が決勝トーナメント進出を決めた瞬間はその最たるものだろう。

プール戦最終日は2019年10月13日(日)だった。台風19号の被害が拡大するなか、前日のイングランドフランス(横浜国際総合競技場)、ニュージーランドイタリア(豊田スタジアム)、13日、釜石鵜住居復興スタジアムでのナミビアカナダが中止になった。13日に予定されていたその他の3試合は天候の回復もあって決行された。

東大阪市花園ラグビー場ではトンガアメリカが死闘を繰り広げた。ほぼ満員の22,012人の観客。名レフリー、ナイジェル・オーウェンズの笛。ヤマハ発動機ジュビロでプレーしたシアレ・ピウタウがトンガのキャプテンとして闘志を見せる。熊本県民総合運動公園陸上競技場では、ウェールズウルグアイが行われた。ウルグアイは31人の登録選手のうち27名が別に仕事を持つアマチュア選手だった。その健闘に勇気がわいてくる。ウェールズのCTBハドレー・パークスは、2020年5月25日にパナソニックワイルドナイツ入りが発表された選手だ。

13日夜、日本ラグビー史上最大の決戦がキックオフされた。筆者はメインスタンドの解説席でこの試合を見ることになるのだが、あの日のすべてが人生の宝物のような時間だった。出演者が遅刻しては話にならない。ホテルからタクシーで競技場に向かったら、メディア受付から遠い場所で降ろされ右往左往。そのおかげで、高校時代のラグビー部の先輩、後輩と再会できた。

試合前、日本代表のドレッシングルームからのレポートでは、かつてない緊張感で、まさに心臓が口から飛び出しそうになった。試合ジャージーが整然とセットされ、選手たちを待つばかりの厳粛とした空気に圧倒された。試合前の君が代は放送用のヘッドセットを外して聞き入った。あれほど叫ぶように歌われた君が代を聞いたのは日本代表戦を40年以上見てきて初めてのことだった。

キックオフ以降の日本代表は、精度の高いラグビーを続けた。最後のカウントダウン、そして山中亮平がスタンドにボールを蹴り込んだとき、悲願の決勝トーナメント進出が確定した。日本代表では不遇の時代が続いた山中が「瞬間最高視聴率男」となるという巡り合わせに涙した人も多い。日本代表があげたトライはすべて周到な準備の成果だった。福岡堅樹のオフロードパスも、相手が持っているボールをひっこ抜いてのトライも、すべては練習してきたもの。それが勝利の価値をさらに高めた。

福岡堅樹(左)


筆者が一番好きなのは、日本代表のHO堀江翔太とスコットランドのFLジェイミー・リッチーが交錯したシーンだ。タックルが少し高く、堀江の姿勢が低くなったこともあって互いの頭部が激突した。倒れ込む堀江に対し、リッチーは思わず体に手をやり、「彼は怪我をしている」と手を上げてアピールしていた。勝利に執念を燃やすスコットランドの選手が、攻め込まれて懸命に守っている最中に相手の怪我を思いやる。ラグビーワールドカップ日本大会が愛された理由のひとつだろう。この試合については、いくらでも書くことがある。何度見ても気持ちがいいし、見るたびに新たな発見がある。皆さんにも、もう一度、最初から見返してみることをお勧めしたい。

試合後、勝利を喜ぶ日本代表選手ら


文:村上晃一

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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